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第二章  文字2:アイリス

「これが読めるのか?」

 先に声を出したのは隣にいたジェラルドだった。訝しむような表情で眉を寄せてサーシャを見ている。するとサーシャは慌てたように私の近くにやって来た。

「え、何かダメなの?」

 彼女は自分の本を覗き込み、確認しながら答える。

「だって、……これ、なんて書いてあるの?」

「へっ?」

 サーシャと私は顔を見合わせた。

 我ながら間の抜けた質問だと思う。でも、この文字は私には読めない。

 ううん、この国の誰にも読めないはずだ。

「これって、アラベール文字よね?」

「そうだ、間違いないな。どうして今まで黙っていた?」

 近くからジェラルドに鋭い眼を向けられたサーシャは目に見えてうろたえた。

「何がダメなの?」

 サーシャはおろおろと私とジェラルドを交互に見る。彼女にはこの重大さが分からないらしかった。

 そこで私は体の向きを変えてサーシャに説明することにした。

「この本、アラベールっていう文字で書かれているんだけど、この文字は古い文字でもう使われていないの。今でも解読されていないのよ」

 彼女は驚きに目を丸くしておずおずと口を開く。

「え、でも……私、読めるよ……?」

「だから私たちも驚いてるんじゃない!」

「どうしてこれが読めるんだ。祖母に習ったのか?」

 それを聞いたサーシャははっと何かを思い出したような顔をした。

「そうだわ。おばあちゃんはこの本が読めなかったのかもしれない……」

「じゃあ、どうしてあなたは読めるのよ?」

「……分からないわ」

 彼女は困惑した様子で考えだした。私とジェラルドは思わず顔を見合わせる。

 分からないって言われても……。彼も困ったようだった。

「じゃあ、本はどこで手に入れたんだ?」

「……家に、家にあったの」

 彼女は記憶をたぐり寄せるかのように虚空を見つめ、たどたどしく話し出した。

「そう、子供の頃におばあちゃんのベッドの上で見つけたの。家にはそんなに本がなくて、見たことのない本だったから……借りたのか、新しいのを買ったのかなって思って、その場で読んでいたの。そしたら、おばあちゃんが私が読んでるのを見つけて……、慌ててたみたいだった。私が読めるのを知って、多分、…驚いてたと思う……。この本どうしたのって聞いたら教えてくれなかったんだけど、私が読めるんだったらあなたにあげるわって。……今まで、忘れてたわ。この本はいつも当然にそばにあったから……」


 私たちはしばらくの間沈黙した。それぞれが何かを考えているようだった。

「アラベール文字はグーテンベルク一族の使う文字だったんじゃないか。サーシャの母親が置いて行ったのかもしれない」

 沈黙を破ったのはロレンスだった。ジェラルドはそれに頷いた。

「そう考えるのが最も筋が通るな」

 サーシャはまだじっと本を見つめたまま動かない。私は持っていた本を彼女に返した。

「誰にも教えてもらっていないのに読めたの?」

 彼女は顔を上げて本を受け取る。

「ええ。だって、今まで他の本と違うなんて気づかなかったもの」

「全部一緒に見えるの?」

「うん」

 同じ文字に見える。

 当然のように頷いた彼女を見て、私は何故か背筋に寒気を覚えた。

 不思議な色の瞳。あなたのその紫の瞳にはこの文字はどういうふうに映っているの?

 やっぱりサーシャは普通の子とは違う。グーテンベルクの生き残りなんだわ。

 その事を強く認識せざるを得なかった。


 アラベール文字が読める。これは本当にすごい事なのだ。

 この大陸には三種類の文字がある。現在使われるコナール文字、魔術書に使われている古代ピョーテル文字、そして謎のアラベール文字。

 学者たちの長年の研究にも関わらず、アラベールだけが唯一、解読されていないのだ。その複雑さゆえに。

「ねえ、書く時は?字を書いた事がある?」

 サーシャは首を横に振った。

 別に珍しい事ではなかった。紙は町の人にとってはわりと高価だろうし、ペンやインクはもっと高価だ。それに文字を使う機会は日常的にはないだろう。

「名前、書いてみて」

 魔法で紙とペンを取り出し、彼女に手渡す。

 全員がその手元に痛いくらいの視線を向ける中、彼女はおそるおそるペンを滑らせた。

「…………」

 誰かが息をもらすのが聞こえた。

 アラベールだった。

 サーシャには本当に違いが分からないらしい。不安そうに私の顔を覗き込む。

「ねえ、私どっちで書いたの?」

「アラベール文字よ」

 サーシャが目を閉じてため息をついた。どうして、と呟く。


 重苦しい空気が漂う。

 パチパチと焚木のはぜる音だけが静かにやけに大きく響いていた。

 あまりの事実にみんな何を言うべきなのか分からないのだ。サーシャは私たちの真ん中で、まるで悪い事をしたのが見つかってしまった子供みたいに萎縮してしまっている。

 彼女は何も悪くはないのに。

「ねぇ、サーシャ。これってすごいことだわ。アラベール文字って、薬学や医学の本が多いって言われているの。まあ実際は解読できていないから、その挿絵とかで判断しただけなんだろうけど。でもその中にはまだ知られていない内容が書かれているものがあるかもしれないわ」

 私は明るく言った。

「そうだよ、サーシャ。これはすごい力だよ。きっと国のみんなの役に立つ」

 ロレンスも気分を変えるように言うとサーシャに笑いかけた。

 それを聞いた彼女は強張っていた口元を少し緩めて囁く(ささや)ように言った。

「ほんと?本当にそうなる?」

「ええ。大丈夫よ」

 笑いかけると、サーシャはほっとしたようにかすかに微笑んだ。

 ジェラルドは何も言わなかった。彼はその後も一人で静かに何かを考えているようだった。



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