第二章 距離3
朝、昨夜の雨で水滴のついた緑の草木は朝日を浴びてきらきらと輝いていた。
……あぁ、なんだか久しぶりに晴れたような気がする。
その眩しさに目を細めて周りを見渡す。少しもやがかかったような森の朝は本当に静かで綺麗だ。遠くから聞こえるのは鳥のさえずりだけ。他の三人はまだ眠っているようだった。私は起こしてしまわないようにそっと立ち上がり結界の外に出た。
下草もまだしっとりしていて、歩くとブーツに水滴が跳ねる。昨日は地面が濡れていたから座って寝たせいで体が少し痛い。そう思いながら、私は爽やかな空気の中で思いっきり背伸びをした。
姿勢を戻し、はぁと深呼吸をした時、後ろに気配を感じ振り返った。
すると、いつの間にか立ち上がって私のほうを向いていたジェラルドと眼が合った。
「…………」
見つめ合ったままお互いに何も言わずに時間だけが過ぎていく。
いつものように、何を思っているのか分からない表情。そして鋭い眼差し。
そう、彼は出会った時からずっとこうだったのだ。
それに気づかなかったのは私の方……。
大丈夫。今はまだ理解できなくても、近づきにくくても。
アイリスの言葉を頭の中で反芻する。そう考えると心が落ち着く気がした。
少しずつでいいの。そのうち慣れて普通に接する事ができるようになる。
だからまずは謝らなくちゃ……。
そう決心して口を開こうとしたその時、ジェラルドがすっと一度私から目をそらした。そしてもう一度私を見ると言った。
「少し話がある」
彼はそれだけ言うと森の奥へ向かって歩き出した。
なに……?
私は内心ものすごく焦りながらその後を追いかけた。しばらくの間、私たちは無言で道なき道を進んだ。木がまばらに生えた少し開けたところに出ると、その人は振り返っておもむろに口を開いた。
「すまなかった」
その言葉を聞いた私は頭をぶつけたような衝撃に襲われた。
どうして……?
どうしてジェラルドが謝るの。悪いのは私の方なのに……。
私は慌てて首を振って答えた。
「そんな、私が急に泣き出したのがいけないのに……」
言おうとしていた言葉を先に言われてしまった私は頭が真っ白になってしまっていた。最後の方は消え入りそうな返事だった。
それなのに、彼は静かに首を振って答えた。
「いや、女を泣かしたんだ。男が悪いに決まっている。とにかく、悪かった」
真面目な表情と真っ直ぐで真摯な眼が私に向けられていた。
……あぁ、この人は怖い人なんかじゃない……。
すとんと胸に落ちてくる感覚があった。真っ直ぐで強い彼の眼を正面から見つめて、私は初めてそう思えた。
「私も、ごめんなさい」
ジェラルドの目を見返して答える。
嫌な思いをさせて、ごめんなさい。今まで分からなくてごめんなさい……。この想いは上手く伝わるだろうか。
視線を外さない私に何を思ったのか。ジェラルドは鼻を鳴らすと「戻るか」と言って私の横をすり抜けて元来た道を歩き出した。
大丈夫、これからはもう眼をそらさずに。きっともっと上手くいく……。
先を立って歩く彼の広い背中を見つめながら、私は心がゆっくりと晴れていくのを感じていた。
二日後の昼下がり、道の両端は急に木々が少なくなりだした。しばらくして、視界が開けた私たちの眼下には城壁に囲まれた町が広がっていた。
「わぁ!」
「ほんと、大きな町ね」
隣でアイリスも感心したような声を上げた。
「オルディアだよ。大陸の南の交差点だ」
「エルンよりも大きいの?」
「いいや、町の大きさ自体はエルンの方が大きい。でも、ここはどの国にも属していない独立した町なんだ。だから様々な国の人や物、情報が集まってくる。この町で手に入らないものはないと言われているくらいだ」
ロレンスの説明によると、どこにも属さない町だからこそ、人々は自由に出入りでき、物や情報が集まるのだそうだ。そして地理的にも大陸の南側の中心に位置するせいで、貿易などで重要な役割を果たしているらしい。
「この町にしばらく滞在する」
「そうなの?」
そう言ったジェラルドに、この町も通り過ぎるだけだと思っていた私は聞き返した。
彼とはあの日以来、何かが大きく変わったというわけではなかった。
ジェラルドの話し方は相変わらずぶっきらぼうで、無表情なのも前と同じ。そもそも、あまりしゃべらないし。
でも、私は少しずつ変わることにしたのだ。丁寧な言葉遣いをやめて、なるべくみんなと同じように接する事にした。
そう、そうするようになって気づいたのは、笑っていなかったのは私の方だったということ。今までの自分の態度を思い返して、それでも謝ってくれた彼に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
今までだったら、ジェラルドと話すといえば謝るか、お礼を言う時だけだった。けれど、アイリスを見習ってジェラルドにも質問してみたり、話を振ってみたりすることにしたのだ。
彼に対する苦手意識が全く消えたわけじゃない。今でもその鋭い目が合うと、落ち着かない気分になる。
でも、何かを聞けばジェラルドはちゃんと答えてくれるって分かったのだ。これは大きな進歩だった。その事を知っただけで、話しかけるのがずっと楽になった。
「あぁ、ここなら情報を集めて歩き回っても目立たない。人の出入りが激しいからな」
ほら、今もちゃんと答えてくれた。
私は分かったと言う代わりに、私を見下ろす彼に頷いて笑って見せた。
こんな町にしばらくいられるなんて、すごく楽しみだ。
エルンでは、結局町を見て歩くことができなかったのだ。でも、ここはエルン以上にたくさんの物と人がいる町。きっと、初めて見るものばかりに違いない。
心を支配していた大きな悩みが消えた私は、オルディアの町への期待に胸を躍らせていた。
やーっと、とんでもないすれ違いの日々から抜け出した二人。
でも、ジェラルドの本当の意味での苦悩はこれから始まるのです(笑
この長い話を読んでくださっている方、本当にありがとうございます!!