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CrossKeeper-4

「……何、してるんですか、先生」

 立ち上がれば足元まで届くほどの長髪を頭の後ろで四つに束ねるという奇妙な髪形と、たとえ目の前にUFOが現れようと決して動じないであろう寝ぼけ眼が印象的なその女性は、誠人のクラス担任である秋山詩織だ。見た目も性格も非常におっとりとしている彼女だが、一応若干二十五歳にしてどこぞの有名大学の客員教授を勤めるすごいお方らしい。

 誠人の声に驚いたのか、秋山はかろうじて認識できるくらい小さく目を見開いてこちらを見つめ返し、すぐさま慌てた素振りで口に手を当て、「黙れ」の合図を送ってきた。

「(しー、なのですよー、清水くん)」

 口パクと身振りで必死に訴えかけてくる秋山だったが、いかんせん表情が平坦なために緊張感が全く伝わってこない。

 それでも、その手に持つ煮干しと思しきものと、ベンチの上に座る一匹の野良猫の存在から察するに、おおよその事情は把握できる。

 望にアイコンタクトでそこにいるように伝え、できるだけ猫の神経を逆撫でしないように、ゆっくりと歩み寄っていく。その様子をみた秋山が、声を介さないありとあらゆる方法で「止まれ」の合図を送ってきたが、誠人は無視した。普段猫を飼っているだけあって、猫の扱いには少々の自信があるのだ。

(えーっと、確かこういう時は目を合わせない方がいいんだっけ)

 猫にとって、目を合わせるという行為は敵意を意味するため、初対面の猫に対してはあまり好ましくない。なるべく視線が合わないように気をつけながら慎重に歩みを進め、猫の目の前にしゃがみこみ、ゆっくりと両目を閉じる。

 目を合わせる行為に対し、両目を閉じる行為は親愛の情を意味する。これなら猫が逃げ出すこともないだろう、とやや自信ありげに目を開いた誠人の視界に映ったのは、


「にぎゃあ!」


 猫らしからぬ奇声を発しながらベンチから飛び上がって逃げる野良猫と、不満げに眉をひそめる担任の姿だった。

「……あれ?」

 何か間違ったことをしただろうか、と頭に疑問符を浮かべながら呆然と猫の去りゆく姿を見つめる誠人に、その場で唯一猫の言葉を理解できる小次郎が解説をいれる。

「……ふむ。どうやら先程のお二人のやり取りをみて、誠人殿が同族にも襲い掛かる凶暴な人間だと勘違いしたようでござる」

「なんだそれは、とんでもない誤解だな。さっきのは単なる不幸な事――」

 故、と言いかけた瞬間、強烈な肘鉄が誠人の脇腹に突き刺さった。肉を抉るような鋭い痛みに、誠人の呼吸が一瞬止まる。

「不幸な事故、じゃないよね? すっごく幸せなサプライズ、でしょ?」

 振り返ると、いつの間にか隣に来ていた望が、少々怒気の混じった笑みを浮かべながら、誠人を見つめていた。若干頬が赤らんで見えるのは、先程の失態を恥じているからだろうか。

「まったく、いくらあたしにメロメロだからって、ところかまわず襲ってくるのはやめなさい。そういうのは、時と場合を選んで欲しいわね。あ、ところで小次郎、さっきの猫が最後になんか叫んでたけど、あれ何て言ってたの?」

「ケ、ケダモノ! と、言っていたでござる」

「ケダモノ……。ぷぷっ!」

「…………(脇が痛すぎて反論できない)」

「……あのー、花咲さーん? 何か楽しそうなところ恐縮ですがー、本題に入ってもよろしいですかー?」

 愉快そうに微笑む望に、秋山が遠慮がちに声をかけてきた。語尾を伸ばすその独特な口調は、その場の空気を一瞬にしてのんびりと気の抜けたものとしてしまう。

「ん……。そういえば、そうだったわね」

秋山の声で我に返ったのか、望は少し残念そうに顔をしかめ、

「じゃあ一応確認しておくけれど、掲示板に書き込みをした謎の依頼人って先生だったの?」

「はい、そうですー」

「ふむ。じゃあさっそく依頼内容を聞かせてもらおうかしら」

 先程までの無邪気な様子はどこへやら、望は一転して真剣な表情を見せた。おそらく本人にとっては真面目にやっているつもりなのだろうが、傍から見ていると微笑ましいことこの上ない。

