第二章 違い
夜になっても雨は降り続いていた。
パンとチーズ、乾燥させた果実の夕食を終え、焚き火を囲んだ私たちは木の根元に座って、それぞれ思い思いにくつろいでいた。
頭の上にはジェラルドの張った結界があった。3,4本の木の幹の間に張り巡らされた薄い光のような膜は、雨を音もなく弾いている。
やっぱり魔法って便利だな。私はぼんやりと考えた。これで夜の間、雨に濡れて風邪をひく心配をしなくてもいい。精霊の力があっても、その力を使って雨に濡れないようにする方法なんて今まで考えた事がなかった。どうすればいいんだろう。水に関係するからアクアに頼んでみればいいの?でも、そんなことしたらアクアのことだから他の精霊の手も借りて、雨自体を止ませてしまいそう。
それを想像してふっと息をもらす。
とりとめなくどうでもいいことを考えていないとまた泣いてしまいそうだった。
状況は絶望的だった。
朝、私が食堂に来るのを見るなり、ジェラルドは入れ違いに食堂を出て行ったのだ。
私とはもう顔も合わせたくない。
それが、私の昨日の行いに対する彼の答えに違いなかった。それを見るまでは泣いてしまった事について謝りたいと思っていた。不快な思いをさせてごめんなさいって。でも、もう無理。彼に私から話しかけるなんてとてもじゃないけどできない……。
また朝の出来事を思い出した私は抱えていた膝に顔を埋めた。
……もう、ダメ……。
こんなに悩むのって生まれて初めて。今までは大した変化のない日常を特に悩みもなくのんびり過ごしてきたのだ。旅が始まってから、私は悩んでくよくよしてばっかりのような気がする。
「サーシャ、ちょっと付き合ってくれない?」
アイリスの声に膝から顔を上げると、彼女はさっきまで脱いでいたはずのフードをまたかぶっていた。
「え、どこに行くの?」
こんな時間に今から?何をしに?外は雨なのに?私は不思議な提案に疑問がいっぱいだった。
「ちょっと、行ってくるわ。さ、あなたも立って」
アイリスは私の質問には答えずに残りの二人に声をかけると結界から出ようとした。
「おい、こんな時間に女だけじゃ危ない。明日にしろ」
「いいじゃない、何かあったら大声上げるわよ」
「それじゃ遅いだろう」
「あのね、私、魔術師よ。そこら辺の相手よりはよっぽど強いと思うけど」
やめさせようとするジェラルドに全く怯まずに答えるアイリス。
すごい。怖くないのかな。あんまり言う事聞かないと怒りそう……。
心配になってちらっと見たジェラルドの目は据わっている。
「だ、」
「いいじゃないか」
何かを言おうとしたジェラルドを遮って、ロレンスが口を出した。
「二人でしたい話でもあるんだろう。行っておいで。サーシャは危なくなったら大声を上げるように」
そう言って私たちを見て微笑んだ。
「さすが、ロレンス。話が分かるわ」
アイリスもそれににっこりすると、さ、行くわよと私の腕を引っ張った。おろおろしながら微笑みあう二人の顔を交互に見る。
みんなしてジェラルドを無視してもいいの?本当に怒っちゃうよ?
でも、彼の前でそんなこと言えない。私は心の中では大声で反論しながら、結局引っ張られるがままに結界を出た。
暗い森の中を手に光を浮かべたアイリスに続き、進んで行く。
「サーシャ、転ばないでよ」
「ちょっと、どこまで行くの?……なにをしに?」
聞くと「この辺でいっか」とつぶやいたアイリスが立ち止まって結界を張り始めた。
その中に私を押し込むと、彼女は倒れた木の幹に腰掛けた。私も並んで座る。
「さあ、なにがあったの?」
話しなさい、という表情でアイリスは私の顔を覗き込んだ。突然始まった話に戸惑う。
「なに?って何の話?」
「とぼけなくていいのよ、何かあったんでしょう。ジェラルドと」
私はそれを聞いて愕然とした。
「どうして、どうして知ってるの?」
ふっと笑ってアイリスが言う。
「どうしてって。分かりやすいもの、あなたたち。見てたら絶対分かると思うけど。多分ロレンスも気づいていると思うわよ。だからさっきも協力してくれたんだろうし」
だから、だからにっこり笑い合ってたの!?
ロレンスにも気づかれているなんて……。
ますます泣きたくなった私は正直にアイリスに打ち明けた。
ジェラルドを怖いと思っていること。今まで彼のような人は見たことがなくて戸惑っていること。誰かを苦手だと思ったことなんてなくて、どうしていいのか分からないこと。そして、昨日の事を謝りたいと思っていること……。
つっかえながら話す私の話をアイリスは辛抱強く黙って聞いてくれていた。そして、すべてを聞くと、口を開いた。
「サーシャ、ジェラルドと今まであなたが知っていた町の人が違うのは当たり前よ。あなたとジェラルドは初めて会ったんだから」
「どういうこと?」
「人はみんな違うって事よ。違うのが当たり前なの。この世界にはいろんな見た目の人がいて、いろんな考えの人がいるの」
「違うのが当たり前……」
「そうよ。そりゃ住んでる所だったり、過ごしてきた環境が似ていたら少しは似るかもしれない。でもやっぱり違うのよ。この人はどうして私と同じじゃないんだろうって考えるのは間違ってるわ。あなたとジェラルドは今まで全く違う環境で過ごしてきたでしょ。だから今はまだ理解できなくたって、近づきにくかったっていいと思うの」
「ジェラルドは……私の事が嫌いなんじゃないの?」
「嫌いだったらきっと、この旅にあなたを連れては来なかったわ。あなたが今まで出逢ったことのある人とは違うってだけよ。それだけ。そのうち慣れるし、理解できるようにもなるわ。まあ、確かに見た目はちょっと怖いかもしれないけど、悪い人じゃないわ」
アイリスは最後にいたずらっぽく笑うと、あ、それにちょっと無愛想よねと付け加えた。
私とは違うだけ……。
それを意識するだけで心の中のもやもやしたものが晴れていくような気がした。彼は元から誰とも違ったというだけ。誰かと似ているところを探していたのが間違いだった。
言われてみれば簡単な事。でもきっと、回りを見渡す余裕のなかった私一人では気づけなかった。
「アイリスの言うとおりだったわ。私、今まで出逢ったことのある人たちと比べてばかりいたような気がする」
アイリスはそれを聞くと私の顔を覗き込んでにっこり微笑んだ。
「どう?これでどうにかなりそう?」
「うん、頑張ってみる。……ありがとう」
これからは、考え方を変えてみよう。
私は今、ここにアイリスがいることに心から感謝した。