第一章 男2
初めての朝、初めての顔。
たくさんの初めてに出会いながら、私たちは生きていく。
そう、毎日は初めてのくり返し。
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目が覚めるとそこは、広々とした豪華なベッドの上だった。
薄暗く、見慣れない景色に一瞬自分がどこにいるのか分からなくなり、次の瞬間、ああ、お城に来たのだったと思い出す。
このベッドもふわふわ……。そんなことを思って、ふと気づいた。
あれ、わたしいつの間にベッドに来たの?
それにこの部屋はどこ?
すると、部屋がノックされる音が聞こえた。
「はい?」
「入るぞ」
入ってきたのはあの男の人。
「……おはようございます」
「よく寝てたな。もう昼だぞ、昼食を持ってきた」
相変わらず表情を変えないその人はカーテンを開けながら言った。
……もうお昼?厚いカーテン……。朝日が入って来なかった。だからこんな時間まで気づかなかったんだわ……。窓から差し込む強い日差しに目を細める。
頭はまだ完全に目覚めてはいないようだった。ここは、森の家とは全然違う。これからはイブとも朝の挨拶ができないんだ……。私はそんなことをぼんやりと考えた。
彼に続いて部屋を出ると、そこは昨日のリビングだった。
……そっか、隣りの部屋だったんだ。
「ここと、その部屋は自由に使ってかまわない」
とりあえず頷いて答える。それから私は昨日のお礼を言っておいた方がいいだろうと思った。きっと、ソファで寝てしまった私をベッドまで運んでくれたのは彼だ。
「あ、あの、重かったでしょう?運んでいただいて、ありがとうございました」
「あぁ」
返ってきたのはそっけない返事だけ。
「…………」
それを聞いて、やっぱり迷惑をかけてしまったんだと私は心の中で反省した。
でも、もうちょっと何か言ってくれてもいいのに。彼はあまり話すのが好きじゃないんだろうか。
リビングでの食事はとても静かだった。食器の擦れる音が響いて聞こえるくらいに。
……何を話せばいいの……。
淡々と食事をするその人を盗み見てこっそりため息をつく。
目の前にいるのに会話は全くない。二人きりのなんとなく気まずい食事。気をつけないと自分の吐く息の音まで聞こえてしまいそうだった。私には、今彼が何を考えているのかなんて全然分からない。
「しばらくこの部屋にいてもらうことになった」
食事を終えた後、その人は唐突に切り出した。私は返事をしてから気づいた。
あ、そういえば。
恐る恐る見上げて聞いてみる。
「あ、あの、顔を洗いたいんですけど……どこに行けば……?」
「あぁ、そうだった。……すまなかった。こっちだ」
「い、いえ!」
慌てて首を振る。
よ、よかった……。
驚いた事にリビングから続く扉の向こうには浴室と洗面所があった。赤銅色の鈍く光る蛇口に黒い大理石の洗面台。わざわざ家の外に出なくてもいいなんて……!
しかも、井戸じゃない。蛇口をひねるだけで水が出る。私には何もかもが珍しかった。
洗面所の使い方を教えてもらう間、私は目を輝かせて説明を聞いていた。
ふと、男の人の視線が注がれているのに気づき自分の頭上にある顔を見上げる。
「……風呂に入りたいか」
その人は私が見上げると視線をずらし、少し言いにくそうに言う。
お風呂。すごく入りたい。旅の間は宿で体を拭くことしかできなかったのだ。それは切実な願いだった。
「はい」
それを聞くと、その人は浴槽に手をかざし何かを小さく唱えた。
……え、なに?
呪文が途切れた途端、彼の手のひらから水が溢れ出した。
……えっ!!
水は勢いよく流れ続け浴槽を満たしていく。浴槽から溢れ出す前に、その人がかざしていた手を握ると水は止まった。
あまりに突然で、しかも目の前で見た魔法に私はあんぐりと口を開けたまま固まっていた。
するとまた、その人は何かを小さく唱えた。
今度は手のひらに紅茶のカップほどの大きさの強烈な光の球が生まれた。そして、まぶしくて直視できないほどのそれを、ぽんっと浴槽に落とした。
「あっ!!」
私は思わず、声を上げ身を乗り出して覗き込んだ。光の球はしばらく水の中で揺らめいた後、次第に光を失っていった。すると、それと同時に水から白い湯気が立ち上った。
……すごい。こんなに簡単にお湯が沸くなんて……。
呆然としたままたっぷりと張られた湯をしばらく見つめていて、はっとした。
「あ、あの、ありがとうございます」
「いや、また入りたければ遠慮せずに言うといい」
わっ、笑った……?
男の人がほんのかすかに口元を緩め、空色の目を細めたのだ。それは初めて見たやさしい顔だった。
もしかしたら、そんなに怖い人じゃないのかも……。
にっこり笑い返してみる。するとその人はすぐに表情を戻し私に背を向けた。
「…………」
今のは気のせい?
「あぁ、まだ熱いから―――」
浴室を出たその人が思い出したように言いかけて振り返ったのと、私がお湯に手を突っ込んだのは同時だった。
……え、熱っ!?
慌てて手を引っ込める。
それを見た彼は今度ははっきりと呆れたような顔をした。
「入るのは冷めてからにしろ。あと、部屋からは出るなよ」
まるで子供に言い聞かせるように言うと、そのまま部屋を出て行った。