嘘つき爺さん・上
あるとき、あるところに、嘘つきな男がおりました。
それはもう大変な嘘つきでした。どれほど嘘つきかと申しますと、若い頃から口を開くことと嘘をつくことが同義であったと言っても過言ではございません。昨日は一日中寝て過ごしたと嘘をつき、今日は午後から雨が降るらしいと、くだらない嘘をつき続けるのです。
そんな彼も年を経ると、嘘つき爺さんとして広く知られるようになりました。世の親御さん達が、決して関わってはならぬ人物の代表として彼の名を子供に教えるのです。
されど古今東西、禁止されているものにこそ食指が動く人間は少なからずいるもの。
とある仲良し四人の少年少女は、夏休みの自由研究課題として、嘘つき爺さんの語るホラ話を取材しようと思い立ちました。
照りつく日差しの下、四人は彼の屋敷を訪ねました。緑色の屋根と黒い扉が特徴的な、二階建ての建物です。
しかし呼び鈴を鳴らしても返事はありません。
『出ねーな』
『いないのかな? でも、昨日も一昨日もだったわよね』
『ひょっとして、嘘なんじゃないのか?』
『何が?』
『本当はいるんだけど、いないって嘘をついている可能性もあるってことさ。なにせ嘘つき爺さんだからね』
『だったら、勝手に入っちゃっていいってことか』
『もう止めようよ。カブトムシの飼育日記とかでいいじゃん』
『でもドア、開いてるぜ』
『あ、待ってよ』
『んだよ、ビビッてんのかよ』
若人達はやいのやいのと論じておりましたが、一人が黒檀の扉を開け、靴を脱いで上がってしまいますと、残る三人もそれに続きました。
『すいませーん。誰かいませんかー?』
板敷きの廊下を進みながら呼びかけますが、それでも反応は無いのでした。
『でも、大きな家よね。庭も広かったし』
『生まれたときから嘘つきだって噂だぜ。きっと人を騙したり、悪どいことして稼いだんだろ』
廊下は四人が横に並んでも余るほど幅があり、壁には見たこともない彫刻やら絵画やらが整然と飾られております。しかもいずれも、手入れが行き届いていて綺麗なものでした。
『それにしても、本当に留守なのかな?』
『二階にいるんじゃないかしら』
『行ってみようぜ』
『止めようよ。無断で上がって、お爺さんに見つかったら怒られるよ』
『てゆうか、その爺さんを見つけるためにやってんだろーが』
最後尾にいる気弱そうな少年の制止も聞かず、先頭の少年は螺旋状の階段を一段飛びで上りきりました。
と、そのときであります。少年は物陰から出てきた女性と鉢合わせになりました。
その女性は、美の女神が自らの手で創ったのではないかと思うほどに均整のとれた容姿をしており、しかも黒を基調としたロングスカートのメイド衣装に身を包んでおりました。それこそ絵画彫刻が動き出したかのようです。
少年が目を奪われるのも無理からぬことでしょう。しかしその一瞬の隙に彼女は彼に詰め寄り、手首を掴んで捻り上げました。それから先は疾風怒濤。彼女は、慌てて駆け寄ってきた残りの三人も瞬く間に投げ飛ばし、全員を荒縄でふんじばったのでございます。
後ろ手に縛られた四人はメイドに連行されながら、ひそひそと呟きました。
『だ、だから止めようって言ったのに』
『うっせーな。んなこと言っても仕方ねーだろ』
『それより、この女の人は誰なのよ。お爺さんの家に人がいるなんて聞いてないわよ』
『なるほど、一人暮らしという情報さえも嘘だったわけだ』
対して彼女はずっと無言で、淡々と歩き続けました。
そして四人が連れられた先は書斎のようでした。固い装丁の本が山となって壁を覆い、若者らを圧倒しております。
「あなた、侵入者を捕まえましたよ」
それまで一言も喋らなかったメイドが、ようやく口を利きました。
