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良い子と悪い大人のための平成夜伽話  作者: 橘圭郎
第二部《雲呑み兎》
29/51

★ 狸の恩返し・下


 さて迎えた日曜日。

 絹子に間に合わせの男物を着せ、連れ立った先は競馬場でありました。


「勇助さんー。ここ動物園とちゃうー」


 もちろん、絹子の目には不満が一杯であります。


「アホ。俺は一言もそんなこと言うとらんが」

「うー。そんで、ここで何すればええのん?」


 絹子は人の波を小さい歩幅でかわし、はぐれないように勇助のコートの裾をぎゅっと握りながら、今日の目的を訊ねました。


「馬と話してくれ」

「ん、ええけど、八百長の手配とかまでは無理やで」

「構わん。声を聞くだけでもええ。一番やる気のある馬が知りたいんじゃ。そいつに賭ける」

「なんや地味やなー」

「あんまり犯罪じみたことをして、空手百段のパンチを食らうんはごめんじゃ」


 そうこうして二人はパドックに入り、絹子は馬のいななきに耳を澄ませました。馬が一巡したところで、彼女は勇助に向き直ります。


「七番の馬が凄いね。『今日のレースは絶対にオレが頂く。誰であろうと、オレの前を走らせはしない。勝利はオレだけのものだ』やって。気合の入り方がちゃうわ」

「七番、七番……ユイガドクソン、か。名前も強そうだな。こいつにするか」


 

『他の追随を許さない逃げ切りで圧倒的な強さを見せつけました、ユイガドクソン! 最後の直線で騎手を振り落とし、たった一頭でゴールイン!!』



「えらいな、あのお馬さん。有言実行や」

「失格じゃねえが!」


 などなど、やはり馬の声を聞けたところで有利な予想が出来るはずもありません。まだまだお日様が天辺(てっぺん)に昇ったばかりの頃合いだというのに、すっかり勇助の財布は軽くなってしまったのでございます。




 レースに賭ける種銭(たねせん)も無く、とぼとぼ歩いた帰り道。

 駅前の華やかなデパートに絹子は心を惹かれて、勇助の袖を引きました。


「勇助さん。ちょっと買い物に付き合うてくれへん?」

「ええけど、給料日まで遠いがよ……」


 先立つものを心配する勇助でしたが、絹子は難なくATMから万札を何枚も引き出してまいります。


「おいお前、どっからそんな大金!? さては、やっちまったのか!?」

「アホ言いなや。ちゃんと自分のお金やで」

「でも一文無しだったんじゃねえのがよ」

「何日経ったと思うてんの? カードの再発行くらい出来るっちゅーねん」


 勇助は絹子の手からキャッシュカードをひったくり、裏返してみたり、電灯に透かしてみたり。


「化生のものか、魔性のものか……」

「化かしてへんわ!」


 絹子はキャッシュカードを取り返し、何か話題を逸らせるネタが無いかと辺りを見回しました。すぐにでも、その金で競馬場へ戻ろうと勇助が言い出すのではないか、心配になってきたからです。

 そこでふと彼女の目に留まったのは、ちびっ子向けに催されていた、着ぐるみと被り物のヒーローショーでございます。

 掲げられた看板に、大々的に描かれておりますのは、白毛に赤目のウサギ耳が(いさ)ましく。


「勇助さん。ほら、あれ見てみ。『ラビットマスク』やって。なつかしいなあ」

「あー。俺が小さい頃からやってたが、まだシリーズ続いとったんか」


 吹き抜け広場に組まれた舞台上で、今は黒ずくめの怪人たちが暴れておりました。まだウサギ耳の正義の味方は現れておりません。


 親子連れの観客たちが集まっているなかに絹子がふらふら近寄っていきますので、勇助は少々(いぶか)しみながらも後ろについていきました。


「なんじゃお前、こんな子供だましなん観たいんか?」

「いや、そういうわけちゃうねんけど、ちょっと思い出せんことあって」


 むむむと小さく唸りながらも絹子は、看板の赤目を眺めております。


「たしかこの『ラビットマスク』って、元になったお話があるねんな? 何やったっけ?」

「小説だな。『(くも)()(うさぎ)』っていうタイトルじゃ」


 勇助が疑問に答えると、絹子の目がパァッと開きました。


「そうや。それそれ!! 読んだことあるわ。あれやろ? 男の子が拾った卵から、変な兎が産まれるんやんな? そんでその兎が、えらい超能力とか使って人助けをするんや。雷雲かみなりぐもを呑み込んで嵐を止めたり、未来を予言したりな」


 しかしまた、まだ腑に落ちぬようで、小首を傾げるのでございました。


「でもあれ……最後どうなるんやったっけ? 暴れ者の大蛇をこらしめて終わるんやったっけ?」

「そりゃ子供向けアニメの劇場版じゃ。原作の小説は、まだ完結しとらんが」


 


