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かりそめのブロンド

作者: 瀬野とうこ

 ニューイングランドはボストンの、チャールズ川に面した学業の中心地に、あたしの通う学校はある。

 このへんにわんさかある公立校のひとつで、『ボストン』の名を冠した難関校とは、おつむの出来がだいぶかけ離れちゃうけど、まあのんびりとした校風のハイスクールだ。

 川のこっちにもあっちにも、やれケンブリッジだボストンだ、ハーバードだマサチューセッツだのとカレッジが乱立し、脳みそをぐるぐる回転させて生きてるような人たちがあふれかえっているのだから、そのぶんあたしたちがのんびり過ごしていたって、それはもう仕方のないことなんじゃないの。


 そんな学校でも、春ともなればあわただしい。

 特に最上級の十二学年の人たちときたら、浮き足立っちゃって見ていられない。

 来年はあたしもあんなふうにあせったり進路に頭を悩ませたりしなくちゃならないんだと思うと、ぞっとしちゃう。


 今日は気温も十度そこそこしかなくて、夏なんてまだまだ先のような気がしちゃうけど。

 ああでも、卒業となると、あたしにだって無関係じゃないのよね。

 だってほら、ロッカーの一番右端。セオが夏には卒業しちゃうんだもの!


 正直、そんなの考えたくもない。セオがいない学校なんて、何を楽しみにして通えばいいの?

 六個並ぶロッカーの端っこ同士で、休み時間には姿がおがめる、――そのことだけが生活に華を添えてくれていたっていうのに。あまりにひどい。

 目が合うことなんてめったにないけど、眺めてるだけでしあわせだっていうのに、こんなに謙虚なあたしの願いも、あと数ヶ月しかかなえられない。


 あたしはロッカーの鏡で自分の姿をチェックした。

 実はね、あたし、いつもと違うの。

 創作ダンスの発表が三日後にあって、友達のエイダとケイトといっしょに取り組んでる課題のテーマが『ブロンド』なんだ。それで、三日間だけゴージャスなブロンドのかつらをかぶって、ちょっといつもよりお尻の軽い女の子になりきってみようって試みの最中なの。もちろん、意気込みをみせてダンスの先生にアピールしようってもくろみもある。

 まあ、今朝からかぶって登校して、まわりからは笑われることのほうが多いんだけどね。

 うんでも、そう似合ってなくもないんじゃない。


 鐘が鳴り、わっと人の声がして、廊下がさわがしくなった。

 ほらほら、来た。

 セオが友達と連れだって、じゃれあいながらやってくる。

 水泳部らしい引き締まった肉体に、まぶしい金髪がきらめいて、ほんっとキュート。

 ああ、夏なんて来なきゃいいのに!


 ざっくりと重ね着した長袖のTシャツが、彼の胸板の厚みを強調している。

 泳いだ後、あの大胸筋の合間を水がしたたっていくのがもう最高。

 当然肩幅もあって、腕もあたし一人くらい余裕で持ち上げられそうなくらい太い。

 毎日どれだけトレーニングしてるのかしら。

 同じジムに通いたかったけれど、あたしの貧弱な身体つきを見られるなんて耐えられないものね。


 でも、今日の午後には記録会があるはず。

 学校が終わったら必ず見に行くんだから。

 だからその、……言うのよ。「がんばってね」って、言わなくちゃ。

 ばくばくいう心臓を押さえて、あたしはセオに近づいた。

 大丈夫。簡単なことでしょう。

 はげましの言葉をかけるだけよ。なにも不自然なことじゃないわ。


「ハイ、セオ」

「ハイ」

 ロッカーをあさる手を止めたセオが、ふり向いてほほえんだ。

 きゃああ、びっくりしすぎて倒れちゃいそう。

 なんてさわやかな笑顔なの。こんなのとっても、罪作りだわ。


「えっと、今日はこのあと大会があるってきいたの。出るんでしょう、がんばってね」

「ああ、記録会のこと?」

「そう。そうよもちろん。記録会のこと」

 うわあ、頭がくらくらする。急に空気が薄くなったみたい。


「ええと、きみ……」

「トレイシーよ」

「ああ、トレイシーね。サンキュ。きみも来るの?」

「大会に? ええそう、応援には行こうかなって思ってる」

「ほんとう?」

 呼吸が止まるかと思った!

 だってセオったら、すごく嬉しそうに笑うんだもの。


「たしかに聞いたからね、来なきゃだめだよ。きみのような髪のきれいな子が見ててくれたら、きっといい結果が残せるからさ」

「そう、そうねもちろん」

 息もきれぎれになって、相槌を返すのがせいいっぱい。

 やだ、顔ひきつってないかしら。


「じゃあまたあとで、トレイシー」

「――っ!」

 うっそ! も、だめ。夢かもしれない。

 ちゅって。ちゅって! セオがあたしの頬にキスをした。


「ま、……またあとでねっ」

 あたしは恥ずかしくっていたたまれなくなって、どうにかそれだけ言うとくるりと背を向けて駆け出した。


 教室から顔をのぞかせた先生が、「こらