第一章 山奥の日常2
風は日々暖かくなり、緑は日々深まってゆく。
でも、私の毎日は変わらない。
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今日は湖で水浴びをした。水はもうだいぶ暖かくなって入っても寒くはない。これも夏が好きな理由。家の中でお湯を沸かして体を拭くのは大変だし……。
夜、髪をとかしているとおばあちゃんが部屋にやってきた。
「今日は外で水浴びしたのね」
分かってるんだから、というように私を見る。
「……!ばれちゃった?だって外のほうが気持ちいいんだもの」
肩をすくめて笑ってみせる。
「いつまでも子供みたいなことしないの。誰かがいたらどうするの」
「……気をつけるわ」
私は素直に謝った。おばあちゃんは心配性なだけなのだ。「貸して」というと私からくしを取り上げ、髪をとかしてくれた。
なんだか嬉しくなって目の前の机の上にある乾燥中の薬草たちに向かって微笑む。
「あなたはどんどん母親に似てくるわね」
何かを思い出すような言い方だった。
「お母さん?私のお母さんも紫の瞳だったんでしょう?」
珍しいな、と私は思った。
おばあちゃんはお母さんの話をあまりしたがらない。私が知っているのは、少し遠くの街に出ていたお母さんは私を身ごもってこの家に帰ってきて、私を生んだ後すぐに病気で死んでしまったということだけ。今も、お父さんは誰なのか分からないまま。
だから私には両親の記憶がない。
「そうよ、紫の瞳に綺麗な金髪だったわ。だからあなたの髪も茶に金が混じってるのね」
「お母さん、綺麗だった?」
「えぇ、とても綺麗な人だったわ……」
おばあちゃんはそう言うとはっとした様子でくしを机に置いて「はい、お終い」と言った。
……やっぱり、あまり話したくないみたいだ……。
「ありがとう」
にっこりお礼を言うと、おばあちゃんはいたずらっぽく笑う。
「でも、あなたもお母さんに負けないくらい綺麗よ、サーシャ」
……おばあちゃんったら。
私は笑い返しながらもう一度「ありがとう」と言った。
おやすみの挨拶をしておばあちゃんは下に戻っていった。
私はいつもするようにこっそりイブを呼び出した。
夜は寝るまでイブと話すのが習慣なのだ。イブとは物心ついたときからずっと一緒にいる。もし私にお母さんがいたらこんな感じなのかも知れないなと時々思う。他の精霊たちは呼ばないと出てこないけど、イブは私が必要なときは呼ばなくても出てきてくれる。ちょっと人間っぽい精霊だった。
おばあちゃんは私がイブと大っぴらに会話するのが好きじゃないみたいだった。直接言われたことはないけれど時々そう感じることがある。私にはイブが見えるけれど、おばあちゃんには見えないからだと思う。
ううん、他の誰にも見えないらしい。だから子供の頃まだ私自身精霊のことをよく分かっていなかった頃は一人で何もないところと会話する私を見て、おばあちゃんは本当に心配したみたい。今では私が街でうっかりイブと話をしてしまわないかとっても心配している。
だから最近はおばあちゃんの前でイブと話しをするのはやめたのだ。でもイブは私の大切な友達。イブのいない生活なんて考えられない。
「イブ……」
いつものように声をかけるとイブはすーっと私の側に現れた。静かな風が舞う。
「ねぇ、お母さんも私みたいに精霊が見えたのかな?」
「さぁ、どうかしら。私には分からないわ」
「でも前に私にイブが見えるのは紫の瞳だからだって言ったでしょう?だからお母さんにも見えたんじゃないかしら」
「えぇ、おそらくそうね」
イブははっきりとは答えてくれなかった。
「はっきりは答えられないこと?」
精霊にも特別の決まり事があるらしい。前に、人間にあまり干渉しすぎて私たちの歴史を変えることは良くないんだって教えてくれた。
「いいえ、本当に知らない事なのよ。私もあなたのお母さんを見たことがあるわけじゃないもの。見たことがあれば分かったかもしれないけど」
「じゃあ、イブはどうして私と一緒にいるの?」
これはもう何度もした質問だった。
「それも私には分からないわ。私が知っているのは精霊が大昔に紫の瞳の者と契約を結んだということだけよ。私はサーシャの側にいるようにって日の精霊に言われて来たの。他の皆も同じよ」
「どうして紫の瞳だったの?」
これも何度もした質問。
「さぁ、それも分からないわ」
返ってきたのは同じ答えだった。私は苦笑した。
「分からないことばっかりね。他の皆に聞いても同じ?」
「ええ、同じよ。だって知らないんだもの。きっともう知ってる精霊もいないんじゃないかしら」
「そう……」
いつもの質問にいつもの答え。
私は質問を諦めて休むことにした。髪をゆるく編み終わるとランプを吹き消し、立ち上がってベッドに向かう。
「おやすみ、イブ」
声をかけてベッドに入る。
「おやすみなさい。良い夢を」
イブは静かに答えると風と共に消えた。
ベッドの中で目を閉じて思う。
……私の毎日は分からないことばかりだ……。