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みのりが店に戻った時には、もう2時を回っていたが、スクーターを中庭にとめて裏口から店に入ると、葛城と九条がキッチンで昼食を作っている最中だった。
「やぁ、もう帰ってきたの? お昼は?」
「今日できる作業はもうないって、大村さんが……お昼はまだですけど、外で何か食べてきます」
みのりは作業に夢中でお腹が空いていることも忘れていた。急に腹ペコになった気がして、踵を返して裏口からでしょうとしたみのりを九条が引き止めた。
「みのりちゃんの分もあるよ。二人じゃ食べきれないから食べて行ってよ。九条様特性だから、びっくりして目の玉3回くらい飛び出しちゃうから」
「えーっと、じゃあお相伴にあずかります」
みのりは、昼ご飯を食べに帰って来たようで気まずかった。
九条が用意した食事は、昨晩バーで用意したソースのあまりを使ったスパゲティだ。店を開けているので、3人はキッチンで手早く食事をとった。食事をしながら、みのりは自分が手助けできることがあるのか、ちょっと不安だった。
「あの、私ここで何をすればよいでしょう? 接客のアルバイトってしたことがないんです。大丈夫でしょうか」
「お客さんが来たら『いらっしゃいませ』って言って水を出して。大抵は馴染みのお客さんだから、お客さんの方から勝手に注文を言ってくれる。メニューが少ないからすぐに覚えるよ」
葛城は笑って答えた。「大丈夫、俺が務まるんだから」と九条も言葉を重ねた。
「お客様がいらっしゃらない時は?」
「洗い物がある時は洗い物。店内を見回して埃やごみが落ちてたら掃除して。後はあそこの背の高い椅子に座っていればいいよ。入ってくるお客さんには、お客さんを立って待っているように見えるから」
九条と葛城の食事のスピードは速かった。みのりが半分も食べ終わらないうちに、もう自分の皿を片付けている。片付けながら思い出したようにみのりに言った。
「その内、珈琲の入れ方も覚えてよ。エスプレッソマシンの使い方はすぐに覚えられる。ネルドリップはその内覚えればいいよ」
葛城たちは、先にカウンターに戻って行った。みのりも出来る限り食事のスピードを上げて店内に戻った。
が、九条がいない。
「あれ? 九条さんは?」
「あぁ、食事も済んだから昼寝するって、家に帰って行った。自由人だからなぁ」
「そういえば、葛城さんは、ここに住んでるんですか?」
「うん。独り者だからね。裏には古いけど風呂もあるし、工房の隣に寝床を作って寝てる」
そんな話をしていると、男が重い扉を開けて入ってきた。
「いらっしゃいませ」
みのりは早速葛城に言われた通り挨拶し、厚手のガラスコップに水を入れてテーブルに置いた。常連客と思しきその男は、見慣れない女性が水を運んできたので、嬉しい驚きがあったようだ。
「マスター、女の子入れたの?」
「ちょっと手伝ってもらってます。よろしくお願いしますね」
葛城の言葉に合わせて、みのりも頭を下げた。
「なんか、いいね。もっと足しげく通っちゃおうかな」
常連客の男はニコニコしながら言い、そのあとエスプレッソを注文した。
暫くすると、また客が入ってきた。
「あ、ほんとだ。いる」
今度もまた、みのりが挨拶をして水を運ぶと、客は予想外のことを言った。
「九条君がさっき言ってたんだよ。この店に可愛い子が入ったから行ってみなって」
「あ、あなたも? 私は朝、中務さんから聞いたんだけどね」
「あ、あ、有難うございます。でも可愛いだなんて…」
みのりはお盆を抱え込んで照れた。耳まで真っ赤になった。
どうも、麗華は朝の仕入れ時に、九条は帰りがけに、自分の知り合い達に宣伝をして回ったらしい。都心から大分離れた小さい田舎町だ。店じまいの近くには、昼に寄った客が更に噂を広め、いつにない混みようになった。
「お、来てくれたんだ。有難う」
店に入ってきたのは、九条と麗華だった。今日の料理は仕込みの時間が少ないのか、いつもより遅い。九条が入るなり客の一人にそう言った。
「あら、神原さんもいらしてくれたの。今日はお仕事、もうお仕舞いなんでしょ? この後7時になったらお店がバーに変わるから、そのまま居てよ。サービスするから」
麗華も別の客に話しかけた。
「……お前ら……」
葛城はなんとなく複雑な面持ちで言った。
「ね? みのりちゃん一人でこれだけお店が変わるのよ。あんたもちょっとは努力しなさいよ」
麗華はそう言うと、葛城には見えない様に、みのりに向かってウィンクし、葛城の額をちょんと指で突いた。
翌日は、開店早々から客の入りがあった。常時2,3組の客が入っていて客足が途絶えず、葛城もみのりも店を開けて工房に行っている余裕がなかった。こんな日に限って九条がいない。結局、3時過ぎに九条と麗華が来るまで、二人は店から一歩も出られなかった。
夕方になると、客の入りも増えてくる。嬉しい忙しさとなった。
「こんちはー、山科さん居るー? あれ、お客さんたくさんいるねー」
店の重い扉を開けて入ってきたのは大村だった。
「あー、大村さん。みのりちゃんは、今、休憩に入ったんですよ。ちょっと珈琲を飲んで待ってもらえますか?」
「じゃ、裏に回るよ。一応3種類の木材で、図面通り削ってきたよ。後で寸法確認して」
オーダーを片付け、九条に店番を頼んで、葛城が工房に回ると、既に大村が加工済みの板を前に、みのりに説明をしていた。
「どれも思ったより良い板だったよ」
天板と底板用にスライスされた2枚取りの板の形は、既にひょうたん型に加工され、さらに荒削りでアーチ形状に加工されていた。サイドの板は薄板加工され、木目が良くわかった。大村の言っていたバードアイという模様が、この板なら良くわかる。
「綺麗な模様ですね。色も良いなぁ」
「今はまだ粗削りだけど、これ、磨くととてつもなく良い風合いになるよ。良い音で鳴ると良いね」
大村は、我が子を手放すのが惜しいという雰囲気だった。
「そう。それが肝心なんですよね。大事に仕上げます。ありがとうございました」
「まだ終わってないよ。あと6台分あるからね。これから、これから」
大村は笑いながら、みのりを諭した。
大村とみのりが話している横で、葛城が板を手に取って眺めている。
「こちらの板、きれいですね」
「そう。それが黒柿。良いだろう? もう、絶対に手に入らないんだよ」
「大村さん、有難うございます。出来上がったら、必ず大村さんに演奏してお聞かせしますね」
みのりがそう言うと、
「おぉ! それは楽しみだね。是非聴かせてよ」
大村は満面の笑みを浮かべて答えた。そして、演奏と言う言葉から何かを思い出したように葛城に言った。
「そうだ葛城君。今度、飲みに来た時に、また、あれ聴かせてくれよ。九条君とやってた奴」
「あれですかぁ? じゃ、九条に言っておきますよ。あいつピアノ大丈夫かな?」
みのりは初耳だった。
「九条さんって、ピアノを弾くんですか?」
「あぁ、上手いよ、あいつ。全国大会には行けなかったけど、なんだかのコンクールで高校の時に地区大会まで行ってる」
資産家の子供だからと言って、努力なしではそこまで行けない。軽い感じに見えて、親からそれなりの教育は受けてるんだと、みのりは感心した。
「じゃあ、来週また来るからさ。その時やってくれよ」
そう言って、大村は帰って行った。