CrossKeeper-2
日本有数の進学校、花咲学園。直径数キロにも及ぶ広大な円形の敷地に古今東西ありとあらゆる分野の教育、研究施設が軒を連ねるこの学園は、扱う学問の豊富さで言えば世界でもトップクラスに位置付けられ、毎年たくさんの留学生がより広い可能性を求めて一堂に会している。
そんな国際色あふれるこの学園の最大の特徴は、中央の広場から放射状に伸びる道路を中心とした、蜘蛛の巣のように緻密な建築設計である。限られた敷地に建物がぎっしりと詰め込まれたその様は、「東洋の小さなパリ」と称されるほどに美しく整然としている。
その計算しつくされた完璧な設計に見とれながら、神城哲也は静かにほくそ笑んだ。これから手に入れるであろうものを思い一人悦に入る瞬間は、彼の人生において唯一といってもいい幸せを感じる時である。常により良いものを求め続けるという欲望は、人類の繁栄にとって最も重要な材料であり、同時に神城の行動理念でもある。
『欲しいもののために尽力することは正しいことであり、そのための手段もまた正義である』
幼い頃父に教えられたこの言葉を、神城は今でも頑なに信じている。まさに悪党による幼稚な言い訳の典型例であるが、なんとなく自分という人間を表すにはちょうどいい気がしたのだ。
「――こんなときに景色を楽しむなんて、随分と余裕だな。早く済ませてしまわないと、直に警備の者が来るぞ」
物思いに耽る神城の思考を、やけに幼い声が遮った。急かすような言葉を口にした割には、声に焦りが微塵も感じられない。
(……まあ、彼女にとっては所詮お遊びということですか)
なんだか自分がいいように弄ばれているような不安に駆られつつ、神城は声のした方を振り返った。
花咲学園の中心に位置する、高さ約七十メートルを誇る時計塔の展望フロア。全面ガラス張りのこの空間には、現在神城を除いて二人の人間がいた。
一人は紺色の制服に身を包んだ小柄な少女。左胸に着けられた赤いコスモスのエンブレムは、彼女が花咲学園の生徒であることを示すものだ。裾がだぶついたしわのない制服からして、いかにも入学したての新入生といった佇まいだが、その表情は人生を味わい尽くした老婆のように冷め切っている。
もう一人は染みだらけの白衣を着た長身の男性。ぼさぼさの髪と伸び放題の髭、そして周囲に放つ様々な種類の薬品による刺激臭は、男が熱心な研究者であることを如実に表している。
「あー、それで? 君が私の秘密を知っているだとかいう人物か?」
頭をぼりぼりと掻きながら、男は面倒臭そうに話しかけてきた。彼にとっては、こんな得体の知れない人間と話している暇があるなら、研究室に籠って好き勝手やっていたいのだろう。
「ええ、そうです。実はあなたにいくつか質問したいことがありまして――」
「口座番号なら教えてやるから好きなだけ使うといい。どうせ食事代を引き出す以外はほとんど使っていないからな」
「……いえ、そういうことではないんですよ、繋斬研吾さん。私が知りたいのは、最近あなた方がつくりだしたある発明品に関する情報、もしくはその在り処です」
「どこまで掴んでいる?」
「……はい?」
とぼけるように微笑む神城を見て、繋斬と呼ばれた男は一層表情を険しくした。どうやら今までの標的と違って、かなり頭の切れるタイプらしい。仕方なく、神城は白々しい演技を辞めてさっさと本題に入ってしまうことに決めた。
「どこまで……ですか。そうですね、現在私が把握している情報は、あなたがかの有名な〝理想の追求者(レセプション)〟のメンバーであり、同時に私が欲する情報を持っているかもしれない人間である、という所までです」
「どうやって知った?」
間髪入れずに発せられた質問に、今度は神城の方が顔をしかめることとなった。どちらに関してか言わない辺りに、彼が徹底した論理的思考の持ち主であることが伺える。
