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ジャズ研のメンバーが2度目のリハーサルをやっているのをカウンターから見ていた麗華は、視界の端に視線を感じた。そちらの方を向くと、格子のはまった大きなガラス窓の外で、喜助ファームの齋藤がこっちを見て、口をパクパクさせている。
重い扉を開けてあげると、齋藤が両手に大きな荷物を抱えて入ってきた。一番上には胡蝶蘭の鉢植えが載っている。
「有難う。両手がふさがっちゃってたからさ。はい、こっちが注文の品で、こっちは開店祝い」
「あら、齋藤さん、こんなの良いのにー」
「いやいや、これからお互いの商売の繁栄を願ってね。景気付けですよ」
胡蝶蘭の下には、今日前夜祭で使う為に注文してあったハムやソーセージ、そしてベーコンを入れた段ボールがあった。
「これは?」
「あぁ、うちの燻製所で、試しに作ってみたんだ。燻製卵とチーズ。ちょっと試食してみて、良かったら使ってよ」
「もう、齋藤さんたら、商売上手なんだから」
試食と聞きつけて、ジャズ研のメンバーがわらわらと集まってきた。
麗華は齋藤から段ボールを受け取ると、それをキッチンに運んで、卵とチーズだけでなく、ソーセージとベーコンも小口に切り分け、皿に盛って戻ってきた。
丁度、縁側から葛城とみのりも戻ってきたところだった。
「齋藤さん、いつもありがとうございます。後で珈琲を入れますから、ちょっと休んで行ってください」
「何々、こういうのって楽しいじゃないの。まぁ、今晩は楽しませてもらいますよ」
齋藤はそう言って、自分が持ってきたチーズを口に入れ、
「ほ、旨いじゃないの!」
と、自画自賛した。
「あー、すみません。皆さん休憩中なので、この場を借りてご意見を伺いたく」
ステージに上がった葛城がそういうと、皆が一斉に振り返った。皆口をもぐもぐさせている。
ステージには既にみのりがスタンバイしていて、脇に3本の見慣れない形のギターが置いてあった。ギターと言うカテゴリーからすると、ネックが短く胴が長くて不格好ではあった。
「えっとですね、これから山科さんに、ここにある3本のギターで同じ曲を弾いてもらいます。ギターの音色など、感想を聞かせて下さい。じゃ、みのりちゃん、はじめよっか」
「はい」
みのりは、まず、カラマツのボディと胡桃のネックの1台を手に取って弾き始めた。ガット弦の、柔らかく甘い音色が店内に響き、聴衆を魅了した。
「見た目はアレだけど、良い音で鳴るね」「音が多彩で優しいなぁ」
などと感想を漏らしている。
次に手に取ったのは、胡桃ボディと胡桃ネックの1台だ。こちらは、先ほどの柔らかさが取れ、少し明るい音色だった。
最後に手に取ったのは、黒柿ボディと黒柿ネックの1台だ。その音の出始めを捉えた聴衆は、目を見開き、やがて眼を閉じて瞑想にふける様な仕草をした。このギターは聴衆に物語を聞かせているようだった。それほどの音色とニュアンスのバリエーションを持っていた。同時に奏者を選ぶギターに聴こえた。奏者の心情があからさまに音に乗って飛び出していく、そんな感覚があった。
「恋をしてますね」
演奏が終わると、喜助ファームの齋藤が歯の浮くようなセリフを吐いた。
「なによ齋藤さん、気持ち悪いわよ」
「いやいや、あの子、恋をしてるよ。そんな演奏に聴こえたなぁ。切ない、甘酸っぱい、そんな感じ」
「やー、齋藤さん、気持ち悪い、そのメルヘンチックな感想」
カウンター越しに麗華が、少し薄くなった齋藤の頭をパンパン叩いた。
「如何でしたか?」
みのりが照れながら客席に尋ねる。
「良かった」「うん、良かった」「癒された」「クラッシックも良いなぁ。ジャズから転向しようかなぁ」「惚れてまうやろぉ」「俺のピアノと合わせてみたい」
色々な声が出てきたが、3種類のギターに対する音の違いの感想は一つもなかったので、みのりは、ちょっと残念に思いながらも「有難うございました」と言って、ステージを降りた。
「現時点だと、最初の1台が一番まとまってるね。でも、最後の1台は次元が違うような気がした。これは化けると思うよ」
後ろで聞いていた葛城が、楽器運びを手伝いながら、素直な感想を言った。
「葛城さん。やっぱりそう思いますか。私も……だけど、この楽器は、私の心の中で思い描いたことを、そのまま音にしてしまうみたいで、弾くのに少し勇気が要りますね」
「緊張や不安がそのまま音になってしまう感じ?」
「えぇ、でも、もっと赤裸々に色々な事を語っている感じがします」
「音色的には、ちょっと金属的な響きが耳に入るね。サドルとナットの材質を変えて見ようか。あと低音がもう少し豊かに鳴ると、神経質な感じが取れる気がする」
「大村さんにお願いして、2セット目は、少しボディの容積を大きくしてみましょうか」
工房まで楽器を運び、そっとスタンドに立てかけ、縁側に出ると、それまで言いにくそうにしていた葛城が口を開いた。
「みのりちゃん……それでさ、この楽器の熟成なんだけど……もう少し手伝わせてくれないかな?」
「え?」
「……というか、喫茶店の方もこれからだし、喫茶店だけ手伝ってくれなんて言えないし……」
「あの……」
「夏休みが終わっても、学校帰りに来てくれるだけで嬉しいから」
「嬉しいから」の一言が、みのりにとって一番うれしい言葉だった。
「私の方が嬉しいです! こちらこそ、よろしくお願いします。葛城さん!」
「亮の告白現場?」
「うんにゃ、相変わらずバーター取引の現場」
相変わらず縁側を覗き見する九条と麗華だった。
「あいつ、みのりちゃんのこと好きなんだよな?」
「てか、本人気づいてないんじゃないの?」
「みのりちゃんも、あいつのこと好きなんだよな?」
「本人、気づいてないかも! 似た者同士って、進むときは進むけど、ダメなときは駄目よねー」
「……恋ですな」
後ろから声がするので、麗華がびっくりして振り返ると、ジャズ研の4人が、またしても覗き見している。今度は喜助ファームの齋藤も一緒だ。
「ちょっと、ここは従業員以外立ち入り禁止なんだから!」
麗華は、今度は縁側の2人にばれないよう、小声で齋藤とジャズ研4人を追い払った。