CrossKeeper-6
「転校生?」
「そう、転校生」
つい先程注文したバニラ味のジェラートを頬張りながら、望は続けた。
「しかもあたしたちと同じ特進クラス。つまり〝言霊使い〟よ」
花咲学園に通う言霊を使える生徒、通称〝言霊使い〟は、各学年に設けられた特進クラスに所属している。一応、名目上は〝言霊〟という力の存在が世間に漏れることを防ぐためらしいのだが、問題児は一まとめにした方が管理しやすいという経営側の意図はあきらかだ。
「へえ。で、どんな能力者なんだ?」
「知らない。お父様はそこまで教えてくれなかったもの」
望は少しむくれた様子でバニラジェラートにかぶりつく。
その豪快な食べっぷりを眺めつつ、誠人は残り少なくなってほとんど泡の塊と化したカプチーノを一気に飲み干した。
今二人がいるのは、昼休みに秋山と待ち合わせをした例のイタリアンカフェである。高等部の正門前という、この学園ではおそらく最高の立地条件にある店なのだが、さすがにこの時間帯だと部活動をしている生徒が大半なので、店内の人影はまばらだった。
「……でさ」
「ん?」
「……何、その格好」
「ああ。この特製探偵スーツのこと?」
いかにもさり気なく言っている風を装っているが、自慢したがっているのは明らかだった。さっきデザートを頼んだ時トイレにいってなかなか戻らなかったのはこのためだったのか、と誠人は心の中で嘆息する。
焦げ茶色の鹿撃ち帽と、同色のインヴァネスコート。胸ポケットからはみ出した玩具のパイプ。誰がどうみてもシャーロックホームズの模倣である。ちなみに作中ではホームズがそういう格好をしているという描写はなく、曲がったパイプも持っていない。
「あんたの分もあるけど、着てみる?」
「……どうせワトソンの方だろ」
「え? 同じのだけど?」
「探偵が二人いてどうするんだよ!」
誠人の的確なツッコミに対し、肩を落としてしゅんとなった望は、なぜかほんのりと頬を赤らめながら、
「で、でも……お揃いだよ?」
「…………へ?」
予想外の言葉に、誠人は呆けたように一瞬固まる。
なんと答えたらいいものかと思案する誠人の前で、少女の眉がきりきりと上がる。反射的に周囲を見渡すが、頼りになる黒猫の姿は見当たらない。確か昼休みが終わる直前に、屋上で別れて以来それっきりだ。
猫科特有の気まぐれさと、それを作り出した自分自身に絶望しつつ、一秒毎に冷え切っていく場の空気になんとか耐え続けていると、不意に、来客を告げるベルの音が店内に鳴り響いた。助かった、とばかりに入り口の方を振り返る。
入ってきたのは、足元まで届く長髪を四つに束ねた奇抜な髪形と、今にも眠りこけてしまいそうな寝ぼけ眼が特徴的な長身の女性。一年九組の担任教員である秋山詩織だ。
扉にベルがついていなければ気付かなかったのではないかと思えるほど静かな動作で入って来た秋山は、店内を見渡してテーブル席に座る二人の姿を確認すると、ゆっくりとした歩調で歩み寄り、誠人の隣の席に座った。
「すみません、お待たせしましたー」
あまり悪びれる様子もなく謝る秋山に、待ちに待った依頼人の登場で一瞬にして機嫌が良くなった望が答える。
「別に気にしなくてもいいわよ。あたし達もさっき来たばっかりだし」
楽しみにするあまり三十分も前に来て暇を持て余していた、なんてことは間違ってでも言わないんだろうな、と誠人は内心で苦笑する。
「おや、花咲さん、ずいぶんすてきな服を着ていますねー。モデルはホームズですかー?」
「ああ、これ? ふふん、いいでしょ……じゃない、そんなことはどうでもいいのよ。えっと、それじゃあ、猫の飼い主について知っていることを話してくれる?」
「あ、その前にー、私もコーヒー頼んでいいですかー?」
「え? あ、そうね。……どうぞ」