「もちろん、他の方に聞いたのですよ。世界中の諜報機関が躍起になって捜している組織の情報を、一般人である私が知る由もないでしょう?」
「ふむ……しかし、それは妙だな。俺以外のメンバーには、発明品に関する情報を管理しているのは、それぞれ別の人間であると嘘を教えてある。そしてその中には、俺は含まれていないはずだが」
「ええ、確かに。皆さんてんでバラバラなことを仰るので、なかなか骨が折れましたよ。しかしまあ……その中でなぜか一人だけ名前が上がらない方がいたので、無能な私でもそれなりに察せられたというわけです」
「……なるほど」
そう言って、繋斬は不敵な笑みを浮かべつつ何かを思案するように顎を撫でた。
(この状況で笑えるとは……。やはりほかの方々が言っていた事は、真実だったということですか)
知れば知るほど垣間見える狂気に、神城は心の中で戦慄した。
匿名の発明家集団、〝理想の追求者(レセプション)〟。活動開始からわずか数年しか経っていないにもかかわらず、時代の百年先を行っていると言われる発明品を次々と作り出している彼らは、天才科学者集団として世界中の誌面を賑わしている。その卓越した技術面もさることながら、彼らの最も特異な点は研究の成果――すなわち完成した発明品を、誰彼構わず欲しがっている人に無償で提供するというところだった。たとえ相手が凶悪な犯罪組織やテロリストだろうと、それを有益に使ってくれるのであれば、彼らは喜んで自らが心血を注いだ研究成果を差し出すのだ。
彼らの持ち物が欲しければ、脅しや強盗をする必要はない。探し出して譲り受けるか、炉辺に座って手を差し出し、彼らの目に留まるのを待つかのどちらかである。
それが、世界中の心理学者が導き出した〝理想の追求者(レセプション)〟に対する心理分析の結果であり、神城も相手はそういう種類の人間達なのだと認識して行動してきた。彼らと実際に合って、話をするまでは。
「――さてと。一応ここまでたどり着いたご褒美に、君の質問への答えを与えよう」
まるで出来の悪い生徒が必死になって導きだした答えを優しく訂正する教師のように、繋斬はそう切り出した。
「単刀直入に言うと、君の推理は大外れだ。本物の発明家は、この学園にいるもう一人の〝理想の追求者(レセプション)〟の方だよ。ま、ようするに、最後に手に入れた情報が真実だったということかな」
繋斬の解答を聞いた瞬間、神城の心にわずかな劣等感が生じた。それは自分の推理が外れたからではなく、それらの事実から導き出される結論が、到底受け入れられるものではなかったからだ。
神城はスーツの胸ポケットから一枚の紙を取り出して、そこに書かれた名前のリストに素早く目を通した。十数個の名前の内、線で消されていないのは繋斬を除いてただ一つ。
「……松村光一。機械工学全般に深い知識を持つ。家族構成は不明。花咲学園高等部に所属。年齢――十五歳。やはり少々信じがたいですね。世界中を騒がせている犯罪組織の実態が、たった一人の少年による悪戯だったなんてことは」
「おや、なんだ、随分と詳しく調べてあるじゃないか」
わざとらしく、感心したような口調で話す繋斬。その白々しいセリフを聞いて、それまで脇で大人しく二人の会話を傍観していた少女が、不快そうに顔を歪めた。そろそろ限界、ということらしい。
「……繋斬研吾、お前に聞きたいことがある」
外見とは真逆の乱暴な口調は、傍から見るとひどく滑稽なものに思えたが、少女の目に時折浮かぶ冷酷な光が、その不自然さを打ち消していた。その異様な雰囲気に、さすがの繋斬も表情を引き締めて少女の方を振り返った。
「なんだい、お嬢さん?」
「お前たちの目的は何だ? ただ社会を混乱させて楽しんでいるだけか? それとも何かほかに理由があるのか?」
「目的……ねえ。まあ、強いて言うなら探究心かな?」
「……?」
