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タフ・ネゴシエーター

「うわあ。このステーキってのはおいしいなあ。西方世界の味だなあ」


 小十郎は夢中になってスティーブの焼いたステーキを食べている。そうだろうそうだろう。うちのステーキは世界一だからな。気に入ったのなら何枚でも食べなさい。東方産の香辛料も好きなだけかけていいぞ


 俺はなんという幸運な男だろう。こんな素晴らしい魔獣をタダで手に入れることができたなんて。小十郎かわいいやつめ。何が「愚か者の宝」だ。貴族連中めお前らの目は節穴だ。やはり世間で揉まれている俺の苦労が生きたな。


 47万ガスティオ金貨と口から出たでまかせの値だったが、冗談ではなくそれくらいの価値はあるかもしれない。なにせこいつの変化(へんげ)の魔法は、ドッペルゲンガーの変身術に勝るとも劣らないクオリティだったからな。


 まずは目の前にいた俺に化けてもらったのだが、腹をポンと一つ打つだけで、小十郎は俺自身見分けがつかないほどの生き写しと化して誇らしげに胸を張ったのである。


「これぞ先祖伝来の『月光木の葉変化の術』の奥義!どれだけ修行を積んだ高僧でも、見破ることあたわぬという、タヌキ族門外不出の秘術です!」


 もちろん、声も模写できる。タヌキが続けて化けたのは、オークション会場で小十郎を俺に引き渡した飼育係で、その声色には確かに聞き覚えがあった。


 一文も払わずにとんでもない大当たりを引いたとわかって、あの時は思わず小躍りしそうになった。これで俺の前途はかなり明るいものになっただろう。こっちの話もちゃんと理解してくれたようだしな。


「この計画が成功したら自由身分にしてやるからな。ステーキをどんどん食べてがんばってくれたまえ」


 小十郎のご機嫌は取っておくに越したことはない。モチベアップのために褒美はどんどん与えていかないとな。


「本当ですか?じゃあ明日拘証執行人こうしょうしっこうにんのところにでも行って身分契約書を整えてください」


 あれ。こいつ何で拘証執行人のことなんて知ってるんだ?東方の僻地出身の割にこちらの事情に詳しいじゃないか。


「47万ガスティオ金貨ってのもかなり大げさな数字なんでしょう?実際は20ってところかな。あと僕が出品されてた場所、アレはまともな市場なんですか?」


 なんか今までと目が違うぞ。下手すりゃこちらを見下すような狡猾な目だ。


「それにしても、実のおじさんをだますだなんて、事情があるとはいえ、あまり褒められた思いつきじゃありませんねえ」


 こいつ、駆け引き打ってきやがった。計画の実行のためにはどうしてもこちらの事情を説明しなければならなかったとはいえ、ちょっとペラペラ喋りすぎたか。変化の術を見て舞い上がって気が緩んでしまったのもあるが、この魔獣めを俺はナメすぎていたのかもしれん。


「脅しても無駄だ。なんならここに一生閉じ込めておいてもいいんだぞ」


「いえいえ。脅すつもりなんて毛頭ありませんよ。ただ、こちらとしても口約束では安心できませんからねえ。協力関係のためにも、確固とした契約による保証がほしいところでして」


 言われるまでもなく実はその通りなのだ。今の状態ははっきり言って完全な拉致監禁である。小十郎から見れば俺は、自分の生殺与奪の権を握っている危険な相手だ。一刻も早く身の安全を確保しなければならないところだろう。ステーキ食わせる程度のことでごまかせるはずもないじゃないか。


「あと、そんな悪巧みをするとなれば、アルベルトさんの方も僕が裏切らないように縛りをかけておきたいところじゃありませんか?」


 いいところを突いてきやがる。そこはずっと懸念材料だった。計画の途中でこいつになにもかもぶちまけられるリスクはずっと頭にあった。何らかの魔法的手段なり賞金首制度で脅すなりでそこは解決するつもりだったのだ。実際かなりエグい手を使うことになっただろう。


