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良い子と悪い大人のための平成夜伽話  作者: 橘圭郎
第二部《雲呑み兎》
40/51

★ 幽霊問答


 皆々様々、お初にお目にかかります。

 わたくしはただの語り部。

 名乗るほどの者ではございません。


 さて今宵に語りまするは夜伽の定番、男と女の物語。

 重なり、絡まり、そして繋がる――


 おや? ひょっとして、この口上は既にお聞き及びですか?

 母木宗助と狐の話、勇助と狸の話も、もうご存じであると?


 さては、その先なる孝助の行く末も?


 なるほど。それであれば、わたくしもやっと本題に限りなく近い話が出来そうですね。




 話を続ける前に少々、頭の体操を致しませんか?

 まずは流れる川と、そこにたゆたう小舟を思い浮かべてくださいませ。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……と古き言葉にもありますように、時間の進みを例えて考えましょう。


 ここで皆様は、ご自分が小舟と川岸の、どちらにいらっしゃると想像致しましたか?


 もしあなたが小舟に乗って一緒に流れているならば、上流を過ぎ去って、まだ見ぬ下流へ進んでゆくことでしょう。


 もしあなたが川岸で横から眺めているならば、水は通り過ぎて下流へ向かい、まだ見ぬ水が上流からやってくると感じられることでしょう。




 もう一つ例題を……浦島太郎の昔話はご存じでしょうか。具体的な数字は諸説ありますが、ここでは「浦島太郎が竜宮城で3日を過ごしたら地上では100年が経っていた」ものとしてお考えください。

 そうなると、竜宮城の中は時間の流れが速いのか、遅いのか、どちらに感じられますか? 言い換えれば、あなたは竜宮城に行った浦島か、彼を見送った地上の者か。


 地上にいる者からすれば、竜宮城は時間がとてもゆっくり進んでいるように見えることでしょう。相対的に、地上では100年の間に、竜宮城では僅か3日しか経っていないのですからね。


 一方で浦島にしてみれば、たった3日の歓待を受けただけで、戻ってみたら100年が過ぎているという不思議。何もかもすっ飛ばして100年先に放り出されたような心地ですから、竜宮城の中で時間が恐ろしいほど速く進んだものと感じてしまうのではないでしょうか。




 以上の例題から申し上げたいのは、時間というものは非常に曖昧であるということ。視点の置き場次第で、過去や未来の概念さえ容易く移ろい得るということでございます。

 それを踏まえると「過去は変えられないが未来はいくらでも変えられる」「現在の選択が未来を決める」という希望に満ちた常套句が、ほんの少し物事をずらして観ただけで、あっという間に「確定した未来が過去を改変する」「未来の選択が現在を決める」という因果の絶望的な逆転を引き起こすのであります。


 おや、わたくしの言葉が信じられませんか? 想像がつきませんか? 自分には関係ないと、一笑に付す御方もいらっしゃいますね。


 ですが「未来が過去を改変した」という事例であれば、ここではないどこか、今ではないいつかの枠組みにおいて、既に通り過ぎたことと存じます。

 皆様は「存在しなかった風景」をご覧になったことはありますか? 現に、題目表に無かったその未来のために、遙かなる旅路から帰ってきた乙女の辿った流れには確かな変化がありました。あの乙女は海に落ちてから、元々は、自力で目覚めて(おか)まで歩いて行ったはず。南海の恋人との接点も無かったはずなのです。

 もちろん、当の彼女らには、その違いを知る(すべ)が存在しないのでありますが。


   *


 あるとき、あるところに、一人の女がおりました。

 年は定かならず、名も明らかならず。


 幼き頃より霊的なものと繋がり深く、しかしかえって常人との関わり浅く、(のろ)いやら(まじな)いやらに傾倒し、人にして人ならざる時の流れに身を置いてしまった彼女を端的に言い表すならば……《魔女》とでも呼ぶのが適当でしょうか。


 さて魔女には、道理を外れた能力を用いて、戯れに未来を見通すことを楽しんでいた時期がありました。他人が決して知り得ないことを知り、己だけの利益に繋げる行為は、この上なく優越感に浸れる趣味だったのです。

 しかしある日、彼女は背も凍るような未来を予知してしまいました。


 それは、不吉な黒雲が全天を覆い、不浄な瘴気が全地を走っておる光景……ありとあらゆるものから希望が消え失せた、死と滅びの世界でございます。


 ですが何より彼女を恐れさせたのは、その未来が、さして遠くないものであると分かったこと。自分が生きている間に訪れるものだと知れたことでありました。

 ではその滅びの未来を食い止めるために魔女が尽力したかといえば、さにあらず。彼女はむしろ、たとえ世界がどうなろうと、自分だけは助かりたいと望むような人間でございましたので。


 かくして魔女は、さらに道を外れた呪術妖術を究め、ついには不老の肉体と不滅の魂を手に入れてしまいました。

 全ての生命と意思が失われた後で、独りだけ残っていても、まるで意味が無いというのに。


 さらにこの時点での彼女は、気付いていなかったのですね。滅びの未来を観測した彼女が存在し続けるということは、未来がその滅びへ向かうことを確定させ続けているに等しいのだと。

 未来予知の本質とは、観測なのですよ。わたくしから観れば、過去を記憶することと未来を予知することは、本質的に違いがございません。過去を予知する、未来を記憶する、と言い換えても同じことでありましょう。


 ともあれ幾年月か過ぎた頃、不変となったはずの魔女の肉体に一つの変化が訪れました。思い当たるふしもないのに、お腹が妙に大きくなってきたのです。

 処女(おとめ)の腹へ勝手に宿り、日毎(ひごと)夜毎(よごと)に膨らんで、ときたまゴロゴロのたうち回る――これは奇なもの異なものだと、魔女は恐れるよりむしろ興味を示していきました。

 まだ彼女にとっては、この生命を育む行為さえ暇つぶしの一環に過ぎなかったのであります。


 そうして魔女は、ついに一つの物怪を産み落としました。


 さしたる痛みも覚えさせず、するりと世に現れましたるそれは、蛇のかたちをしておりました。見た目にはとても優しげな、淡い藤花のような色合いでございます。

 抱き上げた始めの一瞬だけは、なんと可愛い子だろうと、柄にもなく母親らしい情が魔女の胸にも湧きました。しかし、蛇のつぶらな瞳と目を合わせた刹那、頭の裏にぐるぐると黒雲が渦巻くような心地がして、すぐに直感したのです――ああ、こいつだと。


 滅びの未来をもたらす最凶最悪の物怪は、この蛇に間違いない。


 ここに至って多大な危機感と僅かばかりの責任感を覚えた魔女は、ただちに蛇の頭を切り落としました。これで普通の生物ならば、尋常の物怪ならば、さすがに息絶えて活動を停止するはずでしょう。

 ところが首を失っていながらも、蛇は鱗を濃紫色に染めつつ、にわかに膨らみ続けてゆくではありませんか。終いには山脈連峰かと見紛うほどの大蛇になり、いつぞやに魔女が観た予知の光景そのままが再現されていったのでございます。


 ならば今度こそ上手く抑えてみせようと、魔女は再挑戦を試みました。


 ちなみに、どうすれば過去へ戻れるのか……物理において作用と反作用の関係がありますように、時の流れが力を伴うものであるならば、それが未来へ進む際には、必ず同等の強さで過去へ反発する力も発生しているはずでありましょう。

 肉体を捨てて霊魂のみとなった者ならば、その過去への流れを意識して身を委ねるだけで、実際に遡上することは容易である……と、理屈としてはこのようになりましょうか。

 加えて魔女なりの呪術があれば、記憶を保持したまま元の時間と肉体に戻ってやり直すことも充分に可能だということでございます。


 ですが、結果は変わりませんでした。

 何をどうしても――氷漬けにしようとも(やく)漬けにしようとも、微塵にしようとも骨まで溶かそうとも、あるいは十重二十重(とえはたえ)に霊的結界を張り巡らせて抑えようとも――あれが大蛇となって世界を滅ぼすことは止められなかったのです。




 手にかけることが逆効果であるならば、むしろ手をかけてはどうか。魔女は方針を変えて、蛇に快適な住処を与えてやり、何者にも脅かされることがないようにしてみました。

 しばらくは、彼女の策は成果を上げているように思えました。蛇は安寧にして荒ぶらず、絶望に沈む気配がございません。このままずっと守り続けるすることで、滅びの未来が訪れないようにするのは難しくありません。


 では、ずっと……とは全体いつまでなのでしょうか。


 蛇は、ずっと同じ姿をしておりました。か細くて、小さくて、いつまでも庇護を必要とする(ひな)のようで、ちっとも変化がございません。

 さらに、魔女の目に映る景色にもまるで移ろいが感じられませんでした。これについては何とも申し上げにくい感覚なのでありますが……時間は確かに流れているのに、世界や時代が進まない……とでも表現致しましょうか。

