第一章 男1
慣れない相手、とまどう私。
あなたのすべてを理解できる日は来るの。
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その人は私に驚きの言葉を告げるとどこへも行かないようにと念を押し、去っていった。
空は相変わらず抜けるような青だった。
私は爽やかな風が窓から入り込む教会の一室で、部屋の片隅に置かれたガーベラの鉢植えに水をやりながら、どうすべきか迷っていた。
待っていろと言われた。
あの人は私をどうするつもりなんだろう。本当は待っていないで逃げ出した方がいいんじゃないの?でも、逃げるってどこに?
それにこのまま逃げ出したら力を使った事を認めるのと同じ事になる。だって、あの人は私がイブの力を使った事を見ていて、声をかけてきたに違いないもの。
それにしても……滅びたってどういうことなの?
疑問は尽きそうになかった。
けれど、これはチャンスかもしれない。あの人はグーテンベルク一族について何か知っているみたいだったもの。もし運がよければ彼からグーテンベルクについての情報を得ることができる。
教会の部屋に閉じこもったまま外に出ようとしない私を見て牧師さんは心配そうだった。申し訳ないとは思っているけど、相談する事もできない。
ぐるぐると考えて結局、私は彼が来るのを待つ事にした。とりあえず、話をしてみないと何も分からない。
……呆れた!
あの日から三日目の昼を迎えて、私は部屋で大きく息を吐いた。
なんて事だろう。連絡もないまま三日も放っておかれるなんて。これはもう忘れられたに違いなかった。私ばっかり一人でこんなに悩んで、馬鹿みたいだ。
今日来なければ、明日こそは貸本屋に行って調べてみなきゃ……。
その日、雲の間から赤い西日が差し込む頃、私は馬のいななきを聞いたような気がして窓から下を見下ろした。
嘘っ!?もしかして、本当に来たの?
もう来ないものだと思いはじめていた分、実際に来られると動揺してしまう。
すると階段を駆け上がる音が聞こえ、牧師さんが慌てた様子で私の部屋の扉を開けた。
「サーシャ!国軍の方が君に会いたいと下に来てる。いったい何をしたんだい!?」
「え、えっと、何もしていないと思うんだけど……」
「とにかく、下りてきてくれ」
それは本当にあの日見た男の人だった。
「遅くなって悪かった」
全く悪く思っていなさそうなぶっきらぼうな言い方。それに怖い顔。
……ああ、どうしよう……。
彼は私が今までに見たことのないタイプの人間だった。
牧師さんに案内された教会の一室で、私はお茶を飲む振りをしながら目の前に座っている男の人をこっそり観察していた。
……前に話した時はそんな余裕なかったもの。
その人はすごく背が高かった。今まで見た男の人の中でも間違いなく一番だ。それに、なんだか全体的に大きな人だった。しっかりとした首に広い肩幅。こんな人、この町にはいない。
短く切られた漆黒の髪、整った形の眉、綺麗な色のブルーの瞳にすっきりと通った鼻筋。日に焼けた肌の色。でも、鋭い目つきと変わらない表情のせいで近寄りがたい雰囲気。
静かに紅茶を飲む男の人を見て、ああ、こんなふうに男の人と二人きりで話すのは生まれて初めてかもしれない、と場違いな事をぼんやり考えた。
……ダメよ、気をつけないと。
私は自分に言い聞かせた。きっと、この人は私がイブの力を使ったのを見ている。だから私に声をかけてきたのだ。手紙にも何度も書いてあったように、精霊の力のことを知られるのは良くない。
「あの、どうして私がグーテンベルクだとおっしゃったのですか」
私が恐る恐る切り出すと、その人は飲んでいた紅茶のカップを戻し、姿勢を伸ばして私に鋭い視線を向ける。
「その瞳だ。グーテンベルク一族は皆、紫の瞳を持っていたと言われている」
瞳の色。まさかそれで分かるなんて……。
私はあまりの分かりやすさに愕然とした。
町の人たちには珍しい色だと言われたことがある。でも、それだけだった。でも、紫の瞳の者がグーテンベルクなら、おかあさんもそうだったってことだ。
「それだけで、グーテンベルクだと分かるのですか?」
「さあな、はっきりした事は分からない。しかし、今まで歴史上、グーテンベルクと呼ばれる者は必ず紫の瞳を持っていたと聞く。逆に、紫の瞳を持っていてもグーテンベルクではなかった者がいたかどうかは知らないが」
「……」
「お前はなぜ、グーテンベルクを知っている?」
「え、えっと、母の手紙を――――」
鋭い眼差しを向けられた私は、精霊の存在以外は正直に話すことにした。精霊の力さえ知られなければ、それでいいと考えたのだ。
それに、この人は私がグーテンベルクだと確信しているように見えた。今更彼の考えを変えさせるなんて私には不可能そうだった。
……だって、怖い……。
あの、すべてを見透かしてしまうような眼。
嘘をついて後でばれてしまった時のことを考えると今、正直に話してしまった方が絶対にいい。
何を考えているか分からない無表情、堂々とした威圧的な態度、私に逆らう気を起こさせなくする低い声……。
国軍の人ってみんなこんな人たちばっかりなの?
すべて話し終えると、その人は言った。
「お前に王都へ来てもらいたい」
私は突然の申し出に唖然とした。
「え、でも……どうして……?」
「俺たちは知りたい。お前が本当にグーテンベルクの生き残りなのかどうか。もし、そうだとしたら400年間どこで何をしているのか。エルンならここよりも情報が多い。歴史書もたくさんある。この田舎にいるよりは、何かが見つかりやすいだろう。お前だって、知りたいだろう」
確かにそれは魅力的な提案だった。私だって、自分に関係のある事を知りたくないわけがない。ここにいても限界があることは分かってる。でも……。
「私はこの街から出たことがありませんし……。王都に行くなんて、とても……」
「言っただろう、俺たちも知りたいんだ。力になろう、約束する。それに、王もお前と会いたいと言っている」
王が私に会う。
今まで山奥で過ごしていただけの私に?
これでは断ることなんてできないじゃない……。
内心呆れるが、彼の言うとおりだった。きっと王都に行った方がここにいるよりも知りたいことは見つかるはず。それに、きっと私はこのまま一人でいても何もできない。町に下りてきたはいいけど、何から調べればいいのか分からなくて困っていた所なのだ。
この人が手伝ってくれると言うのなら……。私は決心した。
「本当に……、お手伝いしてくださるのですか?」
「ああ、約束しよう」
彼は頷いた。
その後、その人は驚く牧師さんに事情を説明してくれた。
何をどう話したのか詳しい事情は秘密にしたまま、私がエルンに行くことをすんなり納得させてしまったのだった。