CrossKeeper-7
松村光一の住む学生寮は、花咲学園の敷地内を円周状に貫くメインストリートから、中心部に向かっていくつか路地を隔てた場所にあった。周囲にある教育関連の商業ビルや多種多様の研究施設から頭一つ飛び出したその建物は、学生寮というよりは高級マンションといった感じの佇まいである。
三人が建物のロビーへ入っていくと、マンションで言えば管理人室にあたる部屋にいた寮母の女性が、ガラス窓越しに会釈をしてきた。秋山は女性に向かって軽くお辞儀した後、手慣れた様子でポケットから取り出したカードキーを制御盤に差し込み、おそらくは十桁以上もある暗証番号を入力し始めた。今時のマンションには付き物のオートロックの扉が開くまでの間、寮にしてはやけに人影が少ないことを不審に思った誠人がこっそり郵便受けを覗いてみると、すべてのネームプレートが〈松村〉で覆い尽くされていた。これではもはや寮とは言えない。住人が一人しかいない、ただの賃貸マンションだ。
(つまり、それだけ彼の発明とやらが重要視されているということか)
面倒なことに巻き込まれつつあるという嫌な予感と同時に、なんとなく憂鬱な気分に陥った誠人が望の方に目をやると、無邪気な笑みを返された。自覚がない分、なんとも残酷な笑みである。
厚さ五センチはあろうかというガラス製の自動扉を通り抜けた一行は、入ってすぐの左手にあったエレベーターに乗り込んで、建物の五階へ向かった。その間、親切にもエレベーターガールを務めてくれた秋山によると、一階から四階まではすべて研究施設と倉庫に使われており、居住スペースは五階にある四部屋だけだという。
エレベーターで五階に昇ると、秋山は一番手前にある五○一号室の扉へ向かった。各階の廊下は、どうやら外と遮断されているという点を除けば、一般的なマンションとほぼ変わらないつくりになっているようだった。
部屋の扉は暗証番号で開けるタイプのようだったが、秋山はそれには触れずに扉の脇に設置されたインターホンのボタンを押した。
質素な呼び出し音に次いで、マンションの廊下に少年の虚ろな声が響いた。
〈――……はい〉
「こんにちはー、担任の秋山ですー。松村君に会わせたい生徒たちを連れてきたので、よかったら入れてほしいのですー」
〈……どうぞ〉
ガチャリ、という音がして、玄関の扉が手前に向かってゆっくりと開いていった。部屋の扉まで自動式らしい。
電気をつけていないのか、玄関に入って扉を閉めると手元が見えないくらいの暗闇に包まれた。
「ちょ、ちょっと、真っ暗で何も見えないわよ!」
突然の暗闇に驚いたのか、望の慌てふためく声が聞こえる。
「あ、すみませんー。説明がまだでしたねー」
秋山が急いで電灯のスイッチを入れると、ほのかな薄紫色の光が頭上から降り注いだ。
「松村君は生まれつき太陽の光に弱いのですー。だからこのマンションの部屋はすべて、外の光を完全に遮断するつくりになっているのですよー」
皮膚病か何かだろうか、と誠人が考え込んでいると、ふと手のひらに小さな温もりを感じた。
「……望?」
肩を小刻みに震わせながら誠人の手を握り締めるその姿には、いつものような高圧的な態度が微塵も感じられない。そういえば暗闇は苦手だったかと、今更ながら思い出す。
「大丈夫か?」
そう尋ねると、望はからくり人形のようなぎこちない動作でこくりと頷いた。手を引くと、意外と大人しくついてくる。
薄暗い廊下を進み、リビングへと続く扉の前まで来ると、秋山は立ち止まってこちらを振り向いた。
「ではここからはお二人だけでしますー」
「え、……先生はこないんですか?」
と、なぜか秋山はウインクまがいのことをして、
「生徒同士の方がいろいろと話しやすいでしょうー? 私は部屋の前で待っているので、終わったら声をかけてくださいー」
などと言いつつ、玄関の扉の向こうへと消えていった。おそらく気を使ったつもりなのだろうが、てっきり秋山が同行するものだと思っていた誠人にとっては、はっきり言って逆効果だった。動揺する気持ちを抑えつつ、リビングの扉を開ける。
とたんに、玄関にあったのと同じ電灯の光がリビングから溢れ出し、廊下を照らした。
部屋の中は意外とシンプルなつくりだった。入ってすぐの右手に設置された、使われた形跡が見られない新品同様のキッチン。冷蔵庫や炊飯器など、生活に必要最低限の家具類。部屋の中央に置かれた黒いテーブルを囲むようにして並ぶ三つのソファーと、数台のノートパソコン。それ以外には何もない。
リビングの扉に対してちょうど真反対の位置にあるソファーに、一人の少年がうずくまるようにして座っていた。
血液がそのまま溶け出してきたかのような赤い瞳と老人のような白髪を有するその少年の皮膚は、自らの髪よりもさらに白く、血管が浮き出るほどに透き通っていた。上下に着込んだ黒いジャージが、その白さを一層際立たせている。
