第二章 鼓動2
「降って来たな」
その言葉に空を仰ぐ。
どんよりとした濃い灰色の空。また、雨だ。最近雨続き。夏から秋に変わる頃は雨が多くなる。私たちは立ち止まってローブを被ったりマントを着けたりした。
しとしと降る雨の中、私はジェラルドの後ろ頭を見ながら歩いていた。彼はもうずぶ濡れだった。
……どうして、フードをかぶらないんだろう。ロレンスも。
ロレンスは濡れてしまった髪を全て後ろに流している。
「何だい?」
見ていたことがばれた私は慌てて視線を外す。雨に濡れたロレンスはなんとなく恥ずかしくて直視できないのだ。横に近づいて来たロレンスをちらちら見上げながら、言葉を捜していると、彼は私を見下ろして、くっと笑った。
「なによ?今、なんで笑ったの?」
まだ、なにも言ってないのに笑うなんて!と思った私は強気に聞き返した。
「いいや、何でも」
でもロレンスはくつくつ笑うのを止めない。
「でも笑ってるじゃない!」
「いや、その格好があんまり、似合っていてついね」
「ローブ?」
「あぁ、すっぽり帽子まで被っていると小さな子供みたいだな」
そう言ってまた、可笑しそうに笑う。
「な、ひどい……っ!私だけ?アイリスだって被ってるでしょ!?」
私は真っ赤になって反論した。
「嫌だ、サーシャ。巻き込まないでよ」
振り返って私たちを見たアイリスが冷たく言う。
アイリスはいつもロレンスの冗談をあっさりかわしてしまう。ロレンスが完璧な笑顔で「今日も可愛いね」と言っても「ありがとう」と笑い返してしまえる。だから結局は私だけがロレンスの標的になるのだ。アイリスみたいににっこり笑ってありがとうって言えばいいのは分かっている。けれど、王子様みたいなロレンスに可愛いなんて言われてしまうと無理だと思う。
そんな事を出来るアイリスが特別なのだ。
やっぱり、アイリスとロレンスが喧嘩をしたらアイリスが勝つんじゃなくて、元から喧嘩になんてならないかもと考え直した。
だって、どう考えてもアイリスが強い。
「可愛いって言ったんだよ」
ロレンスはまだ笑っている。
「……し、信じられないわ!」
予想通り、可愛いと言われてしまった私は恥ずかしくなって逃げ出した。冗談だと分かっていても慣れていない私には軽くあしらうなんて無理な話なのだ。
ばしゃばしゃと水音を立てて走り、ジェラルドの前に出る。
これで誰にも顔を見られない。
密かに満足していると、後ろから声が飛んだ。
「おい、危ないから俺より前に出るな」
ジェラルドにも敵わない。私は仕方がなく、彼が隣に並ぶまで少し立ち止まった。並んで歩き出してちらっと見上げると、その瞬間、ジェラルドは前を向いたままくっと小さく笑った。
……な……!
また、顔が熱を持つ。あまりの事に声も出なかった。すると彼は私の方を向いた。
「すまん、分かっている。子供じゃないな」
……え……。
意外にもあっさり謝られて、拍子抜けした私は更に何を言っていいのか分からなくなった。謝られると、困ってしまう。
「……ねぇ、ジェラルドは……どんな食べ物が好き?」
しばらくの沈黙の後、困り果てた私は全く違う話題を振ってみることにした。
我ながらすごい飛躍だ。でも、いい質問かもしれない。
そう思いながら、ジェラルドを見上げていると彼はじっと私を見つめ返した。そのまま口を開こうとしない。
「な、なに?」
答えにくい質問だった?