 しかし拘証執行人か……俺も候補の一つとして考えてはいたが、ありゃものすごく料金が高いからな。約束を守らせる効果は抜群だが少し考えてしまうところはある。こっちに課される義務も重いし。ただ信用のほうは文句なしに抜群だ。秘密も絶対に外部には出ないようにしてくれるだろう。


「いいだろう。かなり面倒な契約になりそうだが、そちらの要求はなんだ?」


「計画の成否にかかわらず3年後には奴隷身分から解放すること。それから、計画が終わった時に口封じでもされちゃたまりませんからその禁止。明確に失敗した時の処遇も詰めておかないと。あとは成功時に例えば金銭的な報酬を設定しておく必要があるのと、生活環境の確保、特に書籍代は多めに見てもらいたいです。たまに家庭教師も呼んでほしいな……それからそれから……とりあえず明日までにまとめておきます」


 うーむ。こいつとぼけた顔してこんなこと考えてやがったのか。油断ならないタヌキだ。


「拘証執行人まで持ち出すってことは、本気で計画に協力する覚悟はあるんだろうな」


「もちろん。相手は文句なしの天才ですが、みごとやってのけてみせますよ」


 拘証執行人ってのはいわば「約束を守らせるプロ」だ。嘘を見破る魔法だの、良心の呵責を計る魔法だのを使って、契約違反を発見すれば確実にペナルティを執行する。依頼者は自分や家族の生命や寿命なんかを身代(みのしろ)にして魔法の契約書にサインするから、例え王侯貴族でも義務の履行から逃れるのは困難なのだ。


「他になにか言うことはあるか」


「できるだけ早く最新版の東方の(こよみ)を手に入れてください。月の巡りを正確に把握しないと変化の術が使える晩がわかりませんから」


 これはこっちも手立てを整えないと逆に出し抜かれるな。拘証執行人との契約については、父の友人コネクションの中に詳しそうなのが何人かいるから、色々聞いておかないと。


「契約条件についてはそれほど急がなくてもいい。明日と期限を切るつもりはないからゆっくり考えてくれ。具体的な交渉はそれからだ。東方の暦についてはなんとかしよう」


「ではその方向で。それからステーキおかわり」


 ステーキ美味そうに食ってたのはウソじゃないらしい。


「しかし、なんで拘証執行人なんて知ってたんだ?コンピラ国?だっけ、お前の故郷にはそんなことまで伝わっているのか」


「東方との大口の貿易取引なんかでは普通に使われてるじゃないですか。便利な魔法体系だって、こっちの方でもずいぶん前から興味の的ですよ」


「その割にはステーキ知らなかったな」


「そう言えばそうですね。そういう知識も勉強しないと」


 早い段階で利害の確認ができたのはむしろ幸運だった。認識していたとはいえ、あいまいにしていた部分も多かったからな。小十郎との交渉で問題点が明確になった。


「蛭語の勉強の方はどんな感じだ?」


「あのハンドブックの範囲なら、そんなに時間はかからないと思いますけど、実地でやってみないとどうしようもないこともありますね」


 実地と言ってもなあ。蛭語使うのってミヒャエルおじとヒルミの二人だけだし。その二人と対面させるとなるとなあ。


「カタコトですけど、試しにしゃべってみましょうか。『ひるっ、ひるっ、ひるるーん』どうです?」


 わからん。文法と発音の基礎は学んだはずだがわからん。


「『あなたの瞳は美しい』って言ってみたんですけど」


「わからん。わからんが、音の感じはヒルミとミヒャエルおじとは明らかに違うな」


「そうなんですよねー。どうにかなりませんかねー」


 魔法でどうにかするか?あとは二人がしゃべってるところを盗み聞きさせるしかないな。


「まあ、考えておくよ。おじは今でも蛭語の研究を続けてるから新しいレポートや辞書の原稿なんかが出てきたらすぐに見せよう」


「お願いしますねー」


「ステーキの二枚目持ってくるからちょっと待ってろ」


 こいつの本性が分かった以上、戸締まりだけは厳重にしないとな。スキを見せたら即逃げられる。まあ地下(ここ)から出られはしないだろうが……捕らえられている部屋の鍵だけじゃなくて、あちこちに仕掛けられたトラップやら、見えない魔法の扉やらを突破しないといかんからな。


