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蛭と人

「ひるひるー☆」


「ひる?」


「ひるるるー☆」


「ひる……ひるる」


「ひる!ひる!」


「ひる」


「ひる☆ひる☆ひるうううう!」


 みなさんごきげんよう。これが一般的な蛭語の会話だ。ミヒャエルおじは天才なので、日常用いるくらいの蛭語は3日でマスターした。今は頻出単語と簡単な文法を解説したというハンドブックを執筆中である。その無駄によく回る頭を一族のために使ってくれれば、どれほどの富と繁栄をもたらすことか……


「アルベルト……蛭語は美しいな!」


 ひるひる言ってるだけにしか聞こえないが美しいらしい。いや、俺も最初は興味あったんだよ。蛭たちが喋るとなると蛭魔術の常識は根底から覆るからな。だが、どうもそういうことではないみたいだ。


 現在、蛭語を操る知的存在は全世界におそらく二体である。そのうち一体は伯父貴で、もう一体がいま伯父貴としゃべってる蛭語ネイティブのこの女の子だ。つまりこのひるひる言葉は、ほとんど彼女ただ一人のために存在しているのである。


 紹介が遅れたな。服を着ていないのには目のやり場に困るが、ミヒャエルおじと蛭語でやりとりしている緑黒くてつやつやした肌の女の子はヒルミ。蛭人(ひるひと)最後の生き残りにして、かつて限りなく強大だったサンスュ帝国の亡骸をとむらう巫女だ。俺が沼から連れてきた。


 ヒルミは蛭の要素で構成された少女だ。長い髪状の器官とひときわ黒い大きな目が印象的である。仕草なんかも女の子っぽくて、なんというかキャピキャピしている。あと声も女子っぽいな。蛭人の性別については色々あるらしいが、本人も自分は女の子だと思っているので、それでいいらしい。


「ひるるー♪」


「蛭民族の栄光は、今や彼女の記憶の中にしかないのだアルベルト!この偉大な民族の魂の叙事詩を歌い継ぐために、彼女は数千年を生きてきた……」


 ヒルミによると、かつてのザキフ沼はたくさんの王朝の都が置かれてきた蛭文明の中心地だったのだという。繁栄を極めた蛭人たちは、やがて神々のごとき力を手にするようになったが、「血の宴」と呼ばれる戦乱の時代を通じて徐々に衰退し、今ではヒルミだけがその歴史の証人なのだ。


 沼で会った時のヒルミはずいぶん腹をすかせていて、やせ細った体をしていたが、俺とおじの栄養満点の血を吸いまくったおかげで今や元気いっぱいだ。暇さえあれば「ひるる」と歌い、屋敷の中をうろうろと歩き回っている。


 まあ、間違いなく世紀の大発見ではある。ミヒャエルおじは見ての通りずっと大騒ぎだし、王都の博物学の教授だってヒルミを見たら卒倒するだろう。俺としてはそれどころではないのだが……


「そうだ!蛭語で詩を作ってみたんだ!『ひる ひるるる ひーるっ ひるる……ひるるーん ひるるっるひ るひひる』どうだ?」


 あー、いいリズムっすねー、とミヒャエルおじに対しては適当に応えておく。そろそろ(はな)っておいた間者(スパイ)が帰ってくるころだ。

 

「人語に訳すとこういう感じだな……『おお!黒き美しき蛭の少女よ!豊かな粘膜は星明かりに輝き、若き感覚器は真の愛を求める 宿命の糸に導かれ かつての都をさまよえば……」


 すべて伯父が悪いのである。ヒルミなんて放っておいて帰ってくればよかった。だが、探検隊の主なメンバーには発見物に執着する呪いががっちりとかけられていたのだ。しがらみがなければ審問官に付き出していたところだ。


 コン!


 窓に石が当たった音だ。屋敷の塀のたもとに立っている商人風の男が俺の手下の間者である。親指と人差指で○を作ってオッケーサインをこっちに送っている。


 た、助かった―!少なくとも退魔騎士団はまだ勘付いていないわけである。財産を隠し口座に移すくらいのことはできそうだ。怪しまれないように来客への応対と診療は続けておかないといけないな。


 間者のおかげで時間的猶予があるかもしれないことが判明したわけだが、まあ俺の行く末は暗い。東方に高飛びするか、アバロンにある狂王の宮廷で客分にでもなるしか生き延びる道はないだろう。


 なぜ俺がこれほどビビっているのか。まあ大体おわかりのことと思うが、ここで少しばかりヒルミ嬢についておさらいをさせていただきたい。


 まず、彼女には知性があり、言語を介したコミュニケーション能力があります。


 あ、そうそう人によく似た二足歩行の生物ですね。これは自然界にはあまり多くない。


 最後に、彼女は動物の血を吸って生きているわけです。あと月光浴も大好き。


 もうおわかりですね。ヒルミ嬢は聖王庁の定めた「吸血鬼の三要件」を完璧に満たしているのである。彼女は現在の定義上100%欠けるところのない吸血鬼というわけだ。


 色々だらしなくて融通が利くことで有名な聖王庁であるが、吸血鬼は例外だ。王族だろうが大貴族だろうが、吸血鬼の血を引いているとわかれば、超強力なハンターを差し向けて地の果てまでも追い詰める。下手をすれば軍を興し国の一つや二つ平気で滅ぼす。まだまだ偏見の目で見られることもある蛭魔術師が蛭の吸血鬼をかくまっていたと知られればどうなるか。これは火を見るより明らかだろう。