「勇助さーん。たすけてー」


 はてさて、どうしてこうなっておるのか、その場にいる人間の誰も詳細過程を理解できておりません。


「なんでお前が捕まっとるんじゃ!?」


 ヒーローショーにおける定番の流れとして、怪人が観客のなかからめぼしい子供をさらい上げる段になったときのことです。絹子が何者かから背を押されたように、つんのめって、たたらを踏んだかと思うと、その腕をはっしと掴まれて、あっという間に舞台上へと連れてゆかれたのでございます。


 ちびっ子たちを差し置いて、丸顔の大きなお友達が一人だけ怪人らの腕に収まっているという非現実感極まる光景に、誰も彼もが狐につままれたような心地になったことでございましょう。


「みんなー! みんなの声で、ラビットマスクを呼びましょー!! せーのっ」


 ここに至って司会のお姉さんは、半ばやけっぱちに、明らかに勇助へと圧のある視線を送ってコールを煽ってくるのであります。


「ら、らびっとますく……」


 不承不承(ふしょうぶしょう)、勇助は俯きながらも声を絞り出しました。


「あれれー? 声が小さいぞー? それじゃあラビットマスクには届かないよー?」

「ちくしょう。何のためにでかい耳が付いとるんじゃ」


 しかしお姉さんは、大人のすかした態度を許しません。

 さらに周りの親子連れも期待の眼差しを向けてくるものですから、勇助も腹を括らざるを得ませんでした。


「せーのっ」

「ラビットマスクー!!」


 耳まで真っ赤にして勇助が叫ぶと、ようやくウサギ耳のヒーローが舞台上に推参しました。

 それから必殺のラビットキックで怪人が蹴散らされ、解放された絹子が勇助のもとへ返されたときには、何故か会場中から温かい拍手を送られましたとさ。




 夕飯の材料を手に提げてデパートを出る二人、片や満面の笑みで。


「あー、やっぱり面白かったわー。勇助さんって、何やかんや言うてもノリええねんな」

「言うなが」

「今日の勇助さんを思い出せば、むこう百年は笑って過ごせるわ」

「二度と思い出したくない地獄じゃ」


 片や苦虫を噛み潰したような顔でございます。


「それより、買い物って飯だけでええんか? 服とかは? いつまでも俺の服じゃ嫌だろ?」

「ええねん、ええねん。これがええねん」


 だぼっとした裾を引っ張ってごきげんな絹子。そんな彼女を見ていると、勇助は気恥ずかしいながらも、自然と頬が緩んでくるのでありました。


 ですがそこで、不意に勇助は見知った顔を視界に入れて、思わず立ち止まります。


「なんやの、勇助さん。こんなところで突っ立っとったら邪魔になるで?」


 絹子が背中を小突いても、勇助は動きません。

 彼の視線の先には、やけに露出度の高い女の姿がございました。


「……誰?」

「ブランドバッグ女じゃ」


 勇助が行きも戻りもせず気まずそうに答えると、件の女もこちらに気付いたようでした。


「あっれ~、母木さんじゃないですか? ひっさしぶり~」


 しなやかな腰つきと甘美な声……そして、例のバッグ。

 彼に苦い感情を思い出させるには充分でありましょう。


 勇助は嫌悪感をなるべく悟られないように努めましたが、後ろにいる絹子は露骨に顔をしかめました。彼のコートの裾を持つ手にも力が入ります。


「もう~。最近ちっとも連絡くれないから、寂しかったんですよ~」

「あ、ああ、すまん。ちょっと、忙しかったんじゃ」

「あ、そうだ。前に母木さんに貰ったやつなんですけど~、これ古くなっちゃったんですよ~」


 しかし女が見せるバッグは、型こそ同じでも、どうせ別の男が買った物なのでしょう。


「でも勝手に捨てたら母木さんに悪いから~、大事に使ってたんですよ~。ねぇ、だから新しいの買ってくれません? ちょうどそこのお店に、新作が置いてあるんです~」

「あかん!」


 この期に及び、女は身体を密着させてまでして勇助からおねだりをしようとしました。そこへ割って入ったのは、他ならぬ、我慢ならなくなった絹子でございます。

 たしかに物怪の心身は、向かう人間の感情に左右されるものです。だからとて、常に相手の顔色ばかり窺って媚びへつらうだけのものであるかと申しますと、答えは否でありました。


「え、誰、あんた? なんで睨んでんの? 母木さん~、この子こわい~」

「勇助さんは、あんたのお財布とちゃう。お金が目当てなんやったら、もう関わらんといて」

「はぁ? なに言ってんの、あんた? え、もしかして母木さん、今こんなダサい子と付き合ってるんですか~。あたしがいるのに、ヒドいですよ~。男っぽい服で、オシャレする気ゼロじゃないですか~。あり得ませんって~」


