えっせい衛星自動周回(3) 「ここは暗くてせまくてジメジメする…」
数えきれない程、多くの商社へ
就職試験や面接を受けに行き、
勝利を私は勝ち取った。
職場は実家からかなり遠い。
私は通勤のため引っ越す事にした。
幼い頃から憧れていた念願の一人暮らしをするのだ。
はじめて経験する不動産屋さんめぐりって楽しい。
私の城を見つけるのだ。
私だけのお城にこれから姫として君臨する。
いくつかの良さそうな物件を見つけ、
引越しの予算やお給料との兼ね合いも考慮にいれて
必死に、だが楽しく引越し先を見てまわる。
その中から、一番静かで、休日などに
のんびりと休めそうな、大通りなどからやや離れた場所に
建てられた、地階もある、瀟洒で落ち着いた
小さなマンションを居城に決めた。
私は少女趣味である。
ゴシック・ロリータ風の衣服や小物が大好きで
部屋のクローゼットやベッド、窓にも凝りたい。
痛いやつと思われるのが嫌なため、
外ではごく普通の、年齢と職業に見合った格好や言動を
しているが、リア友や知人が見聞きしたら思わず
天を仰ぎそうな家具や小物や下着等もたくさん
持っていた。
でも、現在持っているものは所詮お金を稼いだ事が無い子供の
安っぽいゴスロリ・コレクション。
これからは、誰にも内緒で本格的なモノを集めたり飾ったり
しようと思っている。
アンティーク市に通ったりドールなんかも
ゆくゆくはお迎えしたり・・・色々と夢が膨らむ。
そう考えながら、私の社会人生活が始まった。
そして。
十年があっという間に過ぎた。
私は隣りに住んでいる人の名字も名前も知らない。
普段の食事は自炊。
ご飯を炊いて保温しておき、スーパーで半額になった惣菜や
生鮮食料品を一人分だけ買って、おいしく済ます。
特別な日には、おしゃれな店や話題の店で
自分によくできましたのご褒美を。
私は会社で入社した時と同じPCで、同じような仕事を
静かにやっている。ストレスもなく落ち着いた日々。
主に赤と黒で彩られた私のお城。
休日には大好きなドレスを着て
アンティークの家具を磨いた後、
レコードのバロック音楽を聴きつつ
紅茶やガトー、コンフィチュールを楽しむ。
レコードには傷がついていて、
いつも決まった所で針飛びを起こすから、
同じ音楽のフレーズが何度も何度も繰り返されるが
別に気にならない。
このあいだ、同じ歌詞を300回くらい聞いたと思うが
もうこのレコードのこの部分はこういうものだと
思っているからこれでいい。
なにかの悲劇のオペラだったと思うが
それもどうでもいい。
何度も何度も繰り返し繰り返し
レコードの中の歌姫は泣き叫ぶ。
「私は恋人を殺した殺した殺した。誰かここから出して。
助けて、助けて」
みたいな意味のドイツ語だと思う。
「誰か私をここから出してここから出して。許して助けて
助けて助けて助けて、心が止まる」
ドイツ語のはずなのに、まるで自国語のように、
私の脳髄に歌姫の悲鳴は頭痛を伴って響き渡る。突き刺さる。
「ああ、助けて助けて、誰か私をここから連れ出して、外に出して
今はいつ?今日は誰がそこにいるの?私がこんなに助けを願っているのに
誰もいないの?聴こえないの?聴こうとしないの?助けておねがい!
助けて助けて、たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたす」
ふ、と。
真鍮製の鏡を見る。
何年前だったか記憶がはっきりしないけれど、
ドイツのアンティーク市に出品され、売れ残った品を
ネット通販で購入できるサイトから手に入れた、鏡。
そこには長い白髪を古い木のバレッタで無理やり頭の上に団子にまるめ、
ほつれてまとめきれなかった縮れっ毛をぼうぼうに生やした見知らぬ女が。
落ちくぼんだ昏い目と尖った鼻とそこだけ毒々しい赫い唇をしていた。
唇はよく見るとひからびている。
首筋は鶏ガラのようでしわが多い。
衣服で隠されていない部分のすべての肌は、あきらかに乾ききっている。
ぎょっとして、目をしばたいて、よく見えないわどうして。いつのまに
こんなに私はめがわるくなったの。めをおおきくひらいて、できるだけ
おおきくめをこらして、白髪女を見る。
ひびわれた唇が開いて、音が漏れだす。
「たすけてたすけてたすけて、誰かここからだして、たすけてたす
けてたすけたすけたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた」
【学校の成績が悪くて就職できず家族に黙って家出の後、住み込んだとみられる。敷金・礼金無料、バス無しトイレ共同、月1万1千円の外国人経営者が家主で違法の長屋アパート、1部屋が3畳のうなぎの寝床のような設計で全景がほぼ正方形の、プレハブとトタン製40部屋入り建築物。築60年であちこちの壁・軒などが腐食し窓ガラスはヒビが入ったりあちこち崩落していた】
【海が近く、不特定多数の日雇い湾岸労働者などが深夜から早朝にかけてよく出入りしていた】
【火が出た際、建てつけが悪いドアから老女は逃げることができなかったらしい】
【自分を、日本の由緒ある名家の娘でヨーロッパのさる貴族とのハーフだと詐称していたそうです】
【先月起きた火災の続報です】
【焼死した女性は何人もの赤ん坊を堕胎し老朽化したアパートの庭に埋めていたらしい】
【半年前に起きた嬰児連続殺人をおかして焼死した身寄りの無い女性の事件の続報です】
【若いころから誰にも心を開かず、自己完結・自閉した妄想の世界にいて積極的に友達などを作ることもなく家族とも不仲だった、と学生時代の同級生が語っていたそうです】
まま ここ から だ し て 。