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第二章  安堵1:ジェラルド

「ねえ、サーシャがいないわ!」

 ……まさか。さっきまでは後ろにいたはずだ。

 そう思い、振り返るとアイリスとロレンスが人を押しのけて近づいてきた。

「まずいな」

 ロレンスが言う。アイリスは一気に真っ青になった。辺りは大分暗くなっている。だがまだそれほど遠くへは行っていないはずだった。

「先に戻っていてくれ。探して来る」

「私たちも……」

 彼女の言いたいことは分かっている。しかし、危ない。

「この町は暗くなると治安が悪化する。戻れ」

 俺はそれだけ言うと返事を待たず、来た道を引き返した。町が完全に闇に飲み込まれる前に家に戻ろうとする者、店をたたもうとする者で狭い通りは今が一番混雑していた。

 それにしても迂闊だった。すぐ後ろについて来ているのを確認しながら進んでいたのだ。いなくなったのに声もしなかった。

 ……まさかどこかでグーテンベルクだと気づかれたのか。

 嫌な予感が頭によぎる。

 はぐれただけかもしれないとも思ったが、道をしばらく辿っても娘の姿はなかった。そもそも、こんな時間に一人でうろつく娘がいれば目立っているはずだ。そう考え、店の者に聞きながら進んだがそのような娘を見たという者はいなかった。

 連れ込むとしたら……路地か……。

 見える限り周りを見渡し、目ぼしい路地を探す。

 すると一つが目に付いた。そこだけ人の出入りがない。上の建物を確認すると袋小路のようだった。

 人を押しのけて進むと路地を塞ぐように男が立っているのが見えた。何気ない様子を装っているが辺りを警戒している様子がはっきりと分かった。

 俺は男に近づいた。近づくと、男は目に見えてうろたえた。

「ここは行き止まりですぜ、旦那」

 止めようとする背の低い男の後ろを覗き込むと、暗い路地の奥に茶色い髪とグレーの服が確認できた。今日娘が着ていたものに間違いなかった。

 彼女を見つけた瞬間、とてつもない安堵と怒りが同時に湧き上がった。

「なにか御用で―――」

 俺は何かを言いかけた男の顔を殴り飛ばした。

 後ろを歩いていた男たちが驚き、遠ざかる。

 正しい判断だな。こういう時は関わらないのが一番安全だ。そんな事を思った頭の中は冷え切っていた。

 殴られた男はそのまま後ろにとんで、路地の壁に後頭部を打ちつけて崩れ落ちた。まあ死にはしないだろう。一応手加減はしたつもりだ。

 そのまま奥に足を進めると、二人の男が振り向いた。

 女一人に三人がかりとは卑怯な奴らだ。

「ジェラルド……」

 娘が震える声でつぶやいたのが聞こえた。

 蒼白な顔で小さくなって震えている。彼女が俺の名前を呼ぶのを初めて聞く気がした。

怖かっただろう。その呟きに胸が締め付けられた。

「手を離せ」

 男の一人はまだ娘の腕を掴んだままだった。汚い手で触れるな。俺は本気の殺意を込めて男たちを睨んだ。

「なんだ、旦那の女だったのか」

 男は焦ったように手を離し、言い訳を始めた。

「旦那のもんだって知ってたなら手は出さなかったよ、なぁ」

 俺は何も言わずに睨んだままだった。こいつらも殴ってやろうか。だが男三人にこの狭い路地に寝られても邪魔なだけだ。腰に下げた剣は見せかけだけのようだった。男共は剣を抜こうともとしない。

「失せろ」

 その言葉を待っていたかのように、二人は入り口で伸びている男を引きずってそそくさと逃げて行った。


 娘はずっと震えていた。

 俺は少しだけ近づいて様子をうかがった。服に乱れがないのを確認して胸を撫で下ろす。彼女は掴まれていた方の腕を反対の手で押さえ、自分の体を抱くような格好で俯いていた。暗いせいで表情までは見えない。

「怪我はないか?」

 娘は返事の代わりにかすかに頷いた。押さえている腕はそのままだった。長袖の服を着ているせいで外からは怪我をしているのかは分からない。俺はもう少し近づいた。

「腕は?」

 聞くと彼女は はっとしたような様子で自分の腕を放した。

「大丈夫」

 俯いていた顔をあげて小さく答えた。薄紅色の唇が微かに震え、怯えた硬い表情をしている。泣いているのかもしれないと思ったがそうではないようだった。

 町娘の服を着て髪を結った彼女は年相応に見えた。今日、部屋から出てきたのを見た時、子供っぽいと思っていた娘が突然大人びて見えたことを思い出した。

乱暴に扱われたのか、その綺麗に編み込まれていた髪が乱れていた。

 後れ毛がいく束か肩に落ちている。飴色の柔らかそうな髪。俺はそれを見て艶かしいと思った。震えている娘を前にして抱くには相応しくない感情だった。

 所詮は俺も男だということだった。さっきの奴らと抱く感情はなんら変わらない。ただ、俺はあいつらよりも自制が効くというだけだ。

 恐ろしい目に合わされたのと同じ男に近づかれるのは嫌だろうと、俺はさっきから彼女に近づけないでいた。

「戻れるか?」

「……みんなは?」

「先に宿に戻ってもらった」

 娘は短く息を漏らした。そして気づいたように頭に手をやる。髪の乱れに気づいたようだった。顔がみるみる曇っていく。

 この出来事を二人には知られたくないのだろう。俺は魔法で小さな手鏡を取り出して彼女に差し出した。

「……ありがとう」

 彼女は鏡を覗き込むと、器用に髪を直した。肩に落ちていた髪はピンで元の場所に収められていく。髪はあっという間にもとの形に戻った。俺は鏡をしまった。

「行くか」

「……ごめんなさい」

 返事の代わりに、娘は謝った。泣き出しそうな顔で見上げられた俺は返事に困り、何故謝られたのかを考えた。しばらくして、もしかしたら、こうなった事で自分を責めているのかもしれないと気がついた。

 しかし、彼女から目を離したのは俺の責任だった。

「お前が謝る必要はない。お前から目を離した俺が悪いんだ。怖い思いをさせてすまなかった」

 すると娘ははじかれたように下を向いた。その細い肩がまた震え出す。

 どうしたんだ……?

 そっと横から顔を覗き込むと、光るものが顎を伝って地面に落ちた。

 娘は声を押し殺して泣いていた。突然泣き出した娘に俺は焦った。

 また、泣かせてしまった……。

 同じ過ちを繰り返した自分の無能さに腹立たしさを通り越して呆れる。それと同時にあの男どもに対する怒りが湧き上がった。

 娘は今になって張り詰めていた気が緩んだのだろう。震えながら口元を押さえて嗚咽をかみ殺している。その姿は痛々しかった。

 何故か心がかき乱される。弱弱しく頼りなげな様子を見ているとどうしようもなく胸が詰まった。俺は今までに抱いたことのない不思議な感情に戸惑っていた。

 ……今、彼女に触れてもいいのだろうか……。

 性的な欲求以外で誰かに触れたいと思うことなど初めてだ。ただ、彼女を抱きしめて、もう大丈夫だと言ってやれば泣き止むだろうか。

 馬鹿な。俺のような男に触れられて泣き止むわけがない……。

 そう思い直し、結局、無能な男は動けないまま、黙って立っていることしかできなかった。



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