「その前にー、今回の依頼の内容は誰にも話さないと約束してほしいのですー」

「極秘の依頼ってわけね」

 したり顔でうなずく望。探偵は基本的に依頼人のプライバシーを保護するものなので、どっちにしろ極秘なのだということは黙っておいたほうがいいだろう。

「それで、理由は?」

「えっとー、実は少々訳ありでしてー……」

「訳あり? ……あ! もしかして、殺人事件とか?」

「いえ、残念ながら違います―。私の依頼は、ちょっとした落し物探しのようなものですー」

「……なーんだ。いつもと同じか」

 がっくりと肩を落とす望。会話の内容にはあえて突っ込まないでおく。

「それで、何探せばいいの?」

「猫ちゃんですー」

「え、猫?」

「はいー。実はある男子生徒から猫を預かっていたのですがー、その猫が数日前に家出してしまったのですー。しかもその猫ちゃんは飼い主にとって非常に大切なあるものを所持しているのですー。だから絶対に見つけなくてはならないのですー」

「ふーん……猫が大切な物を……ねえ」

 あきらかに何か裏がありそうな秋山の物言いに、望が好奇心むき出しの笑みを浮かべる。

「ま、いいわ。引き受けてあげる。とりあえず、その逃がした猫の特徴と、飼い主の男子生徒についての情報をちょうだい」

「はいー。猫に関しては先日私が撮った写真があるので、使ってくださいー」

 そういって、秋山はきれいに折りたたまれた一枚の印刷用紙を取り出して、望に手渡した。

「なんだ、写真があるなら話は早いわね。で、猫の持ち物の方は?」

「えっとー、そちらの方は飼い主と直接会って話したほうがいいと思います―。少々変わった子なので、私も同行しますー。学園の寮に住んでいるので、それほど時間もかからないと思いますしー」

この学園における「少々変わった子」というのは、必ずしも楽観的な意味を成すわけではない。何か嫌な予感がしてならない誠人だったが、あいにく依頼を受けるか否かを決める権限はただの助手である彼にはない。

「確かにそっちの方が手っ取り早いわね。ってことは、一度どこかで集まらなきゃね」

「あ、そういうことでしたらー、正門の前に新しくできたイタリアンカフェで待ち合わせしませんかー? 時間は……そうですねー、四時半頃なら私も都合がつきますー。あそこのエスプレッソはけっこうおいしいですしー」

「わかった、四時半ね。……誠人?」

「……わかってるよ。遅刻したらお仕置きだろ」

 必要事項を確認した望は、満足気な笑みを浮かべると、何かやるべきことがあるとでも言うように、誠人たちをその場に残して足早に元来た道を引き返していった。おそらく、猫の捜索について何か計画でも立てる気だろう。

それを見た秋山も、「それでは、私も午後の授業の準備があるので、これで失礼しますー」といいつつ、のんびりとした歩調で校舎の陰に消えていった。

「……さてと。午後になるまで暇だし、屋上で本の続きでも読むかな」

「おや、誠人殿、昼食を食べに行くのではござらぬか?」

 小次郎がいぶかしげに誠人を見上げる。

「何を言ってるんだ、小次郎。『昼食ならもう食べただろ』」

 その瞬間、誠人の意図に気付いた小次郎が静止の声を上げる間もなく、二人の周りの景色は見慣れた屋上の姿へと変貌していた。

 頭上に広がる雲一つない青空と、味気ない真っ平なコンクリートの床。そして、それらを取り囲む、転落防止用の巨大な鉄柵。開放的でいて、それ故にどこか閉鎖的でもあるその空間は、そこにいる者をどこか違う場所へと連れて行ってくれるような、独特の雰囲気を醸し出している。

 誠人がその屋上特有の空気を味わっていると、案の定、事態に気付いた黒猫が、なんとも複雑な表情で精一杯の皮肉を漏らした。

「望殿がいなくなったとたん、これでござるか……」

 猫の言葉を心の奥底の方に押しやりつつ、誠人はこのくだらない現実から逃れるために、いつのまにか手元に戻っていた読みかけの本を取出し、栞の挿まれたページを開いた。

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