表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

10

 日が落ちて、店内の灯りが灯ると、それに呼び寄せられるように1人また1人と客が入ってきた。この1週間、九条と麗華が宣伝して回った効果だ。顔馴染みが友人を誘い、片田舎だけあって伝播は早く深く浸透した。

 開店時間の7時になる頃には、こんな町でも生演奏が聴けるバーがある、と言う珍しさも手伝って、座席は満席となり、立ち飲みする輩も出てきた。

 壁の時計が7時を示したことを確認してから、客をかき分けてステージに立った麗華が挨拶をした。

「皆様、本日は、私の店の新装開店イベントにお越しいただき、ありがとうございます。ささやかながらお料理やお飲み物を用意してございますので、どうぞごゆっくりお過ごしください。この後ステージでの生演奏も予定しております」

 麗華は、客席を見渡してお客がグラスを持っている事を確認する。満面の笑みだ。

「皆様、グラスを持ちましたね? では、私の店にお越しいただいた皆様への感謝と、皆様のますますのご発展と、ついでに私の店の繁盛も祈念いたしまして、乾杯っ!」

「乾杯!」

「あ、従業員がいないので、飲み物が欲しかったら、カウンターであのお兄さん達に頼んでくださいね」


 カウンターの中で、客の為に飲み物を作る手伝いをしていた葛城は、面白くなかった。

「おいおい、いつから麗華の店になったんだよ」

 と、隣の九条に詰め寄った。

「ま、あいつの性格だからな。しょうがないな」

「来月から、あいつの家賃負担分、絶対増やしてやる! しかも6:4だ」

「なに、庇を貸して母屋を取られちゃった感じなの?」

 カウンターの葛城に、笑いながら話しかけたのは、製材所の大村だ。

「あ、大村さん、来ていただいてありがとうございます」

「今日はオヤジも連れてきちゃったよ」

 大村の後ろを見ると難しい顔をした老人が立っていた。

「あー、大村さんもお父様も、ご無沙汰しています。どうぞこちらへ」

 大村の父親に気づいたみのりが、すかさず挨拶をした。若く可愛い女性に話しかけられ、手をとる様にテーブル席に案内され、大村も父親もまんざらではなかった。

「作ってもらったパーツ、ギターになってますよ。いい音です」

「それは良かった。こっちもね、実際切ってみたら、端材が結構余りそうなんで、嬉しいよ」

「今日はそれを聴きに来た」

 難しい顔で大村の父親がそう言うと、みのりの額に変な汗が浮かんだ。葛城がビールを持って大村のテーブル席まで行くと、大村は「俺は運転があるからオヤジに」と言ってビールを回し、更に思い出したように、席を離れようとする葛城に話しかけた。

「あぁ、そうだ、今日はちょっと知り合いも来る予定なんだ。アレ、やってくれるんだろ? 以前その話をしたらえらく興味を持たれちゃってね。丁度良い機会だったから知らせたんだよ。もうすぐ来ると思う」

「やりますけど、音楽評論家とか、楽器評論家とかじゃないですよね? そういうの苦手なんで」

「違う違う。そんな知り合い居るわけないだろ? 流通業をやってる人さ。青年実業家だよ」

 そんな店内のざわめきの中で、生ピアノの音が響く。葛城がそれに気づいてステージを見ると、カウンターにいたはずの九条がステージに上がってピアノを弾き始めていた。結婚式で言ったら、乾杯の後の歓談の場で流れる様な曲を弾いている。

 麗華は、九条の演奏するピアノをバックに、客席で来てくれた客の挨拶回りをしていたが、ひとしきり挨拶が終わるとステージに戻り、ジャズ研メンバーに合図を送った。

 合図を確認したリーダーをはじめ、ちょっと良い格好に着替えたメンバーが舞台に向かう。

「えー、では、さっそくジャズの生演奏のステージをはじめたいと思います。まずはご近所の前島工科大学のジャズ研で……(グループ名、何だっけ?)」

(大橋カルテットですよっ!)

「えー、大橋カルテットの皆さんです。どうぞ、拍手を!」

 客席から拍手が起こった。拍手の質で(なんだ、大学のジャズ研か)と、ちょっとテンションの落ちた客と(どんな演奏をするのか興味津々)の客が判った。

 テンションの落ちた客も、ジャズの有名なフレーズが流れ始めると、おっ?、という気分になり、会話を停めて聞き入った。アマチュアとしては上の部類に入る演奏だった。1曲終わったところで、MCが入る。

「まずは、『A列車で行こう』を聴いて頂きました。えー、大橋カルテット、私はリーダーの……」

 MCも手慣れたものだ。ストリートか、どこか別のライブハウスかで、場数を踏んでいるのだろう。カウンターでグラスを拭いているみのりには、そう聴こえた。

「上手だね。君の大学なんだよね」

 気が付くと、隣に葛城がいた。キッチンで洗い終えたグラスをカウンターに持って来たのだった。そのまま寄り添ってカウンター越しにスイングの優しいメロディを聴いている。


 ジャズ研メンバーは次々と有名な、誰もが聞き覚えのあるタイトルを演奏して行き、「最後の曲は…」と言って、アールクルーの『遠い昔』を演奏し始めた。よくTVニュースのBGMに使われるフュージョンの曲だ。ギターの優しいメロディが心にしみて癒される。

 ふと、思い出したようにみのりが呟いた。

「あの……私が設計したギター……葛城さんが手伝ってくれるって言われて、私、とっても嬉しかった。でも、私が目指していたのは、葛城さんが作ったヴィオラ・ダ・ガンバでした」

