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小夜子さんにショックな出来事が!

「まったく……たまにしか帰って来ねぇんだから」

「電話はたまに入れてるでしょ? 忙しかったの。ごめんってさっきから謝ってるじゃない」


久々に実家に帰って、お父さんとふたりで私のための夕飯のおかずを駅前の商店街に買いに来ている。

お父さんはお酒とおつまみだけど。

なかなか帰ることがないから、帰るとまずお小言から始まる。


「あんちゃんとはマメに会ってるみたいじゃねーか」

「だって仕事だもん、当たり前でしょ。あ、彼に変なこと話さないでよ、恥ずかしいから」

「なんで? 変なことなんて話してねーぞ? お前の子供のころの話じゃねーか。あんちゃんも愉しそうに聞いてるんだぞ」

「だから、そういうのやめてって言ってるの!!」


知らないうちに、私の過去が彼に知られていくなんて……彼の口から、私の小学生のころの話が飛び出したときは驚いた。

昔から飲み友達のふたりは、未だにときどき一緒に飲んでるらしい。

なぜかうちの親は彼のことを気に入ってて、彼もときどき家に飲みに来たりもした。

今もなのかな?


「まぁ、あんちゃんがいるから、お前のこともそう心配してねーけどな」

「変な期待を彼にするから、彼が調子に乗るのよ! もう……」


思いっきり『親代わり』発揮してるし。


「お!」

「ん?」

「ママだ」

「ママ?」

「おう、あんちゃんとよく飲みに行くお店のママさんだよ。これから仕事かな?」


何軒か先の店の前を歩く和服姿の女の人を見て、お父さんが教えてくれた。

あの人が……遠目でもわかる……和服がとっても似合ってて、綺麗な人。

先生と同じ年くらいかしら? ということは、あの人が先生の……片思いの相手ってこと?


「たしか、彼と親しいんでしょ?」

「おう! ありゃデキてるね。うんうん」


お父さんが腕を組んで、納得したように頷いた。


「店が閉まってもふたりで残ってるし、店の女の子の話じゃときどきママんとこに泊まったりもしてるみたいだしな。付き合いも長いらしい」

「へぇ……」


やっぱり、そうなんだ。


「美男美女だし、あんちゃんならママのこと任せても俺りゃぁ構わねぇ」


またしみじみと納得しちゃってる。


「随分信頼しちゃってるのね……」


私は不思議な気持ちで前を歩く和服美人を目で追ってた。

たしかに美男美女で、お似合いだもの……。


遠ざかる和服美人の隣に……笑って一緒に歩いてる彼が見えたような気がした……。





「そっか、大学生のころからバイトしてたんだもんね。じゃあ、作家の先生なんかも親しいの?」


金曜の夜、出版社から10分ほど歩いた駅よりのカフェ・バーで約束してた同期の諸星さんと食事を終えて飲みに来ている。

カウンター席に、ふたりで並んで座ってる。


「そんなことないですけど……学生のころは原稿取りに伺ってただけだったし、多少雑談なんかはしましたけど、ちゃんと担当のかたもいましたから。私はお手伝いくらいで、後は雑用とかでしたから」


