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第二章  自覚:ジェラルド



 気の毒な事をした。

 俺は目の前でまだ落ち着かない様子の娘を見て密かに反省していた。

 朝起きて上着に袖を通しただけの中途半端な格好で考え事を始めたのが悪かった。突然娘が尋ねてきたことに軽く驚いた俺は、そのまますぐに扉を開けた。自分はすっかり着替え終わったものだと勘違いしたのだ。慌て出す娘を見るまで自分の状態に気付きもしなかった。

 それにしても、まさかこれほどうろたえられるとは。

 全裸だったわけではない。ただ上着の前を閉じ忘れて上半身が覗いていただけだ。だが、それでも初心な娘には刺激が強すぎたらしかった。彼女はずっと祖母と二人暮らしだった。男親か兄弟が居なければ男の体を見る機会はないだろう。それで、目の前にいる彼女はさっきから俺の顔を見られずに視線が定まらない。

 ……可愛らしいもんだ。

 口元が緩みそうになるのを堪える。同じ部屋にはロレンスもいる。この男に気付かれたら厄介だ。

「サーシャ、ジェラルドに何か言われたのか?」

「……えっ、ううん。な、何も言われていないわ」

 食堂に下りてきてから俺たちはまだ何も話していなかった。しかし、娘の様子は普段とは明らかに違う。それをロレンスは不思議に思ったらしい。

「昨日の事がどうしたんだ?」

 娘が何を言いたいのかは分かっていた。酒を飲んで酔った事を気にしているのだろう。しばらくためらった後、彼女はやっと俺の目を見た。

「あ、あの、ごめんなさい。私、昨日ジェラルドにすごく迷惑かけたみたいで……」

 申し訳なさそうにおずおずと見上げてくる揺れる瞳。こんな目で見られてはどんな怒りも吹き飛ぶ。それに俺は別に昨日の事を迷惑だとは思っていなかった。

「別に迷惑だったとは思っていない」

 彼女は少し首を傾げて困ったような顔をした。

「あの、私何をしたの?全然、覚えていなくて……」

 他の二人は何があったか話さなかったらしい。確かに、全てを知ったら卒倒してしまうかもしれないな、とさっきの動揺振りを思い出して心の中で笑う。

「一人で笑っていたな」

 俺は昨夜の一部を選んで適当に返した。全てを知らない方がこの娘のためだ。

「それは聞いたの。それから……う、植木鉢とお話して、その後ジェラルドを困らせたって……。私、そんなにひどい事したの?」

 言いながら恥ずかしくなったのか頬がほんのり色づく。昨夜もこんな顔だったなと思い出す。確かに、迷惑だとは思わなかったが弱りはした。

 娘は自分がどうやって俺を困らせたのかを知りたいらしいが、それを教えるのは無理だった。罪だ。

「いいや、もう寝ろと言っても聞かなかっただけだ」

 ロレンスは隣で密かに笑っていた。この男は俺が弱っていた訳も知っている。

「ごめんなさい。もう二度と飲まないわ」

 娘は肩を落として目を伏せる。心から悔いている様子が全身から伝わってきた。

「あぁ、そうだな」

 そんな彼女にそれも少し残念だと思っている事は言えない。すると彼女は立ち上がった。

「あと、重かったでしょう。部屋まで運んでくれてありがとう」

 もう一度申し分けなさそうに言うと、それに頷いた俺を見てから食堂を出て行った。

 前にも言われたような気がするな、と思った。抱き上げた体は軽いくらいだった。そして同じ人間だとは信じられないほど柔らかくしなやかだった。

 それを思い出して小さく息を吐く。もう、自分の変化は疑いようがなかった。

 本当にどうかしている……。

「もう二度と飲まないなんて残念だな」

 娘の気配が消えた後、隣の男が笑いながら言った。やはり俺の心は読まれているらしい。

 俺はそれに鼻を鳴らすだけで答えた。

「あら、おはよう。朝食を用意しましょうか?」

 宿の娘が奥から出てきた。それを聞いて時間を確認するともう昼前だった。ロレンスも既に食事を終えている。

「いや、朝は遠慮しておく」

「そう、お昼を多めにするわね。お茶入れるわ」

「あぁ、頼む」

 はきはきした村の娘だった。夫婦は奥にいるらしいが出て来ない。泊まっているのが俺たちだけなので彼女だけでも手が足りるのだろう。


 静かな食事だった。

 俺とロレンスとアイリスはほとんど会話らしき会話をせずに淡々と昼食を取っていた。娘はあまり昼食を食べない。そういう生活だったらしい。いつも軽くつまむ程度だ。今は「さっきたくさん食べさせられたからいらない」と言って降りてきてはいなかった。