「……アルビノ?」
誠人の口から思わず飛び出したその言葉に、さも不快そうに顔をしかめながら松村は答えた。
「その通り。ちなみに〈アルビノ〉というのはラテン語だよ。日本語の正式名称は〈先天性白皮症〉。君も日本人ならそっちを使いたまえ」
「え? ああ、ごめん」
初対面でのいきなりのダメ出しに、なぜか誠人は反射的に謝ってしまう。
先天性白皮症――通称アルビノ――とは、メラニン色素をつくりだす機能に支障をきたす、遺伝子疾患の総称である。メラニン色素には紫外線の害から身を守る働きがあるのだが、アルビノの人はこれが生まれつき不足しているため、太陽の光に対して無防備な状態になる。
「あんたが松村光一? なんだかパンダみたいね」
さっきよりも明るい場所に出たおかげか、若干いつもの調子を取り戻した望が話しかけた。
「……そういう君は、花咲学園の理事長の一人娘、花咲望だね。噂通り、傲岸不遜な女性だ」
「そ、そう?」
意味もわからず照れる望。褒められているのではなく、むしろ貶されているのだということは黙っていたほうがいいだろう。
「……それで、君の隣にいるいかにも平凡そうなその少年は誰だい? 君の彼氏か?」
望の顔が、一瞬で真っ赤に染まる。
「ななな、何言ってんのよ! 誠人はえっと……ただのボディーガード兼助手で、と、とにかくその……全然そんなんじゃ、ないんだからっ!」
頬を上気させて必死に否定する望を見ていると、なんだか自分まで恥ずかしくなってきた。繋いでいた手を急いで離す。
その様子を静かに見つめていた松村は、意味ありげな視線を誠人に送ると、テーブルの下から一台のプリンタを取り出してノートパソコンに接続した。
「客人にいきなり素性を聞くのは失礼だったかな。まあいい、自分で調べる」
どちらかと言えばそっちのほうが失礼な気もしたが、文句を言ってもたやすく論破されそうな雰囲気があったので、誠人はとりあえず黙っていた。どうせ見られて困るプロフィールでもない。
てっきり学園のデータバンクをハッキングでもするのかと思っていると、松村はなぜか電源もつけずにその真っ白な指で画面に触れ、一言つぶやいた。
「『そこにいる少年について、できる限り要約した情報をくれ』」
その瞬間、画面に次々と白い文字が現れ、ものすごい勢いでスクロールをし始めた。速すぎて何が書いてあるのかはわからないが、少なくとも日本語ではないようだ。呆然と眺める二人の前で、先程松村が取り付けたプリンタが、起動音と共に数枚の紙を吐き出した。真っ黒な印刷用紙に白いインクで箇条書きされているのは、間違いなく誠人の個人情報だった。
「――えーっと、名前は清水誠人か。年齢十五歳。花咲学園高等部一年九組、特別進学クラス所属。……なんだ同じクラスじゃないか。部活動は……探偵クラブ? ふむ、なるほどそういうことか」
松村が画面から手を離すと、白い文字は一斉に消滅した。
「何したんだ、いったい」
「ん、これかい? 僕の言霊だよ。〝収集の言〟といって、特定の対象物に可能な限りの情報提供を強要する能力を持っている。つまり簡単に言うと、自分の知りたい情報を集める力だ」
(……引きこもりの原因はこれか)
インターネットに繋がったパソコンが一台あるだけで、家に居ながらにして世界中の情報を引き出せるのだ。発明家としてはこれ以上の好条件はないだろう。いや、むしろ学校に通うことは無駄とも言える。数学の問題一つとっても、手持ちのパソコンに可能な範囲の計算であれば瞬時に答えを知ることができるのだから、勉強をする必要すらない。
誠人のプロフィールに一通り目を通した後で、松村は尋ねた。
「それで、僕に何の用だい? ……まあ、わかりきったことだけど」
待っていました、とばかりに望が答える。
「わかっているなら話が早いわ。あんたが発明をやめたのは、何か大切な物をなくしたからなんでしょう? あたしがそれを見つけてあげるから、さっさとそのなくした物の特徴を教えなさい。あ、ついでに迷子の猫の性格とか癖とか、行きそうな場所とかもね」
松村は小さな溜息をつくと、あらぬ方向に視線をやった。臙脂色の瞳がわずかに揺れる。
「……だよ」
「え?」
「…………無理だ。君たちにあいつは止められない」
「あいつ?」
望が困惑気味に首をかしげる。盗まれた、ということだろうか。
「とにかく、僕はそのことについてはもう諦めたんだ。これからはしばらく、野生の獣のように食べて寝るだけの毎日を過ごすことにするよ。だからもう、ほっといてくれ」
相変わらず遠い視線で話す松村の瞳は、気のせいか薄っすらと濡れていたような気がした。
その日、松村の口からそれ以上の言葉が語られることはなかった。