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第二章  獣

 あの小さな村を出てからすでに十日ほどが経ち、私たちはもう二つ別の同じような村を過ぎていた。

 今日は朝から少し風が強い。森全体の木々が擦れ合い、かさかさと音を立てている。空は相変わらず爽やかな青が広がっていて暑いのはいつもと変わらないけれど。

 珍しく誰もしゃべっていなかった。

 ジェラルドはいつも通り静かに一人、前を歩いていたし、アイリスはその斜め少し後ろに。私はロレンスと並んで歩いている。でも私は顔を道の横に向けて真剣に薬草を探している真っ最中。

 その時突然、がさがさと右斜め前の繁みが音を立ててゆれた。

 風とは明らかに違う動きだ。

 全員がほぼ同時に足を止めた。

「下がってろ」

 低い小声でそれだけ言うとジェラルドは一人、私たちよりも前に出た。

 そして、ゆっくりと腰の短剣に手をかけながら様子をうかがう。アイリスを自分の後ろに下がらせたロレンスも剣に手をかけた。

 なに……?

 繁みの向こうの相手もこちらの様子をうかがっているようで、無言のまま緊迫した時間が流れる。ジェラルドがもう少し繁みに近づこうと足を動かそうとしたとき、その足元で砂がじゃりっと音を立てた。

 その瞬間、繁みの中から大きな影がほぼ垂直に跳ね上がり、私たちの真正面に音もなく着地した。

 それはほんの15メートルほど先だった。飛び出してきた真っ黒な猛獣は全身の毛を逆立て、牙をむき出しにして低い唸り声を上げている。


 それを見たジェラルドが魔法を放とうと猛獣に手のひらを向けた。

「待って!」

 私は小さく声を上げて駆け寄り、そのまま彼の腕を掴んでいた。本当に無意識の行動だった。

 ジェラルドが手を上げたのを見た時、あの魔物が炎に飲み込まれ、のた打ち回る光景が目の前に蘇ったのだ。あの時はどんな力を使うか分からない魔物だった。でも、今私たちの目の前にいるのは魔物じゃない。

「動くな」

 彼は獣と睨み合ったまま低い声で鋭く言った。その声に怯んだ私は掴んでいたジェラルドの腕を放した。

「魔法は使わないで……」

 ジェラルドに向かってそれだけをなんとかささやいてから、唸り声を上げて私たちを警戒する獣に顔を向ける。

「邪魔をしてごめんなさい。ちょっと通るだけなの」

 そっと声をかけながら心で強くイブを呼んだ。

 見たところ大型の肉食獣だけれど、魔物でないことは明らかだった。魔物は自然の摂理とは別次元に存在する。でも、それ以外の動物は皆自然の中で、そのおきてに従って生きている。自然を司る精霊の言葉には耳を貸すはず。人間よりも鋭い感覚を持つ動物には精霊の声が聞こえるはずだった。

 お願い、イブ。あの子に伝えて。私たちにあの子を傷つけるつもりはないんだって。

 そう念じながら私はジェラルドよりも前に歩みを進めた。

「おい」

 一歩前に足を踏み出すと、それ以上進むなというように上腕を強く掴まれて後ろに引っ張られた。私はその強い力に片足を前に出したままの姿勢で動けなくなった。

そんな私の横に静かにイブが現れる。

 その瞬間、獣の耳が片方、ぴくっと動き、ジェラルドと睨み合っていた瞳を私に向けた。正確には私の横のイブに。黒い瞳は何かを感じ取ったようだった。そこにさっきまでの射るような目つきはもうない。

「あなたを傷つけるつもりはないの。お願い、通らせて」

 もう一度言うと、隣のイブがすっと消えた。さぁっと一陣の風が吹き抜ける。その風を顔に受けた獣は何かを諦めたかのように、私から眼をそらした。そしてそのまま音もなく体の向きを変え、藪の中に消えていった。

 ……良かった……。

 ほっとして肩の力を抜く。腕はまだ強い力で掴まれたままだった。

 斜め後ろに顔を向けるとジェラルドと眼が合った。私を掴んでいた手はすぐに気がついたように離れた。

 けれど、視線は外れなかった。射るような鋭い視線が今度は私に向けられていた。

 怪しむような表情とその複雑な青色は、私に『今、何をした』と問いかけていた。

 どのくらいの時間だったんだろう。

 ほんの短い時間だったのかもしれない。けれど、永遠のように感じられた時間。

 それに耐えられず、私は重なった視線を外した。


 知られるわけにはいかない。でも、獣が殺されるのを見逃す事もできなかったの。


 逸らした目を一瞬だけ閉じて、短く息を吸い込む。

「ね、大丈夫だったでしょう?」

 私は努めて明るく声を出し、笑顔を作って後ろを振り返った。

「サーシャ!もう、やめてよ!心臓がいくつあっても足りないわ」

 アイリスは安堵したように息をついてから言った。

「私、山の中に住んでたから、こういうことよくあったの」

「突然飛び出すから、あの動物と知り合いなのかと思ったよ」

 ロレンスが呆れたように首を振りながら言う。

「そうだったらどうした?」

「別におかしくはないな」

「私もそう思うわ」

「そ、それって……」

 その後はいつも通りの会話だった。

 みんなの前で堂々と嘘をついていることに胸が痛む。アイリスとロレンスはきっと私の力のことを知らない。

 でも、彼は……?

 不安を隠しながら笑顔で会話を続ける私は不自然に見えていないだろうか。話をしながらそんなことをぐるぐると考えた。


 ジェラルドはそのまま何も言わなかった。

 そして私もその日、彼の顔を見ることができなかった。


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