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第二章  苛立ち:ジェラルド

 用を足しに一度外に出た俺は部屋に戻らず、そのままリビングで一人酒を飲んでいた。

 なんとなく、今は眠れないだろうという気がしたのだ。

 誰もいない暗いリビングには蝋燭と魔法で作った光だけが揺らめいている。その光を眺めながらさっきの出来事を冷静に思い返していた。

 若い男と戻ってきた娘。

 何があったのか、すぐ近くにいた俺たちの存在にも気づかないほど上の空だった。

 惚けたように男を見ていた娘はいつにも増して綺麗だった。それを見て俺は強い苛立ちを感じたのだ。

 帰りが遅かった事に苛立っているんだ、とあえてどうでもいい事を持ち出そうとする自分に自嘲的な笑いが漏れる。

 ……そんなわけあるか。

 答えは明白だった。俺の知らない男と一緒にいたからだ。彼女はあの男に全く警戒心を抱いてはいなかった。オルディアであんな事があったにも関わらず、だ。

 しかし、少し警戒心がなさ過ぎるのに対しては苛立ちよりも心配が先に来る。

 本当はとっくに出ている答えを認めたくないだけだった。

 嫉妬だった。

 男の嫉妬というこの世で最も醜い感情。そして自分とは無縁だと思っていたもの。

 あの娘がもう子供ではないという事は分かっている。だがどこかで、あの娘は俺がいなければ何もできない子供だと思いたがっている自分がいた。

 何故か。

 その答えを、今は深く考えたくないと思う自分がいた。できれば気づかなかったことにしてしまいたいと。

 本当は気づいている。いや、もしかしたら、ずっと前からそこにあったのかもしれない。今まで見ようとしていなかっただけで。無意識のうちに押さえ込んでいただけで。

 ただ、認めたくなかった。今まで誰も必要だとは思わなかったのだ。特別な存在などつくっては来なかった。そして、これからもそうだと思っていた。この感情を認めてしまえば、自分が自分でいられなくなるような気がした。

 それにしても、何故あの娘なのか。

 酒を煽る。やはり苛立ちは消えそうになかった。

 この年になって自分の感情に説明がつかない時が来るなど思いもしなかった。



 誰かの気配で二階へ続く廊下に目を向ける。

 静かに入ってきたのは、頭を支配していた娘だった。

 彼女は部屋の入り口で立ち止まった。手に小さなろうそくを持っているせいで逆に遠くの俺が誰だか確信が持てないらしかった。

「ジェラルド?」

 返事をすると彼女は側までやって来た。そのまま横の一人掛けのソファーに腰を下ろす。用を足しに外へ行くのかと思っていたが違うようだった。薄い水色の部屋着に今はガウンを羽織っている。蝋燭の光にぼんやりと照らされて、小さな顔の白さが際立っている。

「お酒?」

 前のテーブルに置いてある瓶に目を留めて言う。

「ああ、何か飲むか?」

「じ、自分で……」

 俺は頷いて立ち上がろうとする彼女を手で制して立ち上がった。そのまま先にカウンターを挟んだ台所まで行き、「暗いから」と声をかけると彼女は渋々頷いた。

 この娘は人に何かをしてもらう事に慣れていない。しかし、今日ここで食事をしなかった娘には何がどこにあるか分からないだろうと思ったのだ。ろうそくの明かりだけでうろうろするのは危ない。

 俺の後ろからは魔法の光が後を追うようについてきていた。娘はそれに見とれているようだった。

「“お茶”でいいのか?」

「うん」

 なんとなく声が上ずっている。それをおかしく思った。

 娘は飲み物と言えば、“お茶”か“お水”だ。住んでいた所で飲んだことがあるのはその二種類と動物の乳、ハーブティー。しかし、後の二つは滅多に飲まないし、酒も飲んだことがない。

 そして、“お茶”と言えば家の近くの畑で取れる紅茶しか知らなかった。しばらく旅を続けて紅茶にも様々な種類があると知った娘は納得したような表情をして説明を始めた。

 城では毎回、食事をするたびに変わる“お茶”の味を疑問に思っていたらしい。

 それを聞いて俺も納得した。カップに口をつける度に怪訝そうな表情になる娘が密かに気になっていたのだ。

 今では町に行くたびに変わる“お茶”の味を楽しみにしていた。俺はそのうち、茶色ではない“お茶”に出会ったら娘がどういう反応をするのか楽しみにしていた。北の方で日常的に飲まれる茶は発酵させていないままの薄緑色だ。