 勇助は唇を強く噛み、無言に徹しておりました。


「え? もしかして本気なんですか?」


 その態度を肯定と受け取った女は、見るみるうちに瞳を冷たくしてゆきました。


「あっそ、そういうこと~? マジ無いわ~。じゃあね、バイバイ。もう関係無いから、ダサ子と仲良くやっててくださいね~」

「ちょお、待ち!」


 手をひらひらさせて過ぎ去ろうとする女を、絹子は肩を掴んで振り向かせました。そして一瞬の隙を突いてペチンと一発、デコピンを食らわせたのであります。


「はぁ? なにすんの? ふざけんじゃないわよ!」


 逆上した女は絹子の頬を引っぱたき、(きびす)を返して足早にその場を立ち去りました。


「すまねえ、絹子。俺のせいで恥かいて、ぶったたかれて……」


 ようやく勇助は、申し訳なさそうに口を開きました。


「ええねん。それより勇助さん、後を追うで」


 対して絹子はにっこり笑うと、彼の手を引いて駆け出しました。勇助はその意図が分からぬまま、例の女を追って駅の改札口まで連れられたのです。


「見ててみ」


 女の動向を注目しておりますと、券売機の前で女は悲鳴を上げました。誰かに何かされた様子も無いにも関わらず、財布を手にして突然くるったように喚きだしたのです。

 挙句にはお札も小銭も区別無く、辺りにお金をぶち撒けておりました


「お前、さっき何をやったんじゃ?」

「葉っぱをお金に変えてみせるのは有名やん? それの逆バージョンや。自分のお金が全部、葉っぱに見えるようにしたった。まあニ、三日で元に戻るから、別に構わんやろ?」

「なるほど、そりゃええが」


 混乱極める女を尻目に、二人は笑いながら帰路に着いたのでありました。




 畳の上で茶を飲み、勇助は一日の出来事をしみじみと思い出しました。


「ありがとうな。なんかスッキリした。胸のつっかえが取れたみたいじゃ。今にして思えば、なんであんな女に惚れたんか思い出せん」


 口から出た言葉は、絹子に対する初めての感謝であります。


「うん、どういたしまして。ああ、そうや……これで、恩返し、してもうたんやね」

「ん、ああ、そうかもな」

「これで勇助さんも、また普通に、人間の女の子と恋したり出来るんやろうね。引きずっとったもの、振り切ったからね」

「そう、かもしれないな」


 絹子は心底からの寂しさを隠すことなく顔に表しました。勇助もまた、今や想いとしては同じでありましょう。


 しかし、しかしです。事実として恩返しが果たされたからには、絹子の意思でここに留まることは出来ません。勇助のほうから一緒になってくれと求められぬ限り、これ以上は傍で付き従うことはかなわないのです。

 それが化け狸の義理なのですから。


「それじゃあ、な」


 ところが勇助には、ここで引き止めるだけの言葉がありません。


「短い間やけど、お世話に……」


 絹子が三つ指突いて頭を下げようとしたまさにその瞬間、予期せず呼び鈴が鳴りました。


「誰じゃ、こんな時間に?」


 時計の針は天辺を回った頃合です。まともな来客とも思えませんが、やむなく勇助は扉を開けました。そして、絶句しました。


「こんばんは。母木勇助さんのお宅は、ここで間違いないですよね?」


 そこにいたのは、見知らぬ女でした。

 正確には女達です。

 なんと目算で十人以上、勇助の家の前で列を為しておったのであります。


「な、何者じゃ、お前ら! 化生のものか、魔性のものか、正体をあらわせ!」


 彼が怒鳴ると、女達は揃って身を縮めました。そして次々に耳やら尾やら角やら羽やらを現し、口々に事情を訴えるのです。


「亀を助けてもらったのでお礼をしようとしたら、鯛や平目の舞い踊りなんかどうでもいいから息子の嫁になってくれと頼まれまして」

「勇助さんの嫁になれば、盗られた羽衣の在り処を教えてくれるって聞いて来たんですけど」

「小さいつづらも大きいつづらもいらないから、息子に嫁が欲しいと言われました」

「日本一の男に鬼退治を止めるよう交渉してやるから、代わりに誰か息子の嫁になってくれって話でしたが」

「雪の中で寒そうにしていた私に笠をくれた人が、自分のことはいいから息子をよろしくと」

「おむすびの対価に嫁をよこせって……」


 あれやこれやと言い寄ってくる女達を、勇助はご近所に迷惑がかかるほどの声量で一喝致しました。


「お前ら、帰れ! 帰れ! 嫁ならもう間に合っとる。一人で充分じゃ!!」


 それはまた同時に、絹子への事実上のプロポーズでもありましたとさ。




 この一件について、勇助の父親は後にこう語っております。

「まさかあのヘタレ息子が、一人目で決めるとは思わなかった」と。


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