そう言えば、いつの間にか社員の平河さんが部署変わってたな……なんて記憶が蘇った。

季節外れの異動だな……なんて思ったのを憶えてる。

それにあれっきり矢口先生のところにも原稿を取りに行かなかったな……とも思った。

今はたまにしかウチの出版社の仕事をしてないみたいだし。


「でも、話を聞いてると堀川さんって真面目だよね」

「え? そうですか? でも、そうかもしれませんね。私、なにも取り得ないですから……真面目くらいしかなくて」


お酒を飲むお店なのに、私はあまりお酒が飲めない。

なので頼んだお酒を舐めるように飲んでる。

それでも、あっという間に頬が火照ってる。


「もしかして、あんまり飲めなかった?」


グラス半分以上飲み終えた諸星さんが、笑って話しかけてくる。


「あ…はあ…でも、仕事のことで相談があるって伺ってたから……」

「わあ、ありがとう。そんなに気にしてくれてたなんて、嬉しいな」

「え? はあ…いえ…そんな……」


いつの間にか、ふたりの距離が縮んでることに私は気がつかなかった。



小夜子が『舷斗』と仲がいいことは調べてあった。

編集者という立場から、作家優先ということも承知している。

だから彼のサインが欲しいからと、ストレートに頼んでも敬遠されるかもしれないと、遠まわしに頼むつもりだった。

こういう男と恋愛に慣れてなさそうなタイプは、ちょっと優しくして気分のよくなるような言葉でも囁けば、そのくらいのことは聞いてくれると思っていた。

さすがにベテランの担当者にはこの手は使えないと分かっていたので、片平に頼むことは諦めた。

それに噂では、片平はそういうことに便乗して作家のサインを手に入れるなど許さん! と豪語していたと聞いていたから、余計に無理だと思った。

しかも作家の『舷斗』自身もクセのある作家と聞いていたから余計、小夜子を当てにしていた。

本命の子も、なによりも先に『サインはまだか?』と催促するので、そろそろ焦りも出始めていた。


「仕事のことで相談があるっていうのは口実」

「は?」

「そうでも言わないと堀川……小夜子さん、俺に付き合ってくれなかっただろ?」

「!!」


そう言って、諸星さんが密着といえるほど私のほうに身体を寄せてきた。

酔いのせいなのか、瞳も最初のときとは違ってウルウルと潤んでるように見えるし、なにか変な感情がこもってるようにも見える。

それに、今にも肩に彼の手が回されそうな雰囲気。


「あ…あの……」


そんなのを察して、私はちょっと警戒し始めた。

そんなとき、信じられない声が私達のすぐ傍で聞こえたから私はすごく驚いてしまった。


「はい! プレゼント!」

「!!」

「!!」


私と諸星さんの目の前に、いきなりワインレッドの包装紙にピンクのリボンのついた正方形の包みが現れた!


「へ!?」


諸星さんが、マヌケな声を出す。


「え? せ…先生!?」


なぜか弥咲先生がカウンターに手をついて、にっこりと微笑んでいた。


「これが欲しかったんだろ?」

「は? なんだよあんた」


いきなり現れた弥咲先生に、諸星さんが慌ててる。

当然と言えば当然のことでだけど……私だって驚いたもの。


「なんだよ、サイン欲しかった相手の顔ぐらい調べとけよ。ああ、そっか。オレ、あんま公に顔出してなかったか?」

「先生?」

「は? 先生? え? じゃあ、あんたが? ……ぐふっ!!」



こっそりとあとをつけて様子を見ていれば、必要以上に男が小夜子さんに近づいたのが視界に入った。

ニヤニヤ笑いながら、今にも小夜子さんの肩に手を回しそだったから、慌ててふたりの前に姿を現した。

卑怯な手で手に入れたがってたサイン入りの色紙を突き出してやる。

そんなオレに驚いて、イスに中腰で立った男の鳩尾に一応加減した突きを叩き込んだ。


「体育会系ならこのくらい平気だろ? もう用は済んだんだから、小夜子さんに近づくなよ」


小夜子さんと男の間に小夜子さんに背を向けるようにして割り込んで、小夜子さんいはわからないように男の耳に囁いた。


「小夜子さん帰るよ。彼、ちょっと酔っちゃったってさ」


言いながら、小夜子さんの腕を引っ張って立たせる。

男はイスに座って鳩尾を押さえて俯いてる。

見ようによっては、酔いが回ってるように見えるだろう。


「え?!」


ワケがわからないとままの小夜子さんをサッサと歩かせて、あっという間に店を後にした。




「もう、一体どういうことなんですか? なんで先生が?」


店を出て少し歩いたところで、オレに腕を掴まれたままの小夜子さんが足を止める。

オレも仕方なくその場に立ち止まった。


「小夜子さんのことが心配だったんだよ。言っただろ? 男はオオカミだって! オレが来なかったら小夜子さん、アイツに口説かれてたよ」

「は? なんですかそれ? 口説かれなんかしませんよ」

「え?」


小夜子さんが呆れた顔でオレを見てる。


「だって彼はただの会社の同僚で、相談があるって言うから来ただけですし。そうじゃなかったら付き合ったりしません。それに、彼は私の好きなタイプじゃないんで、全く眼中になんかなかったです」


