第二章 短剣
夕方の町は人で溢れかえっていた。
狭い路地は行きかう人々と時々通るたくさんの荷物を載せた馬車とで、気をつけないとすぐにはぐれてしまいそうだった。
迷路のように入り組んだ通り。きっと、迷子になったら宿に戻れない。
私は両側のお店を見て歩くよりも、前に見えるジェラルドの頭を追うので精一杯だった。彼は歩くのが早い。宿を出た時はジェラルドのすぐ後ろを歩いていたはずなのに、いつの間にか私たちの間には知らない人がいて、今はジェラルドの頭しか見えなくなってしまっている。ジェラルドの背が高くてよかった。
そして、私は時々振り返って少し後ろにいるロレンスの姿も確認していた。ロレンスとアイリスは並んでのんびりとしゃべりながら歩いているので、ちゃんとついて来ているか心配になってしまうのだ。
私が心配しなくても大丈夫なんだろうけど……。気になるものは仕方がない。
少し先のお店の前でジェラルドが立ち止まったのが見えた。
何か買うのかな……?
近くに行くと紐やロープなどを売っている所だと分かった。髭を生やした人のよさそうなおじさんがジェラルドにいろいろな種類のロープを見せている。細い紐のようなものから、ロープをさらに束ねて作ったすごく太いものもある。色もいろいろ。
ロープを買うの?何に使うんだろう?
おじさんの話を聞いているジェラルドの横で私は黙って店を眺めていた。
「サーシャ!」
声がした方を向くと、二軒ほど離れた店の前でロレンスが手招きしている。
ちらとジェラルドを見ると、なんだか難しい話をしているようだったので私は何も言わずにロレンスのところへ向かうことにした。
「なあに?」
そこで売っているのは装飾品や小さな雑貨だった。
「これ、何でできてるの……?」
「ロカイユだよ。見たことないだろう?貝殻でできているんだ」
「貝殻って、海にある?」
「そうだよ」
私は海を見たことがない。本で読んだ事があるだけだった。貝殻って思っていたよりも変わった形をしている。それに色はすごく綺麗。白やピンクに淡い黄色、複雑な色に光輝く青や緑。
海ってすごい……。
「お嬢さん、手にとって見るかい」
店のおじさんに手渡されたのは金のチェーンがついた丸いネックレス。その貝でできたトップにはあらゆる色が詰め込まれていた。複雑な輝きで見る角度によって色が変わる。
「すごい、綺麗……」
「虹みたいね」
近くに来たアイリスが言う。するとおじさんが大げさに感心したような表情を作った。
「いやぁ、お嬢さん、よく知っているな。これは虹貝と言われてるんだよ。お嬢さんは虹を見たことがあるなんて言わないでくれよ?」
「そんなわけないじゃない。話を聞いたことがあるだけよ」
笑い合っているおじさんとアイリスに声をかけた。
「虹って、あの伝説の?」
「あら、伝説って言っても作り話じゃないのよ」
「そうだぞ。昔は何度か見られたのは本当の話さ。で、この貝は虹の輝きを写し取ったと言われているんだよ」
「そうなの……」
改めてネックレスに目を落とす。虹の伝説は誰でも知っている、昔話のようなものだ。空に架かる大きな光のアーチ。その光は7色とか8色とか言われているけど詳しくはよく分からない。だって、見たことがある人なんていないから。昔、何度か虹が架かったことがあるとは言われているけど、その虹がどうして出来たのかも分からない。
アイリスが作り話じゃないなんて言うのは意外だった。
虹が埋め込まれたみたいな金のネックレス。私はその複雑な輝きに見とれてしまっていた。
「いいもんだろう?上等なやつだ。俺がミコスから仕入れたんだよ」
おじさんは自慢げに言ったけど、私にはそれがどこなのか分からない。
「それって遠いところ?」
「ああ、ずーっと北の海のある町さ。この貝はな――――」
北だったら、もしかしたらこれから行くところかもしれない。海を見るのがますます楽しみになる。
おじさんの自慢話を聞いていると、ジェラルドがやってきた。手に持った袋はさっきよりふくらんでいる。ロープ買ったみたいだ。
「欲しいのか?」
ジェラルドは私の手元を見下ろして唐突に言った。私は目を丸くして、慌てて首を横に振った。
綺麗だけど、欲しいわけじゃない。装飾品っていつ使えばいいのかよく分からないし、ネックレスだったら私にはおばあちゃんのタンスの中から見つけたのがある。残念そうなおじさんにお礼を言ってネックレスを返した。
「いらない?」
ロレンスも聞いてきた。
「うん、いらないの。ありがとう」
二人は買ってくれようとしているの?でも、どうして?
その気持ちは嬉しく思うけど、高そうなものだし、私には買ってもらう理由がない。ジェラルドとロレンスは一瞬だけ、無表情のまま顔を見合わせた。
それからジェラルドはすぐに私たちを見て「行くぞ」と声をかけた。
その後も色々な店の前で立ち止まり、買い物をした。
ここで買っておかないとこれ以降の町では手に入らない事の方が多いそうだ。私は時々アイリスと話しながら、ジェラルドとロレンスの後をついて歩いていただけだった。歩くだけでも大変な人込み。だけど、珍しいものが多くて飽きることはなかった。
それから私たちは短剣を扱っている店に立ち寄った。
壁という壁に剣が飾られている。短剣とは言っても太くて大きめのものからすごく豪華な宝石がついた飾り物のようなものまでたくさんの種類がある。今までと同じく店をほんやり眺めていると、またロレンスに呼ばれた。
店の前の二人に近づくと、ジェラルドに短剣を差し出された。
「持ってみろ」
「えっ?」
思わず逃げ腰になった。
私のを買うの?そういう疑問を込めた目でジェラルドを見上げた。
「持ってないだろう。これから必要になるかもしれない。護身用に一つ持っておけ」
アイリスも持ってるのかな。そう思い、アイリスの方を見る。
「私は自分の持ってるわよ。サーシャも買っておいたほうがいいわ」
アイリスは真面目な顔をして言った。
そう……。
差し出された剣を受け取る。柄はあまり太くなくて意外に手になじんだ。多分、鹿とか牛の角。硬い皮で作られた鞘には美しい模様が彫られている。でも、繊細な見た目と大きさのわりにはずっしりと重い。
「抜いてみろ」
言われて恐る恐る引っ張ってみる。けれど、中で引っかかっているような感じがして抜けない。ぐっと力を込めてもう一度引っ張ると、今度はあっけないほど簡単に抜けた。鈍い光を放つ刃が勢いよく鞘から飛び出した。
その勢いに驚く。刃に映る自分の顔が強張っているのが分かった。
「気をつけて」
ロレンスが私を覗き込むようにして言った。私はそれに頷いて答えながら刃を見つめた。
刃先はすごく鋭い。磨き込まれていてよく切れそうだった。
私は思わず顔をしかめた。
これを私が持つなんて、危ない……。
でも、そう思い気づく。ジェラルドやこの町の男の人はみんな腰に短剣を下げているのだ。それも今私が持っているよりも二周り以上は大きなものを。ロレンスはもっと長い剣を持っている。
私の持っている剣でだって誰かを傷つけるには十分だった。ううん、きっと殺すこともできる……。
慎重に剣を鞘に戻す。そしてそれをジェラルドに返そうと見上げると目が合った。ずっと私を見ていたみたいだった。
「これをもらう」
ジェラルドはお店の人にお金を払った。
「今は俺が持っておくぞ」
それだけ言うと、私の返事を待たずに自分の背負っていた袋に短剣をしまった。