 スティーブは厨房にいるかな?あいつもたくさんステーキが焼けて嬉しかろう。あれ?誰か俺のこと呼んでる?なんか声が聴こえるような気が。


「……アルベルト様……アルベルト様」


 メイド長だ。長って言ってもメイドは2人しかいないけどな。何かあったのか。そんな小声で言わなくてもいいのに。


「……アルベルト様、ご来客です。執務室の方ではなく、施術院の待合室にお通ししました」


 こんな夜中に来客かよ、と思ったがわざわざ施術院の方に通す客なんて一人しかいない。


「制服で来てるのか?それとも私服?」


 だいたいあの人が来る時にはろくなことがないので、ちょっと気を引き締めていかないとな。


「私服です。ただ、ご機嫌はかなり悪そうかと」


 つまり、ビジネスの話題ではない。


「スティーブに鉄板を温めておいてくれと伝えてくれ」


 すぐに片付く用件だといいが。あの人の扱いは昔からどうすればいいのかわからない。父もこればっかりはアドバイスを残してはくれなかった。


 待合室からは確かに明かりが漏れているな。今度はいったい何を注文つけに来たんだ。


「あらアルベルト、遅かったわね。あんたこんなくだらない雑誌を待合に置いてるの?『仮面の怪盗Hまたしてもル・ノルトルに現る!』『カジノ・ド・ルッシーニで一攫千金の必勝法発見!』『ル・ノルトル駐在退魔騎士に交代の噂 聖王庁内部に人事を巡る抗争か』どうしようもないゴシップ記事ばっかりじゃない」


 相変わらずのようだ。


 ではご紹介しよう。ケチをつけながらも三流雑誌に夢中のこの女性は、わたくしアルベルト・アルベンクラッテの母にして「善き魔女の会」の最高幹部「七姉妹」の席次5位を占める一級魔女、ローズマリー・アルベンクラッテ女史である。けっこうな齢のはずだが、魔女なので異様に若く見える。ほとんど少女だ。あと、私服の趣味もかなり変わっていて、こんな短いスカートとぴったりした上着を身に着けていたら、たぶん男に声をかけられることも多いだろう。その男はナンパしたとたんに消し炭と化すかもしれないが。


「おじさんはいるのね?最近ずっとこっちに泊まり込みだってメイド長に聞いたわよ」


 母はミヒャエルおじと折り合いが悪く、俺もほとんど口をきいているのを見たことがない。父との別居もそれが原因だったみたいだしな。そういう事情は昔からいる使用人たちなら知っていて、色々配慮してくれるのだ。


「まあちょっと色々あって」


 色々どころではない状況なのだが、ここはこう答えるしかないだろう。仮に正直に全部話したらどう反応するのか気にならないでもないけどな。


「あんた、ヤバいわよ」


 母さんの目がマジだ。


「バルバラ商会の空売り、あれ、おじさんでしょ?」


 うわ。どこで知ったんだ。取引銀行が漏らしたか?あ、普通に魔法か。水晶玉予知とか魔女の得意技らしいし。


「謎の投資家X氏ってやつですよね。アバロンの連中がやったイタズラらしいじゃないですか」


「図星か。目が泳いでるわよ。あんたウソの付き方もう少し勉強しないとこの家の当主やってけないわよ」


 息子相手にカマかけかよ。さすが陰湿な魔女社会を生き抜いて出世した方は違う。


「あんなメチャクチャな相場やれるの、あんたのおじさんくらいしかいないわよ。まったく、しでかしてくれたもんだわ」


「いやだから何の根拠があって……」


「シラ切るならそれでもいいけどね。そっちだけの問題じゃないから私がここに来たわけ。うちの系列の保険会社がとんでもない損害出してるんだから」


 そういえば雑誌の記事にそんなことが書いてあった。『保険ネットワーク崩壊の可能性に市場関係者真っ青!』だっけ。「善き魔女の会」は保険会社もやってるからな。「にこにこ魔女の保険屋さん」と言えば業界でも最大手の一つだ。主婦をターゲットにした営業戦略で高いシェアを保っていると聞いたことがある。


