第一章 前夜
希望と不安。
あの時、私はどんな旅の終わりを望んでいたのだろう。
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どうして今まで名前も知らずにいたんだろう……。
その事に気づいた途端にものすごい後悔が押し寄せた。
だから、この人とはあまり上手くいかなかったんだわ。
「とりあえず、全員座ってくれ」
沈黙を破った声。
私たちはそれぞれ席についた。
「まず、始めに確認してほしい。俺たちはこれから一年間大陸中、必要であれば世界中を旅する。もちろん、その間は身分を偽る。全員がエルン出身の平民という事になる。通行証も用意した」
全員が座ったのを確認すると彼は私たち一人ひとりを見回して話を切り出した。そして、イスニア国の紋章が描かれた紙を見せた。
「よって、敬語はなしだ。それと、ファーストネームで呼び合う。町の者たちがしているように。間違っても中佐とは呼ぶなよ」
そう言ってアイリスを見る。
「はい」
「あと、俺の名前はジェラルドだ。ジェラルド・キーナン。ジェラルドと呼んでもらってかまわない」
私に強い目が向けられる。
「は、はい」
ジェラルド・キーナン。それが、この人の名前……。
慌てて頷いた私の隣でアイリスが怪訝そうな顔をしたのが分かった。向かいにいるロレンスは笑いたそうな顔。
……さっきから何がそんなにおかしいの。
「まったく、君らしいな」
呆れたように言ったロレンスの言葉を、彼は無視した。
その後、ジェラルドは私たちに旅の計画を説明した。
私はこの世界の地理を初めて知ることになった。世界地図を見たのも初めて。
この世界は二つの大陸からなっている。小さい方がアゾフ大陸で大きい方がボルミノサ大陸。
私たちがいるのはアゾフ大陸の南。この大陸は比較的はっきりとした四季がある、温暖な気候をしている。豊かだけれど、争いが多く安定しない大陸。
今もはっきりとした国が安定した状態で存在するのは私たちが住む南の方だけらしく、北の方は小さな領土のそれぞれを領主が守っていて、領土争いが頻繁に起きているらしい。
私たちはまず、大陸の最北東、バシリカ地方と呼ばれる、かつてグーテンベルク王国があったところを目指すことになった。
ジェラルドはグーテンベルク一族が本当に滅んだのかどうかを知るには、実際にまずそこに行ってみるほうがいいと考えたのだ。そこには王国時代の遺跡もある。
バシリカ地方は全体的に横に丸い感じの大陸から角が生えたように飛び出ている。狭い海峡をはさんだボルミノサ大陸と最も近いところだった。
つまり、私たちはアゾフ大陸をほぼ縦断する事になるらしかった。
「サーシャ、分かった?何か質問は?」
地図に目を向けていたロレンスを見て聞いてくれた。
「えっと、北に向かって進むのよね。バシリカ地方のグーテンベルク王国の跡地に」
私はジェラルドが話した事をなんとか整理して答える。
「ああ、そうだ。なかなか呑み込みがいいね。戦争が起きなければいいが……」
ロレンスは私ににっこりと笑顔を向けてから心配そうに言った。
「それは何とも言えないな。今は小康状態だが――――」
説明を終えたジェラルドは3日後の朝に出発するという事を確認すると、いつものようにすぐに部屋を出て行ってしまった。
その後、私は残ったアイリスとロレンスと話をした。初めて会ったロレンスは気さくで話しやすく、すごく優しそうで他にどんな人が一緒に旅をするのか少し心配だった私はすっかり安心した。
それに、ロレンスは今まで見たことのある男の人の中で一番綺麗だった。男の人に綺麗って言うのはおかしいのかもしれないけど、本当にその言葉がぴったり。
濃いめのグレーの瞳にちょっと長めで落ち着いた色のさらさらの金髪。長いまつげの下の眼がすごく優しくて……そう、まるで本で読んだおとぎ話の王子様みたい。
同じ国軍の人でもどうしてこんなに違うんだろう……。
私は旅の前日、ベッドの中でつい最近やっと名前を知った彼のことを考えていた。
もう出会ってからかなり経っているのに、私が知っているのは鋭い眼差しとぶっきらぼうな態度だけ。
ロレンスとジェラルドが友達だと聞いてもなんだか信じられない。
冷たいのは私だけになの?
ロレンスは全然怖くないのに、やっぱりあの人はどこか怖い。
これからずっと一緒にいるのにこのままで大丈夫なのかな……。
旅の前夜。
私の胸の中では少しの不安と未知の世界への期待が渦巻いていた。
これで第一章は終わりです。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!
気づけばこんなにも長くなってしまっていました……。話をまとめられない私。
第二章はこの物語の中心になります。ズバリ、恋。
今までのように毎日更新とはいかないと思いますが、お付き合いしていただければ嬉しいです。