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CrossKeeper-3

「誠人殿……何をしているでござるか?」


 屋上で読書に熱中する清水誠人の意識に、突然野太い男の声が割り込んできた。今時語尾に「ござる」とか古すぎて逆に新鮮だな、などと思いつつ、誠人は声のした方へ首を向けた。

 屋上の鉄柵の上で優雅に腰掛けるその人物は、常時着物着用のいかにも剣道やってます的な優男――ではなく、全長六十センチ程しかない小さな身体に、何の混じり気もない真っ黒な毛並を纏った一匹の猫。

「見ればわかるだろ。本を読んでる」

 猫と会話をするというおよそ日常とはかけ離れた状況にも関わらず、平然とした口調で誠人は答えた。対する猫も、まるでそれが普通だと言わんばかりの自然な動作で誠人の横に降り立つと、やれやれといった感じで首を振った。

「いくら後で取り返しがつくからといって、そう何度も授業をサボるのは感心せんでござるよ」

「失敬な。俺はちゃんと、授業に出ている」

「また解りにくい表現を……。正確には、授業に出ていることになる、でござろう?」

「日常会話にまでケチをつけるなよ、面倒臭い。やっぱり一度、再プログラムした方がいいかもしれないな」

「お好きにどうぞ。拙者は所詮、自分の性格すら自分で変えられない、哀れな傀儡でござる故」

 そう言って、黒猫は拗ねたようにそっぽを向いた。そのあまりの強情っぷりに、誠人は思わず溜め息をついた。

 この奇妙な黒い猫――通称、小次郎――は、言うまでもなく普通の猫ではない。誠人がある特殊な能力でつくりだした、〝架空生物(ソウルポット)〟と呼ばれる生命体だ。

 その特殊な能力〝言霊〟は、読んで字のごとく言葉に込められた魂を操る技術の総称であり、その効力は口にした言葉を実現するという、単純かつ極めて強力なものである。現に誠人がこうして授業をサボっていられるのも、この能力のおかげだった。

「……それで? 結局授業には出ないのでござるか?」

「出ないよ。時間の無駄だし」

「この世に無駄なことは一つもござらぬ。学友と共に勉学に励み、青春を謳歌することは正しい人格形成を行う上では何より重要な――」

「そうだな、確かに人生において無駄なことは何一つ無いよ。そんなわけで、俺はこれから読書という非常に有意義な行動に時間を費やすことにするから、少し黙っててくれないか?」

「……相変わらず屁理屈がお好きでござるな。確かに誠人殿お一人ならばそれでも良いが、その行動が結果的に他人の迷惑になるというのなら話は別でござる」

 その言葉に、誠人の身体がピクリと反応した。条件反射というやつだろうか。何だか泣き出したい気分に陥った誠人だったが、さすがに自分のつくり出した猫の前でそんなことをすれば、主人としての面目が立たない。

 誠人の反応に気を良くしたのか、小次郎は長い尻尾を左右に揺らしながら、

「さてと、報告せねばならぬことがあるため、拙者はこれにて失礼するでござる。あ、今の会話は記録させてもらったでござるが、そういう仕様なのでご勘弁を」

 およそ猫とは思えない程に見事な含み笑いを、その小さな顔に浮かべつつ、わざとらしくゆったりとした歩調で屋上の出入り口へと歩き出した。

「余計なことはするなよ」

 思わずこぼれ出たその言葉を誠人が後悔するのと、小次郎がしたり顔で振り向くのとは、ほぼ同時だった。

「はて、拙者は誰に何を報告するかまでは言っていないはずでござるが。果たして誠人殿の仰る余計なこととは、誰に対して行われることでござるか? まあ、結果として誠人殿が迷惑をこうむる相手といえば、拙者の浅い知識では一人しか思い当たらんでござる」

「……ああ、そうかい」

 ペットは飼い主に似るという言葉があるが、少なくとも皮肉においてはこの猫の方が主人よりも勝っているようだった。これ以上話をこじらせまいと、誠人はその場から逃げるようにして立ち上がった。