早く話せと言わんばかりにそわそわと落ち着かない望を気にも留めず、秋山は真剣な面持ちで一分弱ほどメニューを見つめた後、誠人が聞いたこともないような豆を使った店オリジナルのブレンドコーヒーを注文した。
「それで? 猫の飼い主ってどんな人なの?」
店員が席を離れた瞬間、これ以上待ちきれないといった様子で望が質問をぶつける。
「はいー。実はその猫の飼い主は、我が一年九組の生徒なのですー」
「……うちのクラスの?」
望は少し意外そうな顔でこちらを見てきた。
無理もない。そもそも〝言霊〟についての授業を受けられる学校は、日本全国でも数か所しか存在せず、その関係上特進クラスの生徒のほとんどが学生寮暮らしを強いられている。実際、九組の生徒の中で自宅から通っているのは、運よく学園が電車で二駅の距離にあった誠人くらいで、その他の生徒は全員寮に入っているはずだ。そして、この学園の寮では、ペットの飼育は禁止されている。
すぐに思いつく可能性としては、寮に入っている生徒がこっそり飼っていた猫を探してくれ、というものだが、担任である秋山に猫を預けることは自ら罪を自白しているようなものなので、それはあまり考えられない。
それ以外に、誠人が知っている範囲で考えられる可能性は一つしかない。
「――つまり、今回の依頼は、初等部の頃から一度も学校に登校したことがないという幻の生徒、松村光一に関するものですね」
誠人の言葉を聞いた秋山が、驚いたようにこちらを振り向く。
「おやおやー。名探偵は一人ではなかったようですねー」
「いえ、俺もクラス名簿に載っているのに一度も会ったことがないから、気になっていただけですよ」
「そうでしたかー。説明が省けて助かりますー。それで今回の依頼についてなんですが――」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 探偵役はあたしでしょ! なんであんたが話してんのよ!」
振り向くと、望が真っ赤な顔でこちらを睨みつけていた。
「だいたい、何であんたそっち側に座ってるわけ? 話しづらいからこっち来なさい!」
「別にどっちでも変わんな――うわ!」
望はその細い腕のどこにそんな力があるのかというほどの怪力で誠人を自分の前に座らせると、再び表情を一変させ、肩を落としてうつむいた。
「あ、あたしだって……気付いてたん……だからっ」
そうつぶやく望の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。子供のようにいじける望を見ていると、なんだか自分がとてつもなく悪いことをしたように思えてくる。こみ上げてくる罪悪感を避けるように、誠人は視線を前に逸らした。
松村光一は特進クラスの生徒であり、中等部の頃から同じクラスのはずなのだが、誠人は一度も会ったことはなかった。理由は簡単。そもそも学校に登校したことが一度もないからだ。
噂によると、松村は大の発明好きであり、家に閉じこもって発明ばかりしている変人らしい。しかも、学校どころか一度も外出したことがないらしく、なぜそれで退学にならないのかは大いに疑問である。
秋山はしばらくどちらに話しかけようか迷った後、二人に対して均等に視線を送るという高等テクを使用しつつ、話を続けた。
「――そ、それで、今回の依頼についてなんですがー、実は猫ちゃんを見つけること自体はそれほど重要ではないのですよー……」
何か含んだような言い方をする秋山に、とりあえず、いまだにイジケモード全開の探偵に代わって誠人が答える。
「えっと、つまり本当に探してほしいのは、その猫が持っているという彼の大切な物(、、、、)、ということですか?」
「はい、その通りですー」
「それで、その大切なものとは?」
誠人がそう尋ねると、秋山は少し困ったような顔(といっても眉をほんの数ミリ動かしただけだが)をして、
