大地の娘・下
ある夜、男と二人の娘が自宅で幽玄なる時間を過ごしておりますと、見知らぬ一人の女が訪ねてまいりました。
つやのある赤毛が肩にかかり、やや幼さの残る顔立ちながら、豊熟した身体を持った肉感的な娘であります。
お前は何者かと男が問うと、
「わたしは樹林の娘です。初めまして、パパ。久しぶり、お姉ちゃん」
童顔の女は答えました。
そして彼女は、男の頬に口を付けました。唇の触れた箇所からふわりと漂うは、甘酸っぱい蜜の香りでございます。
前例もあるので、男は素直に樹林の娘を受け入れました。彼女もまた二人の姉と同じ目的で男のもとへ参ったものの、やはり男は都に留まる意思を曲げぬため、彼に侍ることやむなしと考えました。
やがて男は樹林の娘を我が子として大事にするあまり、木々に生る全ての物を食べられなくなってしまいました。
「パパ、わたしたちのことなんか気にしないで。ちゃんと良い物を食べないと身がもたないわ」
娘らは心配しますが、男は耳を貸しません。
彼は魚介、獣肉だけを食べるようになりました。
ある夜、男と三人の娘が自宅で安穏たる時間を過ごしておりますと、見知らぬ一人の女が訪ねてまいりました。抜けるような銀髪を腰まで伸ばし、凛々しい顔立ちと佇まいの娘でございます。
お前は何者かと男が問うよりも早く、
「私は滝川の娘です。初めまして、父上。お久しぶりです、姉上」
銀髪の女は言いました。
そして彼女は、男の頬に口を付けました。唇の触れた箇所からひやりと漂うは、澄んだ深緑と水辺の空気であります。
もはや三度目なので、男は一も二もなく滝川の娘を受け入れました。彼女もまた三人の姉と同じ目的で参上し、三人の姉と同じ顛末を辿りました。
男は水に棲む全ての物を食べられなくなったのです。
「父上、冷蔵庫の中身が生肉ばかりとは、見ていて気味が悪うございます。どうか生活を改めてくださいませ」
娘らがどれだけ説得しても、男は揺るぎません。
彼は獣肉だけを食べるようになりました。
無論、男は人の身。犬猫とは身体の作りが違います。
完全に食生活の狂った男は、決して長いとは言えぬ年月のうちに、やがて病をこじらせて床に伏せりました。そして本来あるべき人生も半ばにして、とうとう一度も人間の女と交わることも無いままに、その生涯を閉じたのでございます。
しかし親愛なる娘らに看取られ、彼の死に顔はとても安らかであったとか。
さてさて、後ろの節々は駆け足で語りましたが、これで終いではありません。実はまだ続きがございます。
件の男が故郷に残してきた娘は、上に語られた者が全てではありませんでした。他にも多くの霊的なものとの間に子を成しておりまして、その中には「獣の娘」と呼ぶべき者もおったのです。
獣の娘もまた、田畑の娘や樹林の娘や滝川の娘らと同じく、都へ出たまま何の便りもない父親に直接会いに行きました。しかし彼女は、先で待っていた姉達に制され、密かに追い返されておりました。
「詳しいことは言えないけれど、今あなたが父さんのところへ行ったら、父さんはきっと飢え死にしてしまうわ」
かように説明されても、実状を知らぬ獣の娘としては納得できるものではございません。しかし生命に関わることともあれば、勝手な真似が許されないのもまた事実。はやる気持ちを抑えて彼女は立ち戻り、耳と尾を垂らしてじっと父親の帰りを待っておりました。
幾年も、幾年も、待ち続けておりました。
ところが獣の娘に届けられたのは、訃報でございます。
彼女は呪いました。自分達だけ父親の愛情を受け、しかも結果として彼の死を早めた四人の姉を。そして最期まで故郷に戻らず、一度も顔を合わせることが適わなかった父親を。ひいては人間そのものを。
彼女は呪いました。
「無能で愚かな姉達よ。そして卑しく醜い人間達よ。お前達は互いを憎しみ合うがいい。土から生える物は獣と虫に食い荒らされろ。木に生るものは傷付き腐れ。水に棲むものはその身に毒を蓄えろ。お前達は人間を害し、人間はお前達を疑い避けるだろう。そうして、やがて疲れて果てるがいい」
こうして獣の娘は世に混乱の種を撒いた後、いずこへともなく姿を消したと伝えられてございます。
されども人を呪わば穴二つ。彼女の吐いた言葉は知らず知らずのうちに、彼女の属するところにも返っていったのでありました。
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またまた産地偽装! ○○産を××産と偽って!
あきれた手口。客の食べ残しを再利用!
なんと、賞味期限切れの小麦粉を使っていた!
水俣病の再来? 汚染された魚に含まれる有害金属が原因か!
無農薬野菜から病原菌が検出。ずさんな管理体制が露わになった!
ついに牛レバ刺し全面禁止へ!
問われる食の安全性。我々は何を口にすればよいのか……。
(――新聞)