 みのりはジャズ研の演奏を見ていたが、急に隣の葛城を見上げた。目が真剣だった。

「葛城さんには、あのギターの熟成された先が見えていますか? それはどんな形ですか?」

「……みのりちゃん、それは……」

「さ、亮、行って。そこは私が替わるから」

 葛城が何か言いかけた時、麗華がカウンター越しに葛城に声をかけた。ジャズ研の最後の曲が終わり、拍手の中、メンバーはステージを降りている。既に九条がジャズ研のピアニストと後退して、ピアノの前に座っていた。

 場繋ぎのピアノ曲を九条が弾いている間に、葛城は前掛けを外し、楽器を手にしてステージに上った。九条から音をもらい、ボゥイングしてヴィオラ・ダ・ガンバの音を合わせる。

 最初の曲は『Viva La Vida(美しき生命)』。ロックバンドのコールドプレイの曲をジャズ風にアレンジしている。2CELLOSというチェロ2人組がカバーしていたりするが、ヴィオラ・ダ・ガンバで弾くのは葛城が初めてではないだろうか?

 音量が小さいと言われているヴィオラ・ダ・ガンバだが、どうして、店内に響く葛城のそれは力強く、そして暖かく聴衆の胸に響いた。

 MCを入れずに2曲目が始まった。今度は九条がメインでビル・エバンスの『Waltz for Debby』だ。ベースパートを葛城が弾き、九条のピアノを引き立てた。

「さて、2曲聞いて頂きました。私がこの店の店長の葛城です」

「昼間のね!」

 乾杯の挨拶を根に持っていたのか、葛城は「店長」を強調して言ったが、すぐに麗華に返された。

「えー、夜のママさんとは、この後決着を付けさせてもらいますが…」

 葛城はちょっとひきつった笑みを浮かべながらMCを続ける。

「この店では、昼はバロック音楽を中心とした室内楽、夜はスイング系のジャズを流しています。ですが、僕自身は特に音楽のジャンルにこだわってはいません。この店で皆さんに音楽を通して日頃の疲れやストレスを癒してもらいたい、そう思って選んでいる楽曲がたまたまそう言ったジャンルなんです」


 みのりはカウンターから身を乗り出すように聴いている。

「ここは、良いわよ。前の方に行って、聴いてきたら?」

「じゃぁ、すみません。麗華さん」

 そう言ってみのりがカウンターから出ようとした時、みのりのスマートフォンが鳴った。メールの様だった。みのりは下を向いて、何か真剣に内容を確認している。

「何? 何か大事なメール?」

「あ、はい。明日、急に用事が出来まして……後で葛城さんに言わなくちゃ」

 心配して声をかけた麗華にみのりは答えた。

 ステージでは葛城の話が続いている。

「この楽器、一見チェロのようにも見えますが、ヴィオラ・ダ・ガンバという名前の楽器です。この店の名前は、この楽器から貰っています」

 客は、珍しそうに葛城が持ち上げた楽器を眺めた。チェロとの区別がつかない者もいた。

「あれね、葛城君がイタリアから帰ってきてすぐの頃、うちの製材所で作ったんですよ」

 客席の中ほどで、隣の客にそう言ったのは製材所の大村だ。

「はぁぁ、良い音しますねぇ」

「ま、うちの材料使ってるからね。面白いのは、あの楽器をギターみたいに抱えて指で弾くと、全然別の音がするんですよ。後でやってくれると思います」

「そう。大村さんからその話を聞いて、是非と思ってたんですよね」

 男は大村にそう言うと、中指で眼鏡を直し、葛城が持つ楽器を凝視した。


「ヴィオラ・ダ・ガンバはバロック時代の楽器です。ですが、バロック時代の楽器だからその時代の演奏の仕方で、バロック音楽をやらなければならないと、僕は思っていません」

 葛城はそう言って、弓を足元に置き、ヴィオラ・ダ・ガンバを膝に抱えた。

 「音楽は、その字通り、音を楽しむものであって、楽器は楽しむための器です。器をどう使うかは、上に乗せる料理で決まるし、どう盛り付けるかは料理人の腕ですよね。ま、僕の腕は素人料理人程度ですが、そこはご容赦を」

 九条のピアノから音がこぼれ始める。次の曲の前奏が始まっていた。

「次にやる曲は、私のオリジナルの『ファーストアンサー』という曲で、ここに居る九条亘がジャズ風に仕立ててくれました」

 九条がピアノを弾きながら、客席の方を振り向いてぺこりと頭を下げた。

 前奏が終わると、葛城がヴィオラ・ダ・ガンバを指ではじき始める。左手はギターのコードを押さえる様に動く。重音が力強く美しかった。この曲を期待していた客も、そうでない客も、葛城の奏でる旋律に引き込まれていった。

 ステージの袖では、みのりが棒立ちのまま曲を聴いている。手には黒柿で作ったオリジナルギター。そのネックの部分を両手で力強く握りしめていた。

 

 (この音だ)

 

 みのりは、リハーサルで初めて出会った生のこの音を再び確認した。ネット上の動画が消えてから、みのりは自分が望んでいた音を頭の中だけで思い描いていた。ともすれば、それは都合の良い幻想で、もし本物に出会ったら、その現実との落差に愕然とするのではないかと不安になったこともあった。

 だが、自分の不安は良い方向に否定された。葛城が作り葛城が弾く、この音が自分の恋焦がれた音だと確認できた。みのりの胸の中には、何か光の結晶の様なものが出来上がりつつあった。それは、まだ小さく光も弱いが、大きく眩く光る結晶に、葛城と共に育む喜びを感じていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