第二章 距離2
ジェラルドに付いて行った家はごく普通の民家だった。
扉の前にぶら下がっている小さな鈴を鳴らす。迎えてくれたのは老夫婦だった。
確かに、この家に二人で住んでいるのなら部屋は余っているはずだ。
私たちはそろって家の中に入った。
あまり物がないシンプルな部屋。ここから見渡せる範囲には大きな木のテーブルとそれを囲む椅子が8脚。この部屋からしたら不自然な大きさのテーブルだ。そして、部屋の隅には暖炉。反対側の奥に見えるのは綺麗に片付いたキッチンと二階へと続く階段。
家具はあまりないけど、清潔で所々に花が飾ってあったりして、隅々まで目が行き届いている。古い家だけれどすごく温かい雰囲気だ。
椅子が8脚もあるのを見て、この家には子供が多かったのかなと思った。きっと、みんな大きな町に仕事を探して出て行ったんだろう。私の町でもそうだったように。
「あらあら、あなたみたいな大男が4人かと思えば、お嬢さん方もいたのね」
ブラウスにエプロンと長いスカートで肩にはショール。おばあちゃんみたいだ、と私は思った。懐かしいような切ないような気分。嬉しそうににこにこ笑いかけてくれたその人に私は笑い返した。
「あら、あなた、珍しい色の目をしているわねぇ」
おばあちゃんが私の目を覗き込むように言った。
いきなり核心を突かれた私は焦った。
前までは自分の瞳が持つ意味を分かっていなかったから、その事を言われても何とも思わなかったのだ。生まれつきこんな色よ、って軽く返していた。でも今は違う。
どう言えばいいんだろう……。
迷いながらひとまず微笑んでみる。
「この辺りでは見かけない色か?」
ジェラルドが自分たちにとっては特に珍しい色ではない、というように何気ない口調で問いかけた。
「えぇ、この辺りの人はみんな茶色い瞳だからね。あら、気づいてみればあなたたちみんな違う色をしてるのねぇ」
おばあちゃんが私たちを見回して驚いたような感心したような様子で言う。
私に珍しいと言ったのは偶然目が合ったからみたいだ。その事に気づいて、少し安心する。
「疲れているでしょう。大したものはないけれどゆっくり休んでいってね。日が沈んだら夕飯にするわ」
もうこの話題はおしまいみたいだった。
「世話になる」
「さぁ、部屋に案内しよう。三部屋しか空きはないがな」
おじいちゃんが言って奥へ歩いていく。
三部屋……。
私は歩きながら隣のアイリスに縋るような眼を向けた。
アイリスがくすくすと小さく笑う。そして小声で言った。
「冗談よ、サーシャは私と同じ部屋」
「あぁ、よかった……」
ほっと胸をなで下ろす。私たちの話を聞いていたらしいロレンスが振り向いて声を出さずに笑った。
部屋にあったのは簡素なベッドが二つと丸いテーブルだけだった。もう今は使っていない部屋なんだろう。
とりあえずベッドに腰掛けて荷物を置く。久しぶりの宿だ。
アイリスはすっかり疲れてしまっているみたいだった。ベッドの上で靴も脱がないままぐったりしている。
「ねえ、これから夕飯までは暇な時間なの?」
「そうなんじゃない?」
アイリスも分からないのか適当な返事だ。
窓の外を見てみると町が茜色に変わりだしたばかり。暗くなるまでにはまだ時間がありそうだった。
おばあちゃん一人でみんなの食事を作るのかな……。そうだったら大変だわ。
「ねぇ、私下でお手伝いしてこようかな。アイリスは休んでるでしょ?」
アイリスは横たえていた体を起こした。
「あなたは?疲れてないの?」
「うーん、あんまり。あのおばあちゃんとお話したいなと思って。なんだか私のおばあちゃんと雰囲気が似てるの」
アイリスはちょっと考えるような、迷うような表情を見せた。
「私も手伝えたらいいんだけど……。私、料理ってしたことがないのよ」
その予想もしない告白に私は目を点にした。
「えっ、今までどうしてたの!?」
「家にはコックがいたし、お城では軍の食堂があったし……」
……なんだか、住んでいる世界が違う……。
私は納得するしかなかった。
それに言われてみれば、お城の部屋にはキッチンがなかった。
「ねぇ、これから少しずつ、野宿の時にでもサーシャが教えてくれる?」
それを聞いて急に嬉しくなる。今まで教えてもらってばかりいた彼女に私でも教えられる事があるなんて思ってもみなかった。
「もちろんよ」
確かに、今日は無理だわ……。
料理をしたことがないなんて分かれば一瞬で身分がばれてしまう。
別にあの老夫婦を警戒する必要はないだろうけど、これから先どうなるか分からないのだ。誰か他の人に私たちのことが偶然に伝わってしまう事もある。もし、他国の貴族に紫の瞳の者と身分の高そうな者が一緒に旅をしていたと知られてしまったらどうなるだろう。それがきっかけで危険な目に遭うかもしれなかった。もうここはイスニアではないのだ。警戒するに越した事はなかった。
「じゃあ、行ってくるわね」
私はアイリスを残して部屋を出た。
狭い廊下。
私たちの部屋は階段から一番遠い奥の部屋だった。
昼間でも薄暗いであろう廊下を歩いて階段の前まで来た時、何の前触れもなく、一番近い扉が開いた。
あまりにもタイミングが良すぎた。
思いがけず近い距離からジェラルドに見下ろされる事になった私はうろたえた。暗いせいでいつもより威圧感がある。
「どこへ行く?」
「あ、あの、おばあちゃんのお手伝いをしようと思って……」
彼は何かを考えているかのように私をじっと見下ろした。感情の読めない眼差し。
なんだか観察されてるみたい……。
居心地が悪くなった私は顔を合わせられずにうつむいた。
「俺も行こう」
「えっ」
「余計な事は言うなよ」
思いがけない展開だった。
ジェラルドはそのまま私の横を通って階段を下りていってしまった。
要するに、私が変な事を言わないように見張ってるって事なの?
私は彼に余計な手間をかけさせてしまったの?
疑問と不安が頭の中でうずまく。
私たちの間には見えない厚い壁があるみたいだった。
彼に対する苦手意識は大きくなるばかり。今までに見たことのないタイプの男の人。どう付き合えばいいのか分からない。このままずっとこんな関係が続くのだろうか。
誰かを苦手だと思ったことなんて今まではなかったのに、どうして……。答えは見つかりそうになかった。いつもそう。頭が答えを出すより先に体が緊張してしまうのだ。
私はしばらく暗い廊下で立ち尽くしていた。
出合った時から一向に近づかない距離。
彼は私のことをどう思っているんだろう。面倒な旅だと思っているんだろうか……。
私には、分からなかった。