 俺がちょうど食べ終えた頃、どたどたという階段を駆け下りる賑やかな音がした。

「間違いなくサーシャね。何があったんだか」

 アイリスが呆れたように独り言を言った。俺は思わず笑っていた。これほど慌てるのは珍しい。フェアリーに追い掛け回されて以来か。普段はわりと大人しいのだ。

「アイリス!アイリス!大変っ!!」

 彼女は声を上げて駆け込んできた。

「なによ。そんなに大声で騒いで」

「……これ、わ、わぁっ!」

 娘は食堂に入ってアイリスの側に駆け寄って何かを言い出そうとしたが、突然腰がくだけたようにがくっと床に崩れ落ちた。

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 アイリスが慌てて椅子を引いて立ち上がり、近寄ってしゃがみ込む。

「あれ?な、なんだか急に力が抜けて……」

 今度の声は驚くほど生気がない。

 ロレンスと俺は何事かと顔を見合わせた。テーブルの反対側に沈んでしまった彼女の姿はここからでは見えない。

「そう、そうよ、そんな事よりこれ見て」

「えぇっ!ほんとに?嘘でしょう!?」

 今度はアイリスが大声を上げた。

 ……一体何だ?

 俺は思わず立ち上がった。ロレンスも立ち上がり俺とは逆から反対側へ回り込む。騒ぎに驚いた宿の娘まで奥から出てきた。

「ねぇ、見て」

 満面の笑みを浮かべた娘が力なく掲げたのは鮮やかな緑色の光を放つ本だった。あれはアイリスから借りて持っていた魔術書だ。

 まさか、この娘に反応したのか?俺は驚きに目を見張った。

「信じられないわ……」アイリスは首を振りながら言う。

「あぁ、でも上にはサーシャ以外にいなかったし、本が間違えるハズがないし。でも、本当に反応するなんて。それにまさか緑だなんて……」

 ぶつぶつと言葉を続けている。本当に信じられないらしい。

「ねぇ、アイリス。なんだかすごく疲れたんだけど、どうして?」

 娘の声にはやはり力がなかった。息も上がっている。

 それを聞いた彼女は はっとした顔をする。

「そうよ、ここまで降りて来られた事に驚くわ。私なんて反応した後すぐに倒れて丸一日寝込んだんだから。初めてはすごく力を使うのよ」

「ふふふっ、光った事にびっくりしちゃって」

 弱弱しく笑った娘を見て、俺はこの娘らしいなと内心呆れた。

「ジェラルド、上まで運んであげてくれる?」

 そう言って、振り返り俺を見上げる。すると娘が慌てだした。

「い、いいわよ。私自分で戻るわ」

「でも立てないでしょう?」

 自分だけ立ち上がったアイリスが冷静に返す。確かに、娘は立ち上がろうと椅子にしがみついているが力が入らないらしい。

「で、でも……っ!」

 そこまで嫌がられると、逆に運びたくなるものだ。それをこの娘は分かっていない。俺は俯いてしまった娘に近づいてしゃがみ込んだ。

「立てないんだろう。ほら」

 言うと彼女は泣き出しそうな顔で俺を下から覗き込んだ。

「でも……」

 まだ躊躇しているらしい。潤んだ瞳と不安げな様子が何とも言えない。俺は口元を上げて見せた。

「迷惑だとは思っていない。早く掴まれ」

それを聞いて観念したらしくおずおずと両手を伸ばし、俺の肩に手を置いた。

「掴まっていないと落ちるぞ」

「……きゃっ…!」

 耳元で囁いてから細い腰を引き寄せて横抱きにして立ち上がると、短い悲鳴が上がった。その瞬間、肩に置かれていた小さな手にぎゅっと力がこもる。俺はそれに満足感を覚えて娘を見下ろした。さっき風呂に入ったらしくまだ少し湿っている髪からは甘い香りがする。彼女は恥ずかしさのためか体を硬くして顔を隠すように俯いていた。長い睫が微かに震えている。

「あら、サーシャ、良かったわねぇ」

 様子を見に出てきていた宿の娘が悪戯っぽい笑みを浮かべて娘に声をかけた。

「よ、良くないわ!」

 真っ赤になって怒ったような顔をそちらに向けて言い返した娘を見て、いじめてやりたい気が起こった。

「なんだ、そんなに嫌か」

 彼女の耳元で敢えて低い声で囁いてやると娘は思いっきりうろたえた。

「ち、違うの。あの、そうじゃないのよ。今のは……」

 狙い通り、さっきの否定で俺が傷ついたと勘違いしたらしい。全く、からかい甲斐がある。

言い訳の途中で口の端を上げて見せると、彼女はからかわれたと気付いたらしい。口を閉ざして弱り果てた表情で俺を見る。もう言い返す気も起こらないようだった。そのまま力なくうな垂れると顔を伏せた。

 苛めすぎたか……。

 俺は娘を抱く腕に力を込めるとさっきからずっと呆れたように笑っているロレンスに一瞥をくれて、食堂を後にした。




☆どうでもいい後書き☆


サーシャの失態(笑)はそのうちサイドストーリーででもアップしようと思っています。

もう、書けているんですけどね。本編に入れるのは恥ずかしすぎる(?)ので……。



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