「それが、私にもよくわからないのですよー。確か彼の話だと、野生の動物にも持たせられる画期的な携帯型メモリーを発明したから、実際に動物に使っても問題ないかどうか様子を見てほしい、とかいっていたのですがー……」
「……外見では、何も持っていないように見える、ということですか?」
「そうなのですー。私も猫ちゃんの身体を隅々まで調べてみたのですが―、どこにもそれらしきものが見つかりませんでしたー。特徴があるとすれば、背中にハート型の黒い斑点があるというくらいのものですかねー……。あ、ちなみに、猫ちゃんの種類は、かわいらしい青い目をしたシャム猫ですー。まだ若い猫なので、色は全体的に白が多いですかねー。あ、それと性別は――」
「ま、まあ、猫の特徴については、昼休みにもらった写真だけで十分ですよ」
猫の話になったとたん、やけに饒舌になった秋山を、誠人はやんわりと制した。どうやらうちのクラスの担任は、かなりの猫好きらしい。
話を中断された秋山は、「そうですかー」といいつつ残念そうに肩を落とし、
「私が知っていることは以上ですー。後のことは、本人に直接聞いて下さいー。私が聞いても話してくれませんでしたし……」
「……話してくれない?」
「ええ、そうなのですー。それどころか、ここ数日は大好きな発明もせずに、自分の部屋に閉じこもって誰とも接触しようとしないのですよー……。私としては、あれだけ熱心に取り組んでいたものを急に辞めるだなんて信じられなくて、光一君が慕っている寮母さんに話を聞いてみるように頼んだのですー。すると案の定、光一君が発明を辞めたのには何か理由があって、その理由というのが、彼が大切にしていたあるものをなくしたから、ということらしいのですー」
なるほど。つまり、なぜか猫の捜索に非協力的な飼い主に代わって、秋山が依頼をしてきた、ということだろう。
「――といっても、何をなくしたかまでは教えてくれなかったみたいでして……。私としては、彼が最近なくしたものとしてはそれくらいしか思いつかなかったのですー。元々ほとんど外出をしない子ですし、それ以外の可能性はあまり考えられませんから……」
そう言って、秋山は珍しく、端から見てはっきりとわかるくらいに落ち込んだ表情を見せた。自分のせいで教え子がそんな状態になったかもしれないという事実が、よほどショックだったのだろう。
「……そういうわけで、私もなんとか猫ちゃんを探そうと試みたのですがー、さすがにどこにいるかわからない猫を一個人で見つけるのは不可能だと気付きまして……。それならば、噂に名高い探偵クラブのお力を借りた方が無難かなー、と思ったわけなのですー」
たしかに、とある理由から、探偵クラブに依頼をすれば、今聞いた情報だけで猫を探し出すことは十分可能である。
「それで……今の話を踏まえたうえでも、引き受けてもらえますかー?」
誠人が隣に視線をやると、少々機嫌を取り戻した望が小さく頷いた。了承、という意味らしい。
「わかりました。引き受けましょう」
秋山はほっとしたように溜息をつくと、店員が運んできたコーヒーを受け取り、一秒とかけずに一息で飲み干した。
手品のような早飲みを披露した秋山は、それ以上の長居は無用といわんばかりの淡々とした動作で立ち上がり、
「それではさっそくですが、光一君に会いに行きましょうかー。無駄だとは思いますが、一応できることはしておきたいのでー」
と言いつつ、コーヒーの代金を誠人に手渡し、足早にドアの方へと歩き始めた。
「……そうね。善は急げっていうし。はい、誠人、これ」
そんな秋山に感化されたのか、望はテーブルに置かれた勘定書きを誠人に押し付け(金持ちのくせに望は一回も奢ってくれたことがない)、制服の袖を引っ張って無理やりレジの前まで連れて行った。
数少ない小遣いが無駄としか思えない消費に費やされたことを嘆きつつも、誠人はレジで三人分の食事代を支払い、わくわく遠足モードに移行した探偵を引き連れて、秋山の後を追った。