「空売りがきっかけなのかは知らないけど、悪質な契約違反やら違法取引やらがあれだけ次々と明るみに出ればバルバラ商会はもう倒産するしかないじゃない。うちは大株主だったし、デリバティブだなんだでグループ始まって以来の大赤字コースが確定よ」


 どうもそういうことらしい。時間をおくごとに、バルバラ商会が色々黒い隠し事をしていたことが明らかになってきたのだ。


「仮におじさんが空売りで「善き魔女の会」に損害を与えたとして、通常の市場取引じゃないですか。なにが問題なんです?」


「あんたねえ。うちの婆さまたちにそんな理屈が通じると思ってるの?特に3位のクソババアなんて個人資産の方でもやらかしてて、所有してたお菓子の家が抵当に取られたもんだから、怒り狂ってどうしようもないんだから。報復のためにかなりヤバい使い魔召喚する魔法陣書いてるのを今みんなで止めてるところよ」


 いっそ召喚させてしまって聖王庁との第何次だかの魔女戦争に突入させればいいのでは、と思わないでもないが、口には出さないでおこう。


「おじさんは正体秘匿にはかなり気を使ってるみたいだから当分バレることはないと思うし、私も色々調査の邪魔はするけど、表向きになったらあんたも私も即死よ。いや、即死ならいい方ね。グランドミストレスがキレたら魔女の呪いの真髄を味わうことになるわ」


「善き魔女の会」は穏健化世俗化してずいぶん長いから、俺には実感はまったくないが、かつては数ある魔女結社の中でも随一の武闘派で、全団体統一を成し遂げるまでの血の抗争については歴史的知識としては知っている。


「ここに来たのだってかなり危ない橋を渡ってるんだから。私の籍はまだアルベンクラッテ家に残ってるから、無関係なんて主張は絶対に通らないでしょうね」


 抜いとけよ、籍。おじがやらかす可能性なんて100も承知だろう。


「あくまで仮定の話ですけど、そうだとするとこっちはどうすればいいんですか」


「2億ガスティオ金貨」


 は?


「最低でも2億ガスティオ金貨用意して。それでグランドミストレスに土下座すれば命だけはほぼ助かる」


 2億って、そんな金現実に存在してるんですかね。今年の王国予算はいくらだったかな。


「たしかX氏が空売りで儲けたのは5000万くらいじゃなかったでしたっけ。詫び料込みとしても4倍はちょっと多いんじゃ」


「あの空売りをきっかけにして、連鎖的にうちの損害が拡大したの。5000万なんかじゃ到底穴埋めには届かない」


 うーん。「善き魔女の会」のグランドミストレスを怒らせたとか、2億ガスティオ金貨とか、普段の生活から遠すぎて想像力が届かない感じになってくるな。聖王庁の恐怖というのは平素から身近だが、なじみのない死のリスクについてはこんな鈍感なんだな俺。


「まあ無理よね。おじさんでもこの金額を稼ぐのはおそらく不可能。目安としては伝えておくけど、あんたにやれることはとにかく謎の投資家X氏のままでいられるようおじさんに念を押すこと」


「母さんからの情報提供があったとおじさんに教えていいんですか」


「そうね。それも揉める元だから「善き魔女の会」うんぬんのところはとりあえずぼかしておいてちょうだい。それくらいいくらあんたでもできるわよね」


小十郎との話がついて、将来の展望が開けたところにこれだ。聖王庁と魔女の会、この二大組織を相手に秘密をどこまで隠しきれるか。特に魔女の会の方は後始末の着地点が見えない。死ぬまで報復におびえながら暮らすか?魔女対策にはミヒャエルおじと協力して当たれるとはいえ、面倒なことになったものである。

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