「どこへ行くでござるか」

「『昼休み』にどこへ行こうと俺の勝手だろ。というか、飯だよ、飯。食堂だ」

 そう言って、猫の非難がましい視線を避けるように屋上のドアへと向かおうとした瞬間、


「待ちなさい!」


 いきなり進路を塞がれた。

 腰まで届く滑らかな栗色の髪を風になびかせながら、何人たりともここを通さんといった面持ちで立ち塞がるその人物は、誠人のクラスメイトである少女、花咲(はなさき)(のぞみ)だ。身長はお世辞にも高いとは言えないが、その容姿は作り物ではないかと疑ってしまうくらいに整っている。が、その本来美しいはずの顔立ちは、身体中から溢れ出すとてつもない怒りによって歪んでいた。

 たった今話題にしていた少女の突然の出現に、誠人は半ば放心状態になりながら、

「の、望? なんで……こんなところにいるんだよ」

「そんなのこっちが聞きたいわよ! 教室にあんたの姿がなかったからどうせまたサボってるんだろうなーって思って昼休みになったら探しに行ってたっぷりお仕置きしてやろうと計画を立ててたら三秒くらい前にいつの間にか昼休みになっててなぜかあたしは屋上にいてすでに誠人を見つけてたって話だけどこれについて何かあたしに言うことがあるんじゃないの!」

 と、ここまで言い切った望は、余程疲れたのか肩で息をしながらその場にしゃがみ込んでしまった。よく見ると、首筋や太ももの辺りに薄っすらと汗の玉が浮き出ている。

「もしかして、走って来たのか?」

「だ、だったら、なに、よ」

「いや、あの……お疲れ?」

 直後、それまで荒い呼吸で床にへばり付いていた少女が、まるでそんなものは目の錯覚だったと言わんばかりの速度で立ち上がり、誠人の胸ぐらに掴みかかった。

「あ、ん、た、ねえ! 誰のせいでこんな目にあってると思ってんの! 誰のせいで!」

「ま、待て、落ち着け! 俺が弄ったのは時間の体感速度だけで、今お前がここにいるように辻褄合わせした覚えはないぞ」

「……えっと、つまり?」

「つまり、俺が言霊を使わなかったとしても、お前はここに走ってきただろうってこと」

「……?」

 何か腑に落ちないといった感じで、望は数秒間考え込むように押し黙り、

「――そ、そんなわけないっ! 誠人が何かしたに決まってるんだから!」

 なぜか耳まで真っ赤に染めた顔で、抗議の声を上げた。

「だから何もしてないって……」

「うるさい! だいたい高一にもなって授業サボるとかあんた何様よ! それに許可なく言霊を使うなってあれほど言ったのにまだわかんないわけ! 少なくとも三千回は言ったわよ!」

 強引に話を変えられたことに若干の不満を抱きながらも、さすがにこれ以上追及してもろくなことにならないと判断した誠人は、先程から執拗にアイデンティティーを主張してくる自らの胃腸に従うことにした。