繋斬の言葉に、少女は不思議そうに首を傾げる。
「わからないか? 我々は科学者、すなわち世の中の疑問を解決することを生業としている人間だ。答えを探し求めること以外に、目的など存在しない」
「それが、他人の迷惑になるようなことでも、か?」
「それが人類を絶滅させ得る手段になろうとも、だ。俺が望むのは知識の習得や保存、ましてやその使い方などではなく、真実を発見すること、それのみだよ。いちいち他の人間のことなんて構っていられるか」
「……ふむ、なるほど」
繋斬の言葉を受けて、少女はしばらく考え込むような仕草を見せ、
「ぎりぎり、不合格かな」
それまでの無表情が嘘だったかのような穏やかな笑みを浮かべて、そう呟いた。
「不合……格?」
突然の豹変と不可解な言動に困惑する繋斬を尻目に、少女は一歩二歩と間合いを詰めると、男の耳元に顔を近づけた。少し手を伸ばせば抱きしめあえるくらいの距離で懸命につま先立ちをする少女の姿は、事情を知らない者からすれば健気な愛情表現にしか見えないだろう。
「お、おい、君何を――」
慌てふためく男を気にも留めず、少女はまるで噂話でもするかのような口調で、静かにこう呟いた。
「『あなたの夢……私にちょうだい』」
直後、少女の言葉に応えるように、繋斬の全身から仄かな青白い光が立ち上り、薄暗い展望フロアを照らし出した。霧のように漂うそれらの光は、フロア全体を覆いつくず程に拡散した後、少女が差し出した手のひらへと向かって一気に収束し、こぶし大の光の球へと変貌した。
(これで、見るのは十四回目、ですか)
繋斬が膝から崩れ落ちるのを横目で確認しながら、神城はその幻想的な光景に思わず見入った。簡単に手に入るという点で、美しいものを見るという行為は、彼にとって数少ない娯楽の一つだ。
少女はすべての光が一点に集まったことを確認すると、自らの口をそれに近づけ、一息で飲み込んだ。いったいその光が少女の華奢な身体のどこに仕舞われるのかは、神城にとっても最大の疑問だ。
「さて……と。今のでかなり目立ってしまっただろうから、さっさと引きあげるとしようか」
人外の所作を成し遂げてなお、少女の言動は気味が悪いくらいに冷静だった。その違和感が、神城の返事を僅かに遅らせる。
「……ええ、そうですね――っと、これは、これは……まだ意識がおありでしたか」
その僅かな時間の内に、神城の足首に絡みつく、二本の腕があった。もはや肉の塊としか呼べないそれは、もちろん繋斬研吾のものである――が、その虚ろな表情にはすでに元の人間としての面影はなく、視線は神城を捉えてさえいなかった。唯一まともに動いている唇からは、断続的に不明瞭な呟きが漏れ出るのみで、以前は独特の魅力さえ醸し出していた乱れた髪は、その気味の悪さを一層際立たせていた。
「……相手を間違えていませんか。私は何もしていませんよ。犯人は彼女です」
ホラーの類は大の苦手とする神城だったが、一応失礼のないように対応し、少女のほうを指差した。しかし、それが一周まわって件の少女の気に障ったらしく、彼女は神城の足に絡む両腕を乱暴に蹴り飛ばし、反動で地面に伏した繋斬の胸ぐらを掴んで無理やり起こした。
「見苦しいぞ、青年。お前はもはや人間ではない。私のしたことは許せないかもしれないが、お前の力ではその結果を変えることは出来ない。通り魔に会ったものと思って諦めろ」
少女の言葉が届いたのか否か、やがて繋斬の目から大粒の涙が零れ落ち、フロアの床を濡らした。少女が手を離すと、繋斬はそのままの格好で宙を見つめ、動かなくなった。稀代の天才化学者の惨たらしい最後に、神城は思わず目を背けた。
「……行くぞ」
少女はぶっきらぼうにそう言うと、続けて何事かを呟いた。直後、展望フロアの冷たい床の上から、二人分の体温が音もなく消えた。
非常灯に照らされた薄暗い展望フロアで、残された男が一人、嗚咽を漏らした。