 何十年、何百年と経っているにも関わらず、世の中では異常気象が全く発生しませんでした。大きな地震も嵐も、例年通りの平均しか起こらず、寒波も熱波も報じられません。国際情勢だって、可も無く不可も無く、役に就いている人間の顔と名前が代わるばかりで一切の動きが感じられません。さらには科学や文化、文明や芸術も、まるで進歩がありません。

 大戦争も技術革新も無いまま、不思議と世界人口は横ばいを記録し、あと数十年で地下資源が枯渇するだろうという統計予測が騒がれ始めてから数百年も過ぎました。しかもその「異常が無いという異常性」「昨日と同じ明日、去年と同じ来年がいつまでも続き続けるというおかしさ」に、人間たちの誰も気付いていないのです。彼ら自身は間違いなく、年を重ねて生死を経て、世代交代を繰り返しているのに。


 ひとつの実例を挙げましょう。

 これからわたくしがお話しする予定だった母木宗助と狐の件を既にご存じであるならば、その情景に何か違和感を覚えませんでしたか?

 宗助が若かりし頃……それは孫の孝助が謎の卵を拾ったときより、およそ五十年は昔のことでございます。なのに、その時点で個人用のコンピュータやらゲームやらが普及していたという事実に、疑問を感じませんでしたか? 親子三代に渡って、生活様式に違いが無いことにお気付きでしたか?


 さて、ここで魔女が抱いた絶望感は如何ほどだったでしょうか。自分の存在意義を疑ったことでしょうね。あれほど苦心して手に入れた「永遠」「不変」「不滅」といったものが、これほど苦痛で空虚で不自由なものだったとは、予知も予想もしておりませんでしたから。

 時間が癒やしてくれると思っていたのに、時間そのものが病原であったかのような、薬を飲んでいたつもりが毒だったかのような心地でありましょう。


 この頃の魔女にとって、周りの人間の営みなど川を流れる水と大差ありません。

 百年の希望を超えた先にあったのは、千年の孤独でありました。


 僅かな救いは、時の流れに異変を感じたものが他にもいて、しかも彼らが原因を探って密かに働いていたことです。

 永き命と高い霊格を誇る、物怪の代表格たる鬼神――そんな赤鬼と呼ぶべき彼を筆頭に、多くの物怪が魔女のもとに押しかけました。

 時を捻じ曲げる諸悪の根源を打ち倒さんとする百鬼夜行と、目的も意義も見失ってもはや片意地と執念だけで我が身と蛇を守ろうとする魔女。両者が衝突を繰り返した末、互いに手を出せない膠着状態へと陥り、落としどころを見つけようとするうちに立場を認め合うまでの波乱の展開の詳細は、尺の都合で割愛、ご想像にお任せ致します。


 ともかく、おかげで彼女は、辛うじて万年の忘却を迎えずに済んだのでございました。


   *


 赤鬼らの知恵もあって魔女は、蛇に成長を促すことにしてみました。

 蛇に変化の術を施して人型の姿を与え、またそれを教えて自分でも出来るようにさせました。

 女児となった蛇の物怪に人間のような名前を付けて、学校に通わせました。有限の命を持つ人間たちと共に過ごさせることで、同じように年を取らせようという魂胆です。

 加えて魔女は蛇の記憶を消し、自分たちが親子であることを忘れさせ、蛇自身が(のろ)いと絶望の産物であることを知らせないようにしました。

 これが首尾よくいけば、蛇は普通の人生に満足して、滅びの未来とともに消えていってくれるに違いないという目論見です。


 ずっと一緒にいた親が不老不変だから蛇も育たなかったのではないか――との仮説から立てたこの作戦は一定の功を奏し、蛇は「叶美琴」としてすくすくと真っ当に育ちます。それ故に、心という不安定なものに破滅の行方が委ねられ、魔女には綱渡りの取捨選択が求められ、それにも関わらず少女が世を焦がすほどの恋に落ちてしまう……のは、この世界の時系列において、もうしばらく先の未来の話でございます。




 さてさて、作者の想いや時代の世相を反映させた物語というものは古今東西、時と場所を越えても見聞きする者の心を動かすものでありましょう。

 では反対に、人の心が物語を動かし、紡ぐ力となることはあり得るものでしょうか。


 最後にもうひとつ。実は題目表には、ちょっとした謎・(あん)なるメッセージが仕組まれております。その答えと意味については、本題を伝える際に明かすことに致しましょう。

 ヒントはずばり「時の流れ」でございます。


 これらの問いに、皆様が少しでも考えを巡らせてくださることを祈って、この幽霊問答はひとまずお終いと相成ります。

 これにて役者は揃い、舞台のからくりも整いました。

 次なる幕が、どんでん返しの大一番となりますや、否や。



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