そこで初めて四人は、書斎の奥で揺り椅子に腰かけている一人の老人の存在に気付いたのでございます。
老人はテーブルに置いたノートPCで何か動画を見ているようでしたが、彼もここでやっと四人に気付いたらしく、モニターを閉じて立ち上がりました
一列に並べられた少年少女の顔つきを眺めて、にたりと笑ってから、彼はメイドに目配せしたのであります。
「ああ、ご苦労。じゃあ……お茶を淹れてくれ」
「はい。では、ただいま」
彼女は軽く頭を下げてから退室致します。
『なあ、いま、なんて言ってたんだ?』
『あたしに聞かないでよ。多分、二人だけの秘密の暗号とかじゃないの?』
しかし四人には、彼らの会話が分かりません。老人の言葉こそ普通に理解できましたが、メイドのは意味不明な単語の羅列のように聞こえるのです。なのにどういうわけか、この老人とメイドだけは互いにそれで通じ合っているようではありませんか。
だから一層、四人には不気味に思えてしまうのです。
『お、俺たちをどうするつもりなんだよ』
最初に屋敷へ上がった勝気な少年が老人に問いかけました。彼は虎の耳と尾を持ち、鋭い瞳と八重歯が印象的でございます。
老人は涼しい顔で答えました。
『お前達は運が無かったのう。わしは闇の社会と繋がりがあってな。昼寝を邪魔する悪ガキは、人買い組織へ売り飛ばすことにしておるんじゃよ』
『げ、ま、マジで……?』
『嘘じゃよ』
虎耳の少年が頬を引きつらせて総毛立つと、老人はにたりと笑いました。
そして老人は虎耳の隣でぼんやりしている、気だるげな少女の太ももを嫌らしい目で眺めました。四人のうちでは紅一点。ふわふわとしたくせっ毛が魅力的でありましょう。
『こんなに絶妙な年頃の女の子を、わざわざ他人に渡すわけがないじゃろう。この屋敷の、秘密の地下室でたっぷりと可愛がってやるんじゃよ』
『ちょ、待って、イヤよ。いや、嫌ぁ!』
『嘘じゃよ』
くせっ毛少女が涙を浮かべて首をぶんぶん振りますと、老人はにたりと笑いました。
次に老人はくせっ毛の横で俯いている、気弱な少年に近寄って舌なめずりをしました。小麦色の肌と、捻じれた二本の角は黒角人の証であります。
『わしはな、実はどっちでもいけるんじゃよ。むしろ最近は、少女よりも少年のほうが好みじゃな』
『だ、だからアサガオの観察日記にしようって言ったのに~』
『嘘じゃよ』
黒角が世を儚んで目をつむると、老人はにたりと笑いました。
さらに老人は黒角の脇で姿勢を正している、知的な面持ちの少年の前に立ちました。もうお察しだとは存じますが、彼の背には一対の白い翼が生えております。
『そんな酷いことをするはずがないじゃろう。わしは子供が大好きなんじゃ。未来を担う若者がな……そうじゃ、お前達に奨学金として金の延べ棒を一本ずつプレゼントしてやろう』
『それ、嘘ですよね』
『ああ、もちろん嘘じゃよ』
白翼が努めて冷静にあしらうと、老人はにたりと笑いました。
少年少女を一通りからかったところで、老人は彼らの縄を解きました。
その頃合を見計らったように、メイドがお茶を運んで参りました。それは特に言われるまでもなく、五人分でございます。
老人と少年少女。五人はテーブルを囲んで仕切り直しました。四人は屋敷を訪ねた目的を話し、老人はそれに頷きます。
『お前達もなかなか酔狂なことを考えつく。じゃがここで素直に嘘の話をしたら、わしとしてはあまり面白くないな』
そこで、と老人は茶をすすります。
『お前達には特別に、とっておきの真実を話してやろう』
ちゃんと嘘の話をしてくれなければ自由研究にならないという声も挙がりましたが、どうせ嘘に決まっているから聞くだけ聞こうと白翼が主張したため、四人は老人の言葉に耳を傾けました。




