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息継ぎをしない猫

 雨が降ったのが日曜日の午後だったのか、月曜日の午前中だったのか、今はもう思い出せない。それは、兄が水泳部の強化合宿で、県の運営する大きな屋外プールに練習に行っていた時の事だった。

 その頃、小学生だった私にとって、そのプールは大きすぎたし、暗くて深かった。飲み込まれたらどうしようという 恐怖感から、私はプールサイドの一番端っこのフェンスに持たれかかって眺めていた。兄は、競技用に仕切られているプールを使っていた。

 父は熱心な指導者で、とりわけ兄に厳しかった。何故、あんなにも父が兄に対して熱心になれるのか、そして何故、私に対しては無関心でいられるのかが、私には分からなかった。

 その日も、練習を見るために連れてきてもらったものの、父の関心は兄の練習に対してだけだった。遠くの方で父が野次を飛ばすのを、ぼんやりと聞いていた。そして、突然空は晴れているのというのに、激しい雨が降り出したのだった。

 泳いでいた人達は、すぐに止むだろうと思いながらも、ほとんどの人が屋内に避難した。

 しかし、父と兄はそれでも、練習を止めようとはしなかった。

 私も、兄が練習していたのでそのままの体勢で座って見ていた。

 激しくプールサイドに水が叩きつけられて、視界も滲んだ。ようやく雨が弱まって、私がプールの方を見てみると、少し小太りな猫が一匹、目の前をのんびりと歩いていくのが見えた。

 私は思わず

「ねこ!」

と叫んだが、雨と父の怒鳴り声で掻き消された。そのまま猫は、兄の泳ぐ競技用のプールの反対にあった、潜水用のプールに向っていった。

 私は、誤って猫が落ちないかと心配になって、猫を追いかけたが、猫はそのままプールの中に潜ってしまった。10秒経っても、30秒経っても、猫が浮いてくる様子はなかった。目を凝らしてプールを覗くと、猫らしき黒い陰が5メートル位、先にあるのが見えた。

 私は、もっとよく見ようと体を前に出したせいで、そのまま水の中に落ちてしまった。

 水の中で、猫は必死になって前に進んだが、私は息も続かないばかりか、パニックになって溺れてしまった。それからすぐに、私は助けられ、医務室のような所に寝かされていた。目が覚めると、いつも兄を怒っている父が、逆に兄に怒られているという奇妙な光景が見えた。

 私が目を覚ました事に気付いた父は、無愛想ながらも私を怒らなかった。私は、また無視されたと思ったが、次に父は

「まずは、息継ぎから教えるか」

と呟いた。そして、いつものように無愛想に大きな手で私を撫でた。あの猫は息継ぎなしで、どこまで泳いだのだろう。私は、あの猫の事を思い出す度に、何故か父の大きな手の事を思い出している。


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― 新着の感想 ―
[一言] 可愛らしい話だなぁとホノボノしました。プールサイドの様子が呼吸のようにスムーズに浮かんできて、綺麗です。 タイトルも可愛くて、そして奇妙な魅力がありますね。
[一言] 短い話なのにしっかりとしたストーリーがあって、とても良かったです。 主人公の感情の描写が(寂しいとか悲しいというかんじの)無いのにも関わらず、主人公の気持ちが読み取れるのは、作者さんの力を感…
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