☆ 少年と、あなたと、雲呑み兎・前編
あるとき、あるところに、一人の男がおりました。
年は少なく、名を母木孝助と申します。
ぽっちゃり丸顔の鼻タレ小僧・孝助少年は夏休みに、一人で祖父の田舎へ遊びに行っておりました。
彼は山中の沢で、青と黄色のまだら模様が美しい楕円形の物体を拾いました。
このときの彼には知る由もありませんが、それは兎の卵です。幽霊、狐、狸、魔女、そして蛇……多くのもの達の想いが、時を越えて繋がった存在です。破滅と絶望に打ち克つべく産まれ来る、揺ぎ無き希望の意志なのです。
しかしてそれも、実際に殻を破れなければ詮無きことでございましょう。
孝助は夜な夜な卵に血を奪われ、彼は心身ともに衰弱してゆきました。
さらにはある夜。彼のお祖父さんが隣町へ緊急入院したために、卵のある家にたった一人で過ごさなければならないときが訪れました。
容態を案じた孝助の母親が電話をかけてきて、翌日の昼頃には駆けつけてくれるという運びとなります。しかし孝助は、もしあの卵から化け物が産まれるとしたら今度は母親の身が危ない、と判断致しました。
そこで母親を遠ざけるべく、断りの電話を折り返そうと受話器を取ったのです。
『…………昔話のような雰囲気を醸し出していて…………』
すると孝助の耳に届きましたる声は、質をどのように形容すべきでしょうか。男のようにも聞こえ、女のようにも聞こえ。若輩にも聞こえ、老練にも聞こえ。
もちろん孝助にはその声に覚えがありません。相手が何者かも分かりません。
『…………落語をきいているように…………』
だけれども決して恐れはしませんでした。この極限状態においてさえ、いえむしろこの状況だからこそ、彼は謎の声が持つ温かさを感じたのです。
誰のものかは知れずとも、そこに悪意が無いをことだけは信じられました。
『…………スルーしてくれて構わないので…………』
『…………怖くて、耽美的で…………』
『…………気にしないでね…………』
声は徐々に、徐々に増えてゆきました。
「あ、あんたらは誰なんじゃ?」
『ここまで夢中になって…………私は、良い子であり、悪い大人なのでしょう…………』
『…………きっと…………誰もが…………』
答えられてもなお、孝助にはその正体を判じかねます。
ただ、何故そんな声が聞こえるのかと考えたとき、孝助には思い当たるものが一つしかございませんでした。
不可思議な結果には不可思議な原因があるはずですから、彼にとってここ一連の奇妙な出来事の発端とすれば、あのとき拾った謎の卵に他なりません。
「なあ……俺は、どうすればええんじゃ? あの卵を、どうしてやりゃええんじゃ?」
孝助は胸の前でシャツをギュッと掴み、すがるように受話器へ訊ねました。




