☆ ごまかしの効かない関係・前編・下
さて翌日。魔女はお供として赤鬼を従え、美琴の後をつけました。
しかしむやみやたらと校内へ侵入するわけにもゆきません。仕方なく魔女達は近くにある集合住宅の屋上を陣取り、そこから双眼鏡を覗き込み、鳥や虫らを操って、監視の目を光らせました。
そして魔女は昨晩のうちに美琴から聞き出していた話を思い出し、張り込みと得意の呪術を併せて駆使した末に、誰が美琴の交際相手の母木孝助なのかを突き止めたのです。
「あれが彼氏ぃ? なんだかパッとしないわね。美琴ちゃんったら、どこを好きになったのかしら」
体育の授業で校庭に出ている孝助の姿をレンズ越しに捉え、魔女は愚痴っぽく呟きました。そこへ、肩幅の広いダブルのスーツにスキンヘッドという極道者の風袋をした赤鬼が、トランクケースを抱えたまま問いかけます。
「それで、どうやって彼を始末するんですか? 迂闊に近づけば我々も顔が見られてしまいますよ」
「安全かつ確実に、まずは狙撃でいきましょう」
心配する赤鬼をよそに、魔女は得意げな顔で懐から一枚の和紙を取り出しました。それは大きさにして便箋を三つ折にした程度の物で、片面には朱色の墨で描かれた幾何学紋様があります。
呪符と言い表すのが最も適当でしょうか。
魔女は呪文とも鼻歌ともつかない音を口より発しながら、その呪符を丁寧に折り折りました。そして出来上がったのは、なんと、鋭角ばった紙飛行機でございます。
「母木孝助くん。あなたに怨みは無いけど、惚れた相手が悪かったわね」
至極神妙な顔で、そっと紙飛行機に口付けを致しました。指を放すとそれはひとりでに震え、山から下りる風に乗ってふわりと空を漂ったかと思うや否や、瞬く間に一羽の隼へと成り変わりました。
そして呪いを凝らして生まれた赤い隼はくるりと宙を舞い、次には目標をめがけて一直線を描き飛び立ったのです。
しかし、何も起こりません。
赤い隼は確かに、孝助の額をすり抜けて消えました。常人に見えぬ呪いの隼は、狙い誤ることなく彼を捉えました。さすれば相手の脳の血管を断ち切り、たちまち死に至らしめるはずでした。
それでも彼は何事も無かったかのように、サッカーを続けておるのでございます。
「ちょっと、どういうこと? 対人用に特別調整した即効性の呪いよ!? あれで死なないなんて、どうかしてるわ!!」
納得がゆかないとばかりに奥歯を噛み締め、魔女は予備に持っていたもう一枚の呪符を放ちました。ですが、それでも結果は変わりません。全くの無反応であります。
己の呪術に絶対の自信がある魔女としては、我が目を疑うばかりでした。
「なんで、なんでなの? ねぇ赤鬼。あれ、ちゃんと当たったわよね? お前も見たわよね?」
「はい、多分……当たったと思います」
魔女は双眼鏡を片手に興奮して振り向き、赤鬼は手の平をひさし代わりに目を細めて答えました。
「ところで管理人さん。確認なんですが、あの隼は人間にしか効かないんですよね?」
「そうよ。彼は物怪が化けているとでも言いたいの?」
「可能性はあります」
「とてもそんな印象は受けないけどね。もしそうだとして、正体は何だと思う? 特定さえ出来れば新しく呪符を書けるわ」
「そうですね……すみません、遠眼鏡を貸してください」
魔女は黙って赤鬼に双眼鏡を手渡し、代わりにトランクケースを受け取りました。そして中から白地の符と、書道具一式を足元に展開させます。
「で、どう? お前の見解は?」
「匂いが殆ど来ないから難しいですね。ですが顔つきと、あそこまで自然な変化の巧みさを見れば、まず予想すべきは狸あたりでしょうか」
「そうね。その線が妥当かしら」
既に朱色の墨をすり終えていた魔女は、一抹の迷いも無い動きで白符に筆を走らせました。そして先ほどの二枚とは似て非なる紋様を描くなり、改めて赤隼に変えて飛ばします。
それでも、孝助には何の変化もございません。狸でないなら貉か、それとも野衾かと、推論を重ねて幾つもの隼を送りましたが、そのいずれもが徒労に終わったのでございます。
「あれも違う。これも違う。むきー、なんなのよ、あの子! いったい何者なの?」
念のために申し上げておきますと、呪術の扱いに関してこの魔女は一流も一流の腕前を有しております。呪いの中でも特に能動的なものは、本来であれば綿密な下調べをし、多くの時間をかけてようやく特定個人のみを対象に力を発揮するものです。
それを「人間」や「狸」などの大味な括りでも発動させるのは、およそ彼女にしか出来ぬ芸当でありましょう。
しかし、母木孝助は普通の人間ではないのです。また普通の狸でもございません。
「落ち着いてください。そんなことより、体育の時間が終わってしまいましたよ」
