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マエストロ

「おお!お待ちしておりましたぞ!アルベンクラッテさま!」


「申しわけない。道に迷いましてね。少しわかりにくい場所ですねこのアトリエは」


「ふふ。美の聖域に足を踏み入れることができるのは選ばれし方のみ。アルベンクラッテさまもその運命に誘われ、俗世の迷宮をみごと抜けられたということでございましょう」


 立て板に水の挨拶である。こいつが画家か。まだ若い。30代前半といったところか。ちょび髭のせいで3枚目に見えるが、よく見るとなかなかの美男だ。絵の腕の方はまあ、俺にとってはそれほど重要ではない。選んだのは一番依頼料の高いやつだ。


 しかし芸術家ってのはみんなこんなにド派手な服装が普通なのか?、おそらく東方絹で織られた紫と赤の上着(ウプランド)はやたらテカテカしてるし、タイツは黄色、室内履きのサンダルは銀色に輝いている。こいつは最高級の画家だし、客に会うときは着飾るものなのかもしれないが、いくらなんでも攻めすぎだろう。


「話はジャウネ司祭から聞いていると思いますが、できる限りの大作をお願いします」


「120センテロ超えの特注キャンバスを用意してございます。私という天才が、未だかつて人の子の到達しえなかった、超絶的かつ悪魔的な画技の冴えをお見せしますぞ」


 というわけでこれが俺の5000万ガスティオ金貨強奪作戦の第一弾である。ヒルミにはまず肖像画を贈ってはどうかと俺はミヒャエルおじに勧めたのだ。絵は贈り物としては一般的だと聞くし、想い人の美しい面影をキャンバスに残したいとは、実にロマンティックではないか。何より確実に金が抜けそうな浪費先だったしな。


 交渉は楽勝だった。


「当代一のアーティストに自分の肖像を描かせる男、これは惚れますよ」


「いくらだ?」


 これだけである。


 ミヒャエルおじは疑いもせずに8万ガスティオ金貨を俺の作った架空口座に振り込み、そのうち4万がこの画家に、5千が画家を紹介してくれた亡き父の友人ジャウネ司祭に送られ、3万5千が俺の手元に残ったわけである。濡れ手に粟とはこのことだな。


「それで、そちらの仮面の女性がヒルミ様というわけですな」


 ヒルミが付けていたのはカルルガグラの祭りで使う仮装用のフルフェイス銀製マスクである。ここまで連れてくるのには神経使ったぞ。


「あ、おじさん。ヒルミにローブも一緒に脱ぐように言って」


 脱いでもらわんと話にならんからな。全身ローブの下はいつもの通り裸だけど、こういう場ならいきなりヌードでもそれほど不自然ではない……かもしれない。しかしこの画家ヒルミ見たらどんな反応するかなあ。魔物でも世界で一体しかいない子だしなあ。


「な、なんと!美しき漆黒の美女よ!我が筆の及ぶところならざるか、まさに神の技よ!」


 すごいなこいつ。ヒルミ見ても顔色ひとつ変えないどころかお世辞まで飛ばしやがった。さすが表の世界だけでなく裏の世界でも一流の画家だ。クライアントの機嫌は絶対に損ねない応接術を身につけているということか。


「さすがに名高いテンプーロ画伯、ヒルミ嬢の美しさの極地をひと目で理解されるとは」

 

 おじもまんざらではない。ヒルミは首をかしげて「ひる?」とか言っている。おじがひるひる教えてやったのだろう、一言二言会話すると「ひるるっ」と声を上げてヒルミも嬉しそうにしている。


「声までお美しい!これは我が画業の頂点となる傑作が生まれること疑いなし!」


 この恥ずかしげもない芝居は俺も見習いたいところである。さすが上流どころか王族レベルまで相手にすると言われている商売人は違う。


 ヒルミはアトリエが気になるみたいだな。そこらじゅう絵だらけで、見たことない道具なんかもあるし、見て回る気持ちはわかる。タコ飼ってる水槽まで置いてある。


「名乗り遅れました。わたくしは美の追求者にして刹那に輝く色彩の狩人、画家のプランテロ・テンプーロと申します」


「これはご丁寧に。私はミヒャエル・アルベンクラッテ」


「ひるるー!」


 よしよし。おじも画家も余計なことは言わないようだな。このままつつがなく終わらせてしまおう。金はもう懐に入っているので俺にとってはこれは後始末にすぎないからな。


 え?何かがおかしい?そうですね。そう思われる方もおられるかもしれません。ちょっと事情の説明をしなければならんよね。違和感あるよね。


 ヒルミの存在がバレると俺は死ぬのになんで画家のところになんか連れてきてるのか、というのには理由がある。


 まずは単純な話で、ヒルミが姿を人前に見せることそれ自体は致命傷にはならないのだ。とにかくヒルミの主食が動物の血であるということさえ知られなければいい。これだけデカい港町だと、人型の魔物なんてたくさんいるし、それだけでは聖王庁退魔騎士団の出動にはつながらない。もちろん、ヒルミは超レアな魔物で人目を引くから、仮面とローブで馬車で来たけどね。


 さらに言うと、このテンプーロって画家は上流階級を相手にして絵を描いているせいもあって、極めて口が固いのだ。愛人の魔物娘のあられもない痴態とか描かせる金持ちのおっさん、みたいなクライアントはありふれていて、そういういかがわしい顧客の信頼を勝ち取ることで、こいつはこの世界で生き残ってきたらしいのである。この画家に払った多額の金の中には口止め料も当然含まれているわけだから、秘密の保持は確実に期待できるというわけだ。