少し戸惑いながら聞くと彼はようやく口を開いた。
「いいや、……特に好きなものはないな」
好きなものがないなんて。私はその答えにがっかりだった。もし、好きなものがあれば今度料理する機会に作ってあげられるかもしれない、と少し期待したのに。
「そうなの?じゃあ、嫌いなものは?」
これもないのかな、と思っていた。彼は出されたものは何でも淡々と食べるのだ。
「ロマネスコだな」
「えっ!?どうして?」
「あの形と匂いが……」
なんとなく気まずそうに言う。私は思わず笑ってしまっていた。でも、すぐに気付く。
「あれ?前に食べていなかった?」
別に珍しくない野菜なのだ。スープやサラダにされて宿でも何度か出てきていたはずだった。
「そうだな。別に食べられない事はない」
「でも、嫌いなの?」
「あぁ」
「できれば食べたくない?」
「あぁ」
なんだか、ジェラルドの弱みを知った気分だ。ロマネスコが嫌いだなんて、ちょっと意外。地面を見てにやけてしまっていると、ジェラルドは私を覗き込むように少し顔を近づけた。
「後ろの二人には言うなよ」
「……秘密?」
ジェラルドにつられて小声で聞き返す。するとジェラルドは小さく笑った。
「ああ、秘密だ」
森での夜、雨は止まないままだった。
湿気った焚き木がやけに大きな音を響かせながら燃えている。私たちの上ではいつものように、ジェラルドの張った光の膜が静かに雨を弾いていた。
私は昼間の会話を思い出すたびに、にやけてしまうのを押さえるのに大変だった。
二人だけの秘密だって。今度ロマネスコが出てきたら私が食べてあげよう。
そう思いながらまた笑ってしまいそうになって口元を手で覆う。
……ダメダメ。あんまりその事ばかり考えているとみんなにばれてしまう。
そう思った私は手元の本に意識を集中させようとした。きゅっと口元を結んで頬が緩むのを堪えていた。
「サーシャ、美人が台無しだよ」
自分でも一人で変な顔をしている自覚があった私は、内心大きく動揺した。
でもロレンスはその理由を誤解したらしかった。彼の目は私の手元の本に向けられている。
「そんなに難しいのか?」
「う、うん、まぁ……」
私は適当に言葉を濁した。
手元にある魔術の基本書。本当は大して難しくない。
本に使われている古代ピョーテル文字は現在使われているコナール文字の原型だった。ピョーテル文字を簡素化したのがコナール文字なのだ。だから文章全体としてみるとすごく複雑に見えるだけで、コナール文字と単語の綴りは全く変わらないし、変化の規則をいくつか覚えて自分で簡素化できるようになれば、実はすぐに読めるようになる。
私もたどたどしいけど、自力で読めるところまで辿り着いていた。本を読み込んで魔法の原理や呪文に込められた意味を理解すれば、次は呪文を使って実際に魔法の練習を始める事ができる。私が魔法を使えるようになるなんて夢みたいだ。
「そうかしら。そんなに難しくないでしょう?」
アイリスから指摘されて動揺がぶり返す。彼女は知っているから偽れない。
「え、うん……」
気づけばどっちつかずな返事をしていた。
これはまずいわ……。
「なんだか上の空ね」
「えっ、そんなことないけど……」
「ふーん、怪しい」
そう言ったアイリスは目を細めて私の顔をじっと見る。考えていることを見透かされてしまいそうな眼差し。
私は思わず、持っていた本で顔を隠した。
「そ、そんなに見なくてもいいでしょう。照れるじゃない」
情けないことに、これが私の精一杯の抵抗なのだ。
「なにが照れるよ」
アイリスが呆れたように笑う。でも、呆れられたせいか、それ以上の追求はされなかった。
ほっと一人胸を撫で下ろす。秘密って言われたのに今日のうちにみんなに知られてしまったらどうしようもない。
もう寝よう……。
自分でばらしてしまう前に。
私は本を手持ち袋にしまい込んで、みんなにおやすみなさいと告げた。最近は村と村との距離が離れている。雨で野宿だと横になって休めない。そんな日が続くと、眠っても体の疲れが取れないような気がするのだ。そんな時はいつもより早く休むようにしているから、今日私がさっさと寝てしまっても疑われる事はないはずだ。
寝る姿勢をとる前に何気なくジェラルドを見ると思いがけず目が合った。
その瞬間、少し口の端を上げて仕方がないなという顔をされた私は頬が熱くなるのを感じて、それを意識した瞬間にぱっと目を逸らしていた。
や、やだ……。
笑われた。私が何を考えていたか、きっと彼にはお見通しなのだ。思いっきり目を逸らしてしまったけど、恥ずかしくてもうジェラルドの方を見るなんてできそうになかった。
俯いたまま、今日は顔を上げられないと思った。そのまま膝を抱えて顔を埋める。
どうしよう……。
私は逃げ出したいような衝動と戦っていた。なんだかすごくどきどきする。
ジェラルドが小さく笑った瞬間に胸がぎゅっと締め付けられたのだ。
まだその余韻は続いていた。私はみんなに気づかれてしまわないように、目を閉じてそっと深く息を吐いた。
☆どうでもいい後書き☆
今回はロマネスコです。珍しい野菜と言う事で思いつきました。
日本では見たことがないので。一応、実在するよ、と言いたかっただけです。
ご存知の方はスルーしてください。
カリフラワーの一種です。
私は初めて見た時、これ、食べられるのかっ!?(失礼)と驚愕しました。大丈夫。ちゃんと食べられました。味もほとんどカリフラワーだったと記憶しています。もう結構前のことですが……。
日本でも探せば買えると思います(多分です)。
話は変わりますが、『グーテンベルクの歌【Side Story】』というのを新しく作りました。(グーテンベルクの歌の表紙ページから飛べます)
名前の通り、本編に入れなかった小話、エピソード等をアップするつもりです。
これで話の区切りを考慮しなくても良くなりました☆
今回、すでに新しく一話更新しています。
向こうの更新情報はこんな風に後書きでお知らせしていくつもりです。
覗いていただけると嬉しいです。