魔女が憤慨して八つ当たり的に白符を破り捨てている間に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴りました。このまま孝助が校舎の中へ戻ってしまえば、魔女の得意とする呪いの狙撃は届かなくなります。
「心配無用。こんなこともあろうかと、既に次の手は打ってあるわ」
「それは、何ですか?」
何故それを、行動を共にしている自分にさえ前もって言っておいてくれないのか、と赤鬼は内心で彼女の作戦指揮能力に不安を覚えながらも訊ねました。
「今度は爆殺よ」
呪術とはあまりにかけ離れた物騒な単語で、魔女は得意げに答えました。彼女は呪術に自信を持つあまり、それが失敗したときのことを真面目には考えておらなかったのでしょう。
「今ね、ターゲットの下駄箱に指向性の小型爆弾を設置しているところなのよ。これで少年の首を狙い撃ち。呪符を書く傍らで、河童に指示を出しておいたわ」
「それはつまり、今この時間に、頭頂部ハゲのサラリーマンが、いち男子高校生の下駄箱に細工をしているということですね?」
「そうよ!!」
赤鬼はその姿を想像し、図らずも寄った眉間の皺を指でほぐします。
「充分に怪しくないですか。誰かに見られる恐れがある」
「大丈夫。青鬼に学生服を着せて一緒に行かせたから、転校生とその保護者に見えるはずだわ」
「……無理がありませんか?」
優れた三角筋を誇る青鬼の変化姿を思い出して赤鬼は、この魔女から呪術を取ったら何も残らないのだな、と半ば呆れ半ば哀れみました。
「でもしょうがないじゃない! 私の呪いがちっとも効かないなんて、こんなことになるとは思わなかったんだもの。爆弾なんて、ほんの冗談のつもりで用意してたのに、まさか使う羽目になるなんて」
「管理人さん。先ほどと言っていることが真逆ですよ」
「あぁもう、うるさいわね……」
と、不手際を突っ込まれた魔女が逆上気味に口を開いた矢先のことです。彼女の携帯電話が、突然に騒がしいメロディーを奏でて着信を報せました。液晶に映し出された相手の名前は、噂をすれば青鬼でございます。
『もしもし、魔女の姐さん? 大変です! 失敗しましたッス!』
忙しない声と共に届いてきたのは首尾よい設置完了報告などではなく、むしろその反対でありました。
「ちょっと、なんですって? どういうこと?」
『暴発ッス。河童の奴がとっさに首を引っ込めたのでケガはしてませんが、驚いて気を失ってるッス。河童じゃなければ死んでるところッスよ』
「暴発ぅ? だからなんでよ!」
『後ろから突き飛ばされたんッス』
「もうちょっと分かるように話しなさい」
魔女の不機嫌な声が、青鬼の返事を萎縮させます。
『は、はい。河童が爆弾を、取り付けている最中にですね、背中を突き飛ばしてきた奴がいたんッスよ。それで手が滑ったんッス。何も言わずに、いきなりッスよ!』
「お前は何をしていたのよ。何のための見張り?」
『ちゃんと見張ってましたって。なのに、いつの間にか、河童の後ろにいたんッス』
「もういいわ。で、誰よ。そんなバイオレンスなことを仕出かす奴は。生徒? 教師?」
『いえ、そいつはすぐに逃げやがったので少ししか見てないんですけど……巫女みたいな格好をしてました。匂いからして、少なくとも人間じゃなかったッスよ』
魔女は頭を捻りました。この界隈で、巫女に扮するなどと、神事に携わる物怪がいるとは耳にもしていなかったからです。
また、その正体不明の物怪が自分達の邪魔をする理由にも思い当たる節がございません。
とにもかくにも、河童と青鬼を呼び戻した頃には、学校は爆弾騒ぎのために騒然となっておりました。他にも仕掛けられているかもしれないとのことで、臨時に休校措置をとったのであります。
そうなればまた、さえずる小鳥を介して状況を知った魔女は苛立ちに苛立ちました。全校生徒がすぐに帰されるとあれば、孝助と美琴が落ち合うまでの猶予が無いのです。
「こうなったら仕方ないわね。赤鬼!」
魔女はトランクケースのサイドポケットから笑う猫をかたどった首飾りを三つ取り出すと、隣にいるスキンヘッドに渡して歯痒そうに言いました。
「こんなに早く最後の手段を使うとは思わなかったわ。あんたが直接やりなさい」
「少しくらい人目に触れても構わないんで?」
「その首飾りは印象操作の呪いよ。それを着けていれば、他人に顔を見られても長くは憶えていられないわ。ちゃんとやるのよ。私は美琴ちゃんのほうに行くからね」
前日に相談を受けていたこともあり、メールを送りさえすれば、魔女が孝助よりも先だって美琴と落ち合うのは簡単でした。
かくして赤鬼は青鬼と目を覚ました河童を連れて校門の前で孝助を待ち伏せ、魔女は一人で学校裏手の山へ向かったのでございます。