 ちなみに俺もその手の美術品は見た経験があって、施術院の貴族客に招待されて入った地下室には可愛らしいコボルドたちを題材にした彫刻があったのだが……まあこの話はいいか。


「それでミヒャエルどの、ヒルミ様のお姿はどの程度『賛美』すればよろしいのでしょうかな」


「もちろん、あなたの技巧のあたう限りに!」


「おお、それは我が芸術をあらゆる常識の鎖から開放し、『生の喜び』を完全に花開かせる、という意味でよろしいのですかな?」


「うむ。ぞんぶんに腕をふるっていただこう」


「他人の目には絶対に触れさせたくないほどの美の世界をご覧にいれましょうぞ」


 やはり「そういう客」だと思われたみたいである。テンプーロは目をらんらんと輝かせている。そんなもの描かせるわけにいくかよ。見てみたい気もするが……ミヒャエルおじはわかっていないようなので画家には後で言っておこう。


 今回は初回だからいいとして、オーダーメイドの美術品は今後はネタには使わないだろうな。手間も時間もかかるし、金を回収する効率もよくない。もっと額が大きくて経費の少ない贈り物を選んでいかないと。


 ミヒャエルおじと画家は波長が合うのか、妙に会話が長い。ヒルミについてだけでなく、錬金術を用いた絵の具の調合術やら、東方の画法やら、魔術を用いた「動く絵」なんかについて延々話し続けている。俺には晩に小十郎との予定があるんだがな。こいつ客の顔色察知する術には長けていそうだし、「困ったぞ」みたいな空気出しとくか。お、こっち見た。


「では、ドッペルゲンガーを呼んでまいりますから少々お待ち下さい」


 は?


 今ドッペルゲンガーって言ったよね?これからドッペルゲンガーが来るの?なんで?俺がオークションで落札できなかったこと知ってて自慢でもするつもりか?いや、いくらなんでもそれはないか。


「ではヒルミ様、こちらの執事の正面にお立ちください」


「ひるる?」


 すぐにやってきた使用人風の男がドッペルゲンガーらしい。完全に普通の人間に見えるな。それでヒルミをどうするつもりだ?やることは予想できるが。


「ひる?」


「ひる?」


 一瞬でヒルミが2体になった。声までコピーしている。これが変身魔術か。俺も見るのは初めてだがこんな一瞬で変異するものなんだな。2体の見分けがまったくつかないぞ。


「もうお帰りになっても結構ですが、ドッペルゲンガーはヒルミ様の魅力のオーラまでは写しきれませんからな。ヒルミ様、少しの間だけいくつかポーズをとっていただきたいのですがよろしいですかな」


 なんと、この画家は肖像画のモデルの時間的、肉体的な負担を軽減するためにドッペルゲンガーを使っていたのだ。つまり、ドッペルゲンガーがモデルに変身し、プランテロはそれを参考に絵を書くので、モデルはいちいち絵のためにアトリエに通う必要がなくなるというわけだ。


 これは新機軸だ。いや、超上流では昔からある手なのか。ドッペルゲンガーも聖王庁がいい顔をしない魔物ではあるので、政治的な庇護がないと提供できないサービスだろう。へー。こんな世界もあるんだね。勉強になった。俺もこういう富と知恵にあふれた社会の一員に早くなりたいものだ。ところでドッペル一体80万ガスティオ金貨と考えてこの画家は年に何枚絵を描けば採算取っていけるんだ?他にも色々金は出ていくだろうし……


「おつかれさまでした。納期は多少前後するとは思いますが3日以上遅れたことはわたくしございません」


 ミヒャエルおじもヒルミもなんだか楽しそうにしているのは金を搾り取る側としてはありがたい。これからのことを考えると、ことはなるべく穏便に進めるべきだ。ヒルミとおじにはいい夢を見てもらおう。


「じゃあおじさん。屋敷までヒルミをお願いしますね」


「まかせておきたまえ。エスコートは紳士の役目だ」


「ひるるるっ」


 俺は画家にあまりやりすぎないよう釘を刺すために一度戻らなければならないからな。ヒルミをおもちゃにしたとんでもない絵を描かれては困る。


 制作の仲立ちをやって金を取るビジネスというのは、どうも普通のことらしく、こちら側の交渉窓口をやるのは俺ということはテンプーロ側も了承してくれている。金振り込んだのも俺だし。だからあまり過激な絵を描くなという俺の注文もある程度聞き入れてもらえるだろう。さて、テンプーロはまだアトリエにいるかな?


「申し訳ありませんが、アトリエには誰も通すなとの主人の命令でございます」


 おい召使い、俺は客だぞ。という声が喉まで出かかったが、ここで揉めたくはないのでおとなしく引き下がろう。アトリエの扉は固く閉ざされている。テンプーロのやつめ。すでに作業に入ってしまったか。あいつやたら大げさなこと言ってたけど、どんなけしからん絵を描くんだろうな。ミヒャエルおじの純情を傷つけられては困るぞ。


 まあ画家には後日あらためて伝えればいいか。まずは最初の計画に一段落ついたわけだ。しかしまだまだやるべきことは多い。とりあえずは飯を食って小十郎のところだな。東の空に月が出ている。帰路は情けなくも乗り合い馬車になるだろう。行きは迷ったが帰りはどうかな。この道を下れば、よく知った下町に出るはずだが……

 


 




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