 滅びたくない。これは全生物共通の願いだ。例えばヒルミをもといた場所に帰すとか、あるいはもう腹をくくって退治してしまうとか、俺も色々考えた。だが、ザキフ沼に戻すのはミヒャエルおじが必ずや邪魔立てするだろうし、退治の方もまがりなりにも数千年生きてきた魔物に気軽に挑戦してみる度胸はない。つまり、手詰まりなのだ。せめて逃亡の準備だけはしておかなくては。


「人目につかない地下に置いておくことはできないんですかねミヒャエルおじさん」


「ヒルミ嬢がかわいそうではないか!あんな危険な場所に!」


 うちの使用人も信用できるやつばかりではない。ヒルミの存在が噂になるのもそう遠い未来ではないだろう。


 それにしても伯父貴、自分のアパートに帰ってくれないかなあ。やりにくいったらないぜ。ヒルミが来てからうちに留まりっぱなしだ。


「ひるぅ……」


 ヒルミが眠そうにしてる。彼女夜型だからな。これくらいのことは俺にもわかるようになってきた。


「おお!ヒルミ嬢!失礼しました。おいメイド長!ヒルミ嬢を浴室までお連れしろ」

 

 はいはいおやすみー。俺もそろそろどこに逃げるか決めないとな。せめて屋根があって温かいベッドで眠れる場所がいいものだ。東方だと床に寝ることになると聞くし、アバロンの連中にはそもそも睡眠の習慣自体あるかどうか疑問だ。


「アルベルト。折り入って相談がある」


 ミヒャエルおじが真剣な顔をしている。あまり見たことのない表情だ。嫌な予感がする。さらなるトラブルの尻拭いだろうか。亡父は自分の弟に対処するノウハウを山ほど蓄えていたが、俺が受け継いだのはそのほんの一部だ。いつ破滅的な事態におちいってもおかしくないと心しておかないとならない。って俺は馬鹿か。もうおちいってるだろ破滅に。


「ヒルミ嬢は私のことをどう思っているだろうか」


 は?


 なに?なに?どういうこと?いや、思い出してみればミヒャエルおじの行動や言動は一本の線でつながっていたわけである。ずっとテンション変だったからな。折り入って恋の相談とか中学生かお前は。いや中学生以下だろ恋の相談の相手がよりにもよって甥!


「結婚の申込みをしようと思っているのだ。指輪も買った。金も必要だと思ってバルバラ商会の社債をレバ300倍で空売りもしてみた。彼女のためにザキフ沼に館を構える算段もある」


 おお!あのエゲツない相場操縦は伯父上が!罪のない投資家が何人も行方知れずになったと聞きますぞ!普段からお家のためにその悪辣さを発揮してくれよ。というか今のこの状況をどうにかしてくれ。


 サキュバス詐欺事件といいノーハイム伯奥方事件といいレム女学院事件といい伯父ってこういうやつだったのである。よく言うと情熱の人。悪く言えば岡惚れ暴走機関車。


 それにしても蛭人か……守備範囲広いな。いや、わからなくもないな。俺も蛭は好きだしヒルミかわいいとかちょっと思わなくも……いや、ない!ない!ない!ありえない!危うく人の道を踏み外すところだった。吸血鬼には魅了魔法使うやつも多いしな。


 さて、ここが思案のしどころである。俺はミヒャエルおじをどのように誘導すべきか?いくつかのケースを想定して戦略的に立ち回らなければ死ぬことになるだろう。だが、ミヒャエルおじをうまいこと操れればこの危機的状況を乗り越えられるだけでなく大きな利益が得られるのでは?こいつは最高にヤバいゲームだぜ。お脳の歯車がぐるぐる回る。

 

 俺は大いなる誤解をしていたわけである。ミヒャエルおじがヒルミを手元に置きたがっているのは、貴重な研究対象だからだと思っていた。だがヒルミに惚れている事実が明らかになった今、事態は急変した。


 そもそも単純に考えて、おじがヒルミをあきらめれば、ヒルミをザキフ沼に帰すなりどこか遠くへ捨ててくるなり、すべてをなかったことにできる可能性が生じるのだ。このルートを追求する。


 それだけではない。俺にはもうひとつのアイデアがあった。おじは今、バルバラ商会の社債空売りで莫大な富を手にしているはずだ。こいつをいただく。上手く立ち回ればやれるはずだ。いくらあるか知らんが念願の爵位を買うには十分すぎるほどだろう。我が親子の積年の苦労を思えば、それくらいの対価はあっていいはずだ。


「嫌われてはいないだろうか。今日の詩の出来は実際のところどうだったアルベルト」


 ミヒャエルおじは顔を真っ赤にしている。


 いける。このチョロさなら必ずつけいる隙はある。すでに頭のなかでおおまかな絵は描けている。アルベンクラッテ一族が絶えるかどうかの瀬戸際なのだ。座して死を待つわけにはいかない。ミヒャエルおじには悪いが、次代への糧となっていただこう。アルベンクラッテと蛭魔術よ永遠に!


 結論として、俺から出た言葉は次のようなものだった。


「恋はあせらずですよおじさん。僕がキューピッドをやります」


 見てろ親父。俺は男になる。そのためには鬼にもキューピッドにもなろう。俺の一世一代の勝負がいま、始まるのだ!


 

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