「まだ熱いぞ」

 注意を促して、目の前にカップを置く。

「ありがとう」

 俺を見上げてはにかむように答えた顔を見て、いつの間にか苛立ちが消えている事に気づいた。結局そうなのだ。苛立たせられるのもそれを解きほぐすのも全て彼女だ。

 こうして俺が近くに座っていても娘はもう緊張しない。普段どおりの態度を向けられるようになっただけで喜ばしいなどと思うとは。

 ……どうかしている。

 心の中で自分を呆れ笑うしかなかった。

「寝ないのか」

 呑気のんきに紅茶を飲んでいる娘に問いかける。もう後3時間ほどすれば朝日が昇るだろう。俺もだが、本来ならこんな事をしているべき時間ではない。

「なんだか、眠れなくて」

「明日も歩くぞ」

「うん……」

 この娘はこれまで俺の予想以上に元気だった。しかし、暑い季節だ。体力の消耗も違うだろう。

「何かあったのか?」

 彼女は俺を見ると、返事をしないまま首を傾げ微かに表情を曇らせた。

「あの男か?」

 口にしてから何故こんな質問をしたのか、とどこか驚いている自分がいた。

 確認せずとも分かりきっているはずだった。

 しかし、その原因にもすぐに気づいた。これも嫉妬だ。あの若い男がこの娘を眠れなくさせているのだと思うと無性に腹が立ったのだ。そして何故か目の前の娘も困らせてやりたいような気分になった。

 ばれているとは思わなかったのか。純粋な娘は驚いたように目を見開き、それから口を開こうとしたが言葉にならないようだった。迷うように揺れる瞳。それを見るとますます困らせてやりたくなった。

「想いでも告げられたか」

 からかうように口の端を上げて見せると、娘は固まった。図星らしい。みるみるうちに耳まで朱に染まる。

 分かりやすい反応だな、と苦笑する。これは共に過ごすうちに気づいたことだった。質問や声をかけたときに対する娘の反応は俺にも分かりすぎるほど分かりやすかった。この娘は言葉にして嘘をつくことが出来ないのだ。


「どうしたらいいの?」

 しばらくして冷静さを取り戻したらしい彼女は意外な事を聞いてきた。不安げな声で、表情は深刻そのものだった。

「……俺に聞くな」

 潤んだような目に見つめられて、思わず本音を返していた。

 娘はそれにショックを受けたらしく俯いて黙り込んでしまった。

 気まずい沈黙だった。

 勘弁してくれと思う。困らせてやろうと思ったのが逆に困らされるとは。

 しかし、この質問に男の俺が答えるのは間違っているという確信があった。どうしたらいいのかはこっちが聞きたいくらいだ。それにこれは俺の専門外だ。聞くならロレンスに聞いてくれ。そう思ったが、このままだと朝までずっと下を向いていそうだった。

「ここに残りたいのか?」

 心にもない質問だった。元より、ここに残れるはずがなかった。俺たちは先に進まなければならない。そして娘もそのことをよく分かっているはずだ。

 予想通り、彼女はとんでもないという顔ではっきりと首を横に振った。この表情を見る限り、あの若い男に気が行ったのではないらしかった。

 そして、密かに安堵している自分には気づかない振りをする。

「なら、何を悩んでいる?明日出るのは元から決まっていたことだ。普通にしていればいいだろう」

「普通に……?」

 娘はつぶやくと再び黙り込んだ。俺にはそれ以上何を悩むことがあるのか分からなかった。蝋燭と魔法の光に照らされる愁いを帯びた表情はいつもより数段大人びていて美しく、今にも消えてしまいそうに儚い。

 俺はじっとその姿を見つめながら胸に湧き上がる感情と向き合っていた。

 互いに何も言わないまま時間だけが過ぎていく。動きといえば、娘が時々思い出したように紅茶に口をつけるだけ。

 結局、俺たちはそれ以上話をせず、娘は紅茶を飲み終わると「おやすみなさい」とだけ言って部屋に戻って行った。




 翌朝、出発間際に若い男が子供を連れてやってきた。

 俺は極力彼女から目を逸らし、醜い感情を押さえ込むことに集中していた。


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