そこまで一気に小夜子さんが喋った。


「じゃあ、迫られても?」

「大声で叫んじゃいますね。さっきもちょっと近寄られただけで鳥肌が……」

「は?」


そう言って小夜子さんが、手の平で自分の腕を擦る。


「もう……一体なにをそんなに心配してたんですか? それにさっきのプレゼントってなんですか?」

「え? いや…あれは……」

「先生のサインの色紙……ですか?」

「え? 小夜子さん知って?」


小さな声で、わからないように隠して渡したつもりだったんだけどな。


「まあ、あの形とかで。それに結構頼まれるんですよね、色々な人に」

「そうなの?」

「先生ってホント自覚ないですよね? まあ、逆にそれをハナに掛けてたら失望しちゃうところですけど」

「小夜子さん……」

「片平さんにも言われてるんです。そういうのを1度でも聞いちゃうと、後々大変になるからって」

「そうなんだ」

「先生がそういうの、気にしないって言うなら別ですけど。先生って天邪鬼だから、欲しいって言う人にはあげなさそうですよね」

「そこまで捻くれてはいないけどさ。まあ、そうかな」

「だから、そんなに心配して下さらなくても大丈夫だったのに」


そう言われて、小夜子さんに顔を覗き込まれた。

オレのほうが思わず赤くなる。


「そっか……そうか。小夜子さんも、もう一人前なんだね。初めて会ったときは高校生だったから、つい。オレも親バカかな」

「いつから先生が私の親になったんですか? もう、先生のせいでお金払ってくるの忘れちゃったじゃないですか」

「やだな……小夜子さんってホント真面目。今日くらいアイツに奢ってもらいなよ。そのくらいアイツも承知の上だよ」

「そうですか? そんなもんなんですかね? 私にはよくわからないですけど」

「そうだよ。ねえ、小夜子さん」

「はい?」

「これからオレと飲もうか? もしかして小夜子さんと初めてじゃない? お酒飲むなんて?」

「あ! そうですね。初めてかも……でも、私あんまりお酒が飲めないので先生は物足りないかも」

「大丈夫! 小夜子さんとならきっと楽しいでしょ♪」

「そうだといいんですけど……」

「そういえば、小夜子さんってオレのサイン欲しいって言わないよね? 6年間ずっと」

「え? ああ、そうですね」

「なんで? 欲しいって言ったくれたら、何十枚だって書いてあげるのに」

「そんなにいりませんよ!」

「例えだって! ホント真面目だな、小夜子さんは」

「だって……」

「だって?」


「本人に会えてるんですもの、それだけで十分です。先生は私がいつもどんな気持ちかわかってないんですよ。どれだけ嬉しくて、ドキドキしてるかなんて……」


「小夜子さん…」

「あ…やだ……私、なに言ってるんだろう。酔ってるせいですね、ホント気にしないで下さい」


そう言って、自分の頬を両手でペチペチと叩いてる小夜子さんが可愛かった。


「あ! そしたらウチで飲む? そのほうが気が楽かな?」

「いいですけど、酔ってるのをいいことに変なコトしないで下さいよ」

「しないって! もう、小夜子さんは……じゃあ行こうか」

「…………」

「ん? どうしたの?」

「いえ……さっき」

「さっき?」

「諸星さんにも『小夜子さん』って呼ばれたんですけど……」

「え?!」


あんにゃろう……馴れ馴れしいな。


「なんだかすごく嫌な気分になって……なのに弥咲先生に呼ばれても、別に平気なんですよね」

「昔からだからじゃないの? もう6年間だよ?」

「……違うんです。最初から……初めてそう呼ばれたときからです」

「小夜子さん……」

「ま、そんな大したことじゃないんですけどね、すみません。」

「大したことあるだろ? そっか~~そうか~~~」

「なにひとりでニヤニヤしてるんですか?」

「いや……嬉しいなぁ~~って」

「変な先生ですね?」

「へへへ♪ はい!」


私の前に、先生が腕を曲げて差し出した。


「え?」

「ウチにご招待だからエスコート! どうぞ」


すごいニッコリだわ……こういうのを“満面の笑み”っていうのかしら?

