第一章 王都へ
明日は何を見るんだろう。
未来には何が待っているんだろう。
恐怖なんてまだ、知らなかった私。
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出立の日の朝、教会の前には話を聞いた街のみんなが集まってくれていた。
パン屋のおじさん、おばさんにターニャ、貸本屋のおじさん、薬草を買ってくれていた人たち。
そうだった。私にはこんなにもたくさん温かい人たちが、心配してくれる人たちがいる。一人ぼっちなんかじゃなかったんだ。
その事に気づき涙ぐみそうになるのをこらえて笑顔で手を振った。
「ありがとう。行ってきます!」
みんなは口々に別れの言葉をかけてくれた。
「元気でやるんだよ、サーシャ」
「早く戻っておいで!」
「帰ってくるのを待ってるからね!」
―――おばあちゃん……行ってきます。
深い緑で覆われた山に目を向けて心の中で祈る。どうか、今度ここに戻って来るときにはすべての疑問に答えが見つかっていますように……。おばあちゃん、私を見守っていてね。
育った山と街はあっという間に遠く、小さくなった。
エルンまでは馬での旅だった。私にとっては初めての乗馬。もちろん一人で乗られるわけもなく、何から何までその人のお世話になりっぱなしだった。
馬に引き上げてもらうところから降ろしてもらうところまで。とにかく、大変だった。
一日中馬で走り、夜は宿に泊まる。
慣れない旅に疲れて果てていた私は後ろで支えてくれていた彼との会話がないこともあまり気にならずに過ごせた。
それに私は旅の間中ずっとお尻が痛かった。馬に乗ることがこんなにも大変な事だなんて夢にも思わなかった。
……この人は何ともないんだろうか。
私は後ろを振り返った。
「あの、お尻は痛くありませんか」
「いや。……慣れてるからな」
複雑そうな表情……。
出会ってから初めて表情を変えた彼になんとなく嬉しくなって、私はそのままその話題を終えた。
町を出て6日後。ようやく着いたエルンは素晴らしい所だった。
真っ直ぐに続く大通りには見たことのない人ごみ、人々の服はあらゆる色で街を彩り明るいオレンジ色のレンガで統一された通りと建物に映えていた。
その人の間を縫って走る様々な形の馬車。通りの両側を取り囲む店、店、店。パン屋にお菓子屋に洋服店に靴屋。見渡す限り、人が入っていないお店なんてなかった。
客を呼び止める声、交し合う挨拶。建物の窓辺には小さな色とりどりの花の鉢植えが街を彩り、あふれる夏の陽射しを浴びて輝いていた。
横から伸びる細い路地には住宅が立ち並び、走り回る子供たちと生活が奏でる音、そこで暮らす人々の活気に満ちている。
見ているだけで自然と笑みがこぼれてしまう。なんて楽しそうな街なんだろう。
「わぁ……!すごいっ!人がこんなにいっぱい!!」
「おい、あんまり乗り出すと落ちるぞ」
思わず馬から身を乗り出して声を上げた私の腰を彼はしっかり掴んだまま呆れたような顔をする。
「だって、こんなの見たことないんだもの……」
私はもごもごと言い訳しながら姿勢を元に戻した。
……ちょっと、子供っぽかったかな……。
でもお城を見た瞬間、さっきの反省も吹き飛んでしまった。初めてお城を目にしたときの驚きはきっと言葉では言い表せない。私は声も出せなかった。
……なんて美しいの……ここが、王の住むところ……。
城壁に囲まれてエルンの街を見下ろすように立つ城は空に吸い込まれそうなほどの高さだ。
……いったい何階建てなんだろう?
屋根は深い青色。一番高い塔の屋根にはイスニア国の紺と金の国旗が風にはためいていた。一点の曇りもない真っ白な壁。緑の木々に囲まれた城はまるで別世界の建物のよう。
整備された木立を駆け抜けて城壁の内側に入りさらに驚く。城の正面には広々とした庭園が広がっていた。左右対称に作られた庭園には様々な形にせん定された植木。花壇に咲く色とりどり花はすべて零れ落ちそうなほどの大輪の花。
ありのままの森の草木しか見た事がない私には衝撃的な眺めだった。庭園の奥では大きな噴水が太陽に反射し光をきらめかせながら水を噴き上げていた。
何もかもが豊かで大きく、私の想像を超えていた。
お城に入るとそのままある部屋に連れて行かれた。
「ここで待っていろ。どこへも行くなよ」
頷いてみせる。するとその人はすぐに部屋を出て行ってしまった。
連れて来られた部屋を見渡すとそこはリビングのようだった。
全体的に茶系統の色でまとめられた荘厳な作り。すごく広い。おそらくこの部屋だけで森の家の台所とリビング……ううん、家の一階全部を合わせたよりもまだ広い。なのにリビングにはまだ4つも扉がついている。
お城ってなんてすごいところなんだろう、と改めて思う。
広いリビングの中央には落ち着いた緋色のソファがあった。置いてあるソファに恐る恐る座ってみる。座ると、体が大きく沈んだ。
……すごい、ふかふかだわ……。
「ふふっ……」
そのことがうれしくて顔がにやける。
……ああ、私、本当にお城に来ちゃったんだ……。
その実感をかみしめながらしばらく座っていると、急にどっと疲れたような気がして私は知らないうちに眠りに落ちていた。