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良い子と悪い大人のための平成夜伽話  作者: 橘圭郎
第一部 《魂萌え雀》
16/51

南海のスイートハニー・上


 あるとき、あるところに、精力絶倫な男がおりました。


 彼は探検家であり、探求者でありました。

 心を動かされたものに対しては何でも気が済むまで追究しなければ収まらぬ気質。世人は彼を万能の天才として褒め称えましたが、彼自身は周りからの評判など、どこ吹く風であります。

 また同時に、一つの分野に絞れば世界を獲れるのに勿体ないと言われておりました。世界を変えられる逸材なのに、とも。

 しかし彼の耳には届きません。男は今現在の好奇心が満たせさえすれば、万事それで良かったのです。


 ところで、海の水がどうして塩辛いのかご存知でしょうか。此度の話はそれにまつわる昔話でもございます。


 さてそんな男が船旅に傾倒し、海原を渡っていたときのことでした。予期せぬ嵐にぶつかった客船が転覆してしまったのです。

 海中に投げ出された男は意識を失い、荒波にさらわれるまま漂いました。


 流れ流されて、着いた先は島でした。静かな火山を中心にして、四時間も歩けば一周してしまうような、小さな無人島でございます。

 そこで男はサバイバル技術にも精通していたため、慌てず騒がず手際よく、食糧と寝床の確保に努めました。浜辺に小屋を建てて拠点としたのであります。


 ただそれでも、人の為す(すべ)には限りというものがございます。何日も食べ物がとれないときもありました。日照りに悩まされるときもありました。

 そんなときには何故か決まって、目を覚ますと浜辺にサメが打ち上げられていたり、葉を編んで作った器に真水が満たされていたりするのでございます。


 これは不思議なことがあるものだと思った男は、脱出用の(いかだ)作りを中断して調査に乗り出します。しかし、分け入っても分け入ってもただの無人島。何か曰くありげな遺跡があるではなく、何か特異な生き物が棲んでいるでもありません。

 少なくとも、島の上には。

 彼が敢えて飲まず食わずで過ごしてみますと、三日目の晩に動きがありました。小屋の外で、何やらひたひたと音がするのです。

 そこで待ち伏せていた男は飛び出しましたが、同時に何者かの気配は消え失せてしまいました。いつの間に置かれたのか、波打ち際にはマンボウが横たわっております。


『なんだか分からんが、姿を見せろ。お前は俺を生かしたいのだろうが、お前の正体が分からないうちは何も食べんぞ』


 男は辺りに呼びかけましたが、返る言葉は無く、木々も波も至って静かなものでありました。


 反応があったのは朝日の昇る時分のことです。マンボウをどうやって処理しようかと頭を捻る男は、どこからか細い声がするのを聞きました。


『あ、あのぅ……昨日は何も言わずに逃げちゃってすみませんでした。でも、困らせるつもりじゃなかったんです。怒らせちゃったらごめんなさい』


 しかし声のするほうへ顔を向けても、あるのは海だけです。


『いいから、顔を見せてみろ。でなければ話にならん』

『……それは、嫌です。わたしの姿を見れば、きっと怖がらせてしまうから……』

『こないだから水や食べ物をくれていたのはお前だろう? だったらお前は俺の、生命の恩人みたいなものだ。それを恐れるなんてあり得ない』

『そんな……嘘ですよ』

『そんなの、お前が決めることじゃない』


 男が毅然(きぜん)とした態度でいると、しばらくの沈黙の後、その声は申し訳なさそうに言いました。


『……じゃあ、ちょっとだけですよ……』


 するとどうでしょう。

 水平線を破るように、大きな影がぬぅっと顔を覗かせたではありませんか。


 その巨大さたるや、海中から島がもう一つ浮かび上がったと見紛うほどでした。それでいて水しぶきはちっとも立たず、その様はむしろ海水そのものが練り上がっていくよう。くらげみたいな髪を振り乱す頭の先から、鈍い輝きを放つ双眸、人間など軽く一飲みに出来るであろう口元を経て、徐々に半身を現します。

 空を覆い隠さんばかりにそびえるその巨躯を見上げて、男は口を開きました。


『なんだ。この俺を怖がらせるとかうそぶくくらいだから、てっきりグチョグチョでドロドロの、見るも無残な人間のなりそこないみたいなものを想像していたんだが……ただのでっかい女の子じゃないか』


