第二章 彼女:ロレンス
小さな町に着いたのは日が傾きかけたのがはっきりと分かるようになった頃だった。
「わぁ、私の住んでた町に似てるわ」
隣でサーシャが声を上げる。目を輝かせて嬉しそうだ。
別に可笑しな事を言ったわけではないのだが、その愛らしさに口元が緩んでしまいそうになる。
今日の彼女は本当に見ていて飽きなかった。
歩きながら昨日アイリスに借りた本の呪文の暗唱の練習。今日はいつものように他愛無いおしゃべりをせずに口の中でぶつぶつと呪文を唱えていた。さらに薬草を探すために目は絶えず道の両脇を見渡す。どっちも大真面目でやっているのが本当におかしい。
初めて見た時は彼女の美しさに言葉を失ったが、その性格を知った私はそれ以上に驚かされた。
彼女のような女性は初めてだ。
これまで貴族の令嬢以外とこのように接する機会などなかった。巧みな話術と勘ぐり、駆け引きが常の彼女たちとは違い、サーシャは純粋で疑うことを知らず、正直だった。世間知らずかと思えば、薬学の知識があるなど意外な一面も持っている。まるで掴みどころがない。
彼女のそのよく動く大きな紫の瞳と愛らしい笑顔は誰をも魅了するようだった。
イスニアで宿に泊まった夜、姿が見えなくなった事を心配し探しに行くと、いつの間にか食堂で知らないパーティーの者と談笑していた事もあった。あれには三人とも呆れてしまった。
「町じゃなくて村じゃないの?」
「私の住んでたところはもう少し大きいもの。だから町よ。でもなんだか雰囲気が似てるの」
確かに、町というよりは村だ。家が20軒ほどあるだけだ。
それぞれの家も町のように隣り合っているのではなく、畑を挟んでいるためある程度の距離があった。
「宿を探してくる。少しここで待っていてくれ」
ジェラルドはそう言うと私たちを町の入り口に置いたままさっさと一人行ってしまった。
「ここに宿なんてあるのかしら」
アイリスの言葉を聞いて、私は尤もだろう、と思った。アイリスこそ家や城を出てこれほど遠くへ来たのは生まれて初めてのはずだ。
私が彼女の兄のルイスと友人であるため、彼女の事は彼女が生まれた時から知っていた。彼女が幼い頃は実際にリトリアの家で会っていたし、成長してからはルイスから聞かされる困った妹リヴィーとして。
やはり兄にとって末の妹というのはいつまで経っても幼いリヴィーのままであるらしく、その話を聞かされ続けていた私もすっかりそれに感化されてしまっていた。
確かに、彼女のはっきりとした物言いや素っ気ない態度は昔からあまり変わっていない。なので、旅を始めた当初は聞かされてきた幼いリヴィーのままだと感じた。
しかし、彼女はあまり誰かと群れることを好むようではなかったように思う。パーティーや舞踏会を嫌がり参加しようとしないというのはいつもルイスの嘆きの一つだった。
それが今、見ている限り彼女はサーシャとは姉妹のように打ち解けている。それに意外と世話好きのようだった。ジェラルドにも事あるごとに話しかけ、私たちの話に参加させようと試みている。
まあ、あまり効果は上がっていないようではあるが。
彼女はもう幼いリヴィーではなかった。城で一人暮らしをするうちに何かしらの変化があったのだろうか―――。
そこまで考え、ふと我に返った。
「普通の民家に泊めてもらうんだよ。部屋が余っていたりすれば泊めてもらえるさ」
「四人が泊まれるほど部屋があるの?」
「まあ、さすがに一人一部屋と言うわけにはいかないだろうな」
ここよりも小さく、もっと貧しい村に行けば四人一緒に一つの家に泊めてもらうことも困難になるだろうが、この村ではまだ大丈夫だろう。
それを聞くとサーシャが嬉しそうに言った。
「じゃあ、私とアイリスは一緒の部屋で眠るの?」
「あら、あなたはジェラルドと同じ部屋よ?」
くすっと笑ってサーシャを見たアイリス。一人暮らしでそんな冗談まで覚えたのか、と内心苦笑する。
案の定、それを聞いたサーシャはみるみるうちに顔を曇らせる。彼女に冗談は通じないのだ。
「そ、それは困るわ……」
「城では一緒の部屋で生活してたじゃない」
アイリスはまだ続ける気のようだった。
「そ、そんな事してないわ!」
何を言っているのか、というようにアイリスを見たサーシャの様子に、私はおや、と思った。
「私と初めて会った部屋にずっと居たんでしょう?」
「そうよ。だから一緒の部屋じゃないでしょう?」
まさか、彼女はあの部屋がジェラルドの部屋の客室であったとは気づいていないのではないか……。
いや、サーシャならありうるな。それに気づき考えを改める。彼女はリビングを挟んだ反対の部屋にジェラルドの寝室がある事を本当に知らないのだろう。まあ、サーシャにしてみれば同じ部屋だという感覚がないのかもしれないが。
アイリスもその事に思いが至ったようだった。複雑な表情を見せる。
「アイリス、このまま知らない方がいいな」
「そ、そうね」
その方が彼女のためだ。
目配せして事実を知らせない事を確認し合う。
「なに?なにを知らないの?」
その時ちょうどジェラルドが戻ってきた。
おそらく、彼はサーシャに気を使い隣に彼の寝室があることを気取られないようにしていたのだろう。彼はこの女性に思いの外気を使っていたらしい。
私とアイリスに同時に哀れみの眼を向けられた男は怪訝そうな顔をして言った。
「なんだ?……宿が見つかったぞ。四人一緒に入れるそうだ」