「自分の力をどう使おうと俺の勝手だ。いいからさっさとそこをどいてくれ。通れないだろ」

 その言葉に何を思ったか、望は不敵な笑みを見せ、

「通してほしいの?」

 と言いつつ、神速の手さばきで誠人の本を奪い取った。

「『今からこの本は私の物よ』。通りたければお好きにどうぞ。ただし本は置いて行ってもらうけど」

 誠人は大げさに溜息をつくと、相手がぎりぎり音を聞き取れるくらいの大きさで、適当な単語を呟いた。

「何か言った? 文句があるならいってみ――」

 そこでいったん言葉を止めた望は、すぐさましまったという風に顔をしかめた。そんな望の様子を何だか可笑しく思いながら、誠人は答えた。

「『その本は俺の物』って言ったんだよ」

「……今、言霊使ったでしょ」

「さあ、何のことやら」

「ふん、まあいいわ。後でたっぷりお仕置きしてあげるから。そんなことより、ほら、これ」

 そう言って望が差し出したのは、何やら文章が印刷された一枚の紙。

「今朝、部活の掲示板に書きこみがあったの。依頼内容は、今日直接会って話したいそうよ」

 得意げに話す望の顔には、先程とはうって変わったような晴れやかな笑みが浮かんでいた。思わずすべてを許してしまいそうになるその顔に、誠人はしばしの間見とれ、

「何ぼーっとしてんの。早く読みなさいよ」

 という望の声を聞き、一瞬で我に返った。ごまかすように、手に持った紙へと視線を移す。

 投稿者の名前は、匿名希望。書き込みの内容は、「昼休みに体育館の裏にてお待ちしています」

とだけ書かれていた。

「で、どう思う?」

「さあ。いかにも怪しいということしかわからないな」

「ふーん、そう」

 望はなぜか少し残念そうな顔をして、

「まあ、いいわ。ほら、さっさと行くわよ」

 そう言いつつ、強引に誠人の手を取って歩き出した。

「ちょっと待った。本当に行く気か?」

「当然でしょ。〈探偵クラブ〉の久々の仕事だもん」

 探偵クラブとは、望が理事長の娘という立場を利用して作った部活で、なぜか誠人も強制的に入部させられている。活動内容は、主に落し物の捜索や迷子のペット探しなど、簡単なものが多い。ただし、一度捜索を頼まれたものは、この学園を運営する花咲財閥の莫大な財産を利用して瞬く間に見つけてしまうので、生徒からの評判は意外と高い。

 一秒ごとに輝きを増す望の目を見て、早くも抵抗することを諦めた誠人の耳に、

「……望殿、そんなことより〈協会〉からお二人に仕事の依頼が来ているでござるよ。クラブ活動よりそちらの方を優先すべきでござる」

 仲間外れにされたことで少々不機嫌になった黒猫の、救いの言葉が届いた。今にも屋上のドアに突進しそうな勢いで歩き出した望が、足を止めて驚いたように振り返る。

「あれ、小次郎、いたの?」

「最初からいたでござるよ。望殿が劇的な登場を果たす前から」

 やや不満げな口調で話す小次郎に、望は珍しく申し訳なさそうな顔をして、

「ご、ごめん、誠人を怒鳴りつけるのに夢中で気が付かなかった。……ほら、おいで」

 どこかぎこちない動作で手を伸ばしてきた望を見て、小次郎は戸惑うような表情で誠人の方を見上げてきた。誠人が肩をすくめて見せると、小次郎は少しの間逡巡した後、望の方に向かって静かに歩き出した。

 近づいてきた小次郎を胸の前に抱き上げた望は、文字通り借りてきた猫のように大人しくなった黒猫の喉元を軽くさすりながら、

「まったく、なんでこんなに可愛い子におっさんの声を付け足したわけ? こういうのは萌え系のアニメ声って相場が決まってるでしょ」

 なぜか誠人に対して見当違いの非難を浴びせてきた。誠人が返事に詰まっていると、さすがに本人もどうでもいいことを言ってしまったと思ったのか、少し頬を染めながら誤魔化すように咳払いを一つした。

「ま、いいわ。それより小次郎、仕事の依頼って何?」

「……協会より、お二人に向けてメッセージが届いているでござる。聞くでござるか?」

「うん、聞かせて」

 望の返事を受けて、小次郎は何かを思い出すように目を閉じて数秒間押し黙った後、まるで録音テープを再生するかのような正確な口調で話し始めた。


〈指令、言霊協会より花咲学園内の情報管理委員へ。昨日、午後十時十三分、花咲学園の敷地内で未登録の言霊の発現を感知した。対応可能な委員会メンバーは、添付された位置情報を元に能力者を発見、保護し、能力の概要を記録せよ〉


 小次郎の声は、普段の野太い声とは打って変わって、少女のような澄んだソプラノに変貌していた。感情の一切が感じられない、機械のように冷たいその声は、まさしくその主である、〝対天秤(バランサー)〟と呼ばれる少女そのものだった。

 小次郎の見せた完璧な声真似に、聞きなれているはずの望が感嘆の声を上げる。

「相変わらず、すごいわね。何だか本人がその場にいるみたいに聞こえるわ」

 思わぬ賞賛を受けた黒猫は、しかしあくまで事務的に、少女に尋ねる。

「それで、どうするのでござるか?」

「え、行かないけど?」

「な……の、望殿! それでは誠人殿に示しがつかないでござる」

「だって、名前の指定がないってことは、その仕事別に強制じゃないんでしょ? なら、たぶん他の人がやってくれるわよ」

「し、しかし――」

「うるさい! やらないって言ったらやらないのよ!」

 そうきっぱりと言い切った望は、再三の抗議の声を上げる小次郎を自らの胸に押し付けることで黙らせ、もう一方の手で誠人の腕をがっちりと掴むと、屋上のドアを足で蹴って開け、校舎の階段を早足で降りはじめた。