 すると海より出でたる巨人は、目をぱちくりとさせました。


『え、そ、それだけですか? もっとこう、なんだこりゃーとか、食べられちゃうーとか、そういうのは無いんですか』

『そう言ってほしいのか? お前は俺を食べるのか?』

『あ、いえ、違います! そんなこと、決してしません! そんなわけないですけど、意外と普通にしてくれているので、逆にこっちがびっくりしちゃいました』

『ところで、俺に何の用だ? どうして俺を助けてくれる?』

『はわ、えっと、ですね……お願いが、あるんです』


 大きな少女は、クジラでさえも鷲掴みに出来そうな手を胸の前でもにょもにょとすり合わせ、顔を俯かせて言いました。


『わたしと、と、友達になってくれませんか?』


 これほど胆力と好奇心ある男が、これほど珍妙な少女からの申し出を、断るはずがございません。


 こうして男と大きな少女は友達となったわけですが、その後も彼女は男に何度かお願いを申し込みました。

 でもそれは今どき等身大の娘でも願うこと珍しい、とても些細なものばかりでありました。


『あ、あの、浜辺で、二人で、あははうふふって言いながら、追いかけっこをしたいんです』

『それは無理だ。身体の大きさが全然違うんだから、駆けっこにならんだろう。間違って踏み潰されたら適わん』

『はぅ……じゃ、じゃあですね。えいっとか、やったなーとか言いながら、水をかけ合うのやってみたいんです』

『それも却下だ。お前は俺を溺死させる気か』

『あう~。じゃあ、じゃあ……そうだ、星を観ましょう! この辺は街灯りが無いから、とってもきれいなんですよ!』

『それなら良かろう』


 男は山頂の火口付近に座し、大きな少女は山肌に寄りかかって、共に夜空を見上げます。

 彼女は満天の輝きを指差しながら、あの赤い星はさそり座ですとか、北の空に浮かぶ二匹の熊には神々の愛憎劇に巻き込まれた親子の悲しい逸話があるのですとか、口を開けば止まりません。

 ところが少女が指し示す星座は、男が知っているものとは全然違うのです。


『どうしてお前は、俺でも知らない神話を知っているんだ? もしかしてお前の創作か?』


 男が疑問を呈すると、それまで天衣無縫に微笑んでいた彼女が僅かに顔を曇らせました。


『ずっと、ずぅっと昔のことを憶えているだけですよ』

『そうなのか』

『そうなのです。あ、知ってますか? さっきわたしが言った、こぐま座のコカブっていう星は、()()、いつも北の空にあって動かないんですよ』

『北極星だろ? そのくらいは知っている。常識だ』

『えへへー』


 彼女は頬を緩ませながらも、どこか寂しそうな面持ちでありました。その理由を、生命(いのち)に限りと定めある男は決して理解し得ないでしょう。


 東の空が赤みを帯びてくると、大きな少女は伸びをしてからおもむろに立ち上がりました。


『朝になっちゃいましたね……わたしたち、二人っきりで、一晩を過ごしたんですよね』

『語弊はあるが、間違ってはいないな』

『あ、あの、それで、その、お願いがあるんですけど、いいですか?』

『今度はなんだ?』


 少女は何度も深呼吸をしました。何度も自分の胸に手を当てたり、顔を隠したりしました。そして、意を決して言いました。


『だ、だ、だ……ダーリン……って、呼んでも、い、いいいいですか?』

『……まあ、お前がそう呼びたいのなら構わんが』


 決死の覚悟で、おそらくは心臓が張り裂けんばかりの想いで面する少女に対し、男は至って冷静に答えます。


『だ、だ、ダーリン! きゃー、言っちゃった! で、で、で、ですね! わたし、ダーリン、ハニーって呼び合う甘々な関係が夢だったんです。だから、えっと、出来たら、わたしのことも……』


 そこで彼女は口をもごもごさせました。男もその言葉の続きを察してはおりましたが、さすがに言葉にするのは自尊心が阻みます。


『えっと、あの、分かってるんです。わたし、人間じゃないですから、ダーリンとは恋人同士になれないってことくらい、分かってるんです。でも……だから、ごっこでいいんです。おままごと、みたいなものだと思ってください。それでも……ダメですか?』


 大きな少女はじっと下を向き、目を合わせようとはしませんでした。


『恥ずかしいから、そればっかりは遠慮させてもらおう』


 とてもいじらしくはありますが、男もなかなかに頑固でありました。


『あぅ……で、でもでも、いいんです。いつか言わせてみせますから! それで、その、そうなったら、その先は……きゃーん、恥ずかしい!』

『勝手に話を進めて、勝手に身悶えするんじゃない。地面が揺れる!』


 こうして二人の、仮初(かりそめ)の蜜月が始まるのでございます。


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