本屋がーるにくびったけ
ほんとうのことをいっても
ほとんど全世界が凍ってしまわないのなら
今なら「本屋」の意味を断じてしまっても
よくなっているかもしれない
そもそも
文字は映像に及ばない
からはじまって
紙ベースの非経済性もそうだし
本が大好きだというひとはまだいっぱいいるとしても
本はネットで手に入れるというひとが日々増えている
中での「本屋」
廃人の妄想を口にしていいなら
もういらないといってしまっていいでしょう
ただ行きたい居たいって気持ちがなければ。
そんな中 「本屋がーる」ははたらきます
うそ 「本屋がーる」なんてどうでもよくて
よかったのはむかしの話
むかし閑ーひまーな時間をつぶした話
いくところがないとそこへいってたって話
そこには、幾つも世界があったって話
無限の空があったって話
なにひとつ足りないものがなかったあたたかさの話
本屋のない人生なんて生きてこれなかったっていう
情けなくも 凄惨の一歩うしろを歩いていたって話
泣きが入って全身ちから入らず崩れ堕ちたら
そこには物語としての劇的が生まれたって
少々やっかいな絵空事の話もそうだね
よかったのはむかしの話
悪かったのもむかしの話
そんな中「本屋がーる」ははたらきます
日常もハレの日も曇の日も雨の日も雪の日も嵐の日も
叶えられない夢に出会った夜も
いつもいつだってそこにだけは
居場所があった気がしていた
別になにかを求めているわけではなくって
居心地が良かったってこころのありようの話を
どうしてもしたいというわけでもない
あえていえば「本屋がーる」に会うためだけに
かよいつめてたって話に落ち着く天与の純情
ほら よくいうでしょ
人はパンとワインがなければ生きて行けないが
本屋がなければ生きていていい証明ができない
そんなひとごとのように孤独を語りたいわけでなく
おそらく死ぬまでひとりであろう生きてゆく時間を
「本屋がーる」にくびったけって
にこにこ笑いながら過ごしていくごくつぶしとして
そんなわけで生きていくからね。