 その後もしばらくジタバタと抵抗を続ける小次郎だったが、さすがにこの状態になった望を説得するのは不可能だと経験で悟ったのか、二人が上履きを靴に履きかえて昇降口を出る頃には諦めたように項垂れていた。

 再び歩き出した二人と一匹は、先程までいたA棟校舎の通路を挟んで西側に設置された、教職員及び来客者用の駐車場を通り抜け、国立競技場かと見まがうくらいに巨大な体育館と学校の境界である黒い鉄柵とがつくりだす、幅十メートルほどの通路に足を踏み入れていった。

 花咲学園の敷地には、面積にして約百メートル四方にも及ぶ無駄にでかい体育館が建てられている。実際、全校生徒とその保護者を入れても有り余るくらいの広さがあり、授業や部活動で頻繁に利用されているとはいえ、若干持て余している感が漂っているのは気のせいではないだろう。そのあまりの広さ故に、様々な部活動の地区大会に利用されている程だ。

 そして、今二人が向かっている「体育館の裏」とは、体育館と学校の境界との間にある広い庭園のことを指している。つまり、ありていに言うと単なる学校の裏庭のことなのだが、なまじ横幅が体育館と同じ長さであるために、むしろ公園と言っても差し支えないくらいの広さがある。

 通路に入ってすぐに、足元は無骨なコンクリートから、むき出しの地面にレンガを敷き詰めた遊歩道へと変化していた。道の両側には手入れの行き届いた花壇が立ち並び、間には十数メートル間隔で休憩用のベンチが設置されていた。普通に歩けば一、二分かかりそうな長い通路を、そのまま直進すれば三十秒切るんじゃないかないかという早足で進んで行く一行だったが、ちょうど半分を過ぎた辺りで先頭を歩く望の足が突然止まった。

「――うおっ!」

 同時に、普段の倍ほどの速さで強制的に歩かされていた誠人の身体が、慣性の法則に従って前方へと倒れこむ。

「ひゃ!」

 驚いた望がとっさに足を出して支えようとするが、さすがに頭一つ分の身長差を埋め合わせることは出来なかったらしく、二人はそのままもつれ合うようにして地面に転がり込んだ。

 半ば押し倒されたような恰好で地面に横たわる望は、倒れる寸前に身体を反転させたのか、きょとんとした表情で仰向けに誠人の目を見つめている。その距離、約十センチメートル。

 あまりに突然な出来事に、何をしていいかわからずしばし呆然とする誠人。

 見つめ合うこと数秒、ようやく事態を把握し始めた望が、恐る恐るといった感じで誠人に話しかけてきた。

「あの、まま、誠人? これってその、もしかして……そういうこと?」

「……え、何が?」

「や、やだ、どうしよう! こんなに急にだなんて……。と、とと、とにかく落ち着け、落ち着くのよ、あたし!」

「あの……よくわからないけど、心の声ただ漏れしてるぞ」

「大丈夫、誠人だって初めてのはずだし……。それに、こんなときのために予備知識もたんまりと――」

「だから、全部聞こえてるって。あれ、もしかしてこのまま襲っちゃっても大丈夫なパターンか?」

「大丈夫じゃない!」

「何でそこだけ反応するんだよ……。まあいいや、とりあえず起きろ」

「え、は、はい」

 やけに大人しくなった望を素早く抱き起しながら、誠人は小次郎の姿が見当たらないことに気が付いた。確か、最後に見たときは望の腕に抱かれていたはずである。

(……まさか)

 一瞬で最悪の想像に至った誠人は、二人が倒れていた辺りの地面に、急いで視線を向ける。が、幸いなことに、その場所に小次郎の姿は見受けられない。

「誠人殿、拙者はこちらでござる」

 声のする方に目をやると、数メートル前方の地面に、見慣れた黒猫の姿を確認した。

「あ、何だ、生きてたのか」

「何でござるかその失礼な言い方は。というか、それどころではないでござるよ、誠人殿」

「何の話だ?」

「……修羅場でござる」

 そう言って、小次郎は前足でとある方向を指し示した。見ると、進行方向に向かって右側にある木製のベンチの上に、一匹の白い猫がこちらを凝視した体勢で座っていた。そして、その脇の地面の上には、なぜか煮干しらしき物体を片手に、必死に猫の注意を向けようと奮闘する女性の姿があった。

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