でも、一体今のどこにそんな要素が?


「ご招待って……もう、何度もお宅にお邪魔してますけど?」

「いいから、いいから♪♪」


彼の態度を見て、腕を組まないと諦めない気がして……仕方なく私が諦めた。


「仕方ないですね……じゃあ遠慮なく」


そう言って彼に手を伸ばした瞬間……。


「智捺さん?」


……え?



伸ばした手が……彼の腕に届く前に……彼が私から離れて行った。

私の手は……彼に触れることなく自分の胸の前に強く握られた。



「智捺さん、どうしたの?」

「あら……弥咲先生……」


そう言ってニッコリ笑ったのは、あの和服美人のママさん。

駅に向かう歩道の街燈の鉄柱に掴まりながら、辛そうに立ってる。

見るからに具合が悪そうだ、顔も青褪めてるし。


「ちょっとこの近くに用があったんですけど……」

「具合悪いの?」

「少し気分が悪くなっただけです。いつものことですから……大丈夫ですから先生もお連れの方がいらっしゃるじゃないですか。私のことは大丈夫ですから行って下さい」

「大丈夫じゃないだろ? 今は無理しないほうがいいって言ったのに!」


……え?


「小夜子さんごめん、お酒また今度ね。オレ智捺さん送っていくから」

「え?! あ……はい…」


やだ……大丈夫かな? 私…普通に返事できたかしら?

だって……さっきからなにも考えられなくて、うまく頭が回ってない。


「そんな……先生、本当に私ひとりで大丈夫ですって。タクシー拾って帰りますから、お気遣いなさらずに……お嬢さんに申し訳ないですから」

「ダメだよ、そんなにフラフラなのに。小夜子さんなら大丈夫だから。小夜子さんオレ、タクシー捕まえるから智捺さんのことちょっと頼む」

「あ…はい…」

「すみません……本当に大したことないんですよ……もう…先生ったら……」


彼女を支えるために近づくと今まで遠目でしか見たことのなかった彼女の顔がハッキリと見えた。

近くで見たら、遠目で見たときよりもはるかに綺麗な人だった。

“美人”ってこういう人のことを言うんだろうな……でもやっぱり顔色が悪いし、本当に辛そうだ。

なんだろう? なにか持病でも持ってるのかしら?


それからしばらくしてタクシーを捕まえた先生が戻って来て、彼女をタクシーに乗せた。


「お酒はまた次の機会まで楽しみに取っておくよ」


そう言って彼は、少しも残念そうでない顔でニッコリと笑う。

そんな彼を見て、私は鳩尾の辺りが重くなる。


「はい…あの…先生……」

「ん?」


タクシーに乗り込もうとした彼を引き止めて話しかけた。


「彼女、どこかお身体が悪いんですか? 持病とか? だったら家に帰るより病院に行ったほうが……」

「ん? ああ、病気じゃなくてさ………彼女、妊娠してるんだ」

「……え?」


一瞬、頭の中が真っ白……。


「つわりが始まってるらしくて、あんまり無理しないほうがいいって言ったんだけどね」

「……………」

「じゃあまたね、小夜子さん」

「あ……はい……また……」


手を振って、先生がタクシーに乗り込んだ。

ドアが閉まって走り出して遠ざかっていくタクシーをしばらくの間、ボンヤリと眺めていた。

それはタクシーが見えなくなっても続いていた。


もうほろ酔いだった酔いもすっかり醒めてしまった。

だからだろうか……身体がなんともダルくて重い気がする。


滅多に飲まないお酒なんか飲むから……。


「はあ~~」


身体全体からため息が出た。

やだ……大丈夫だったかな? 私……普通に返事ができてたかしら?



どのくらい、そうしていたんだろう? 私はやっと帰るために……ゆっくりとその場から歩き出した。




あともう少しだったのに、タイミングを逃すふたりです。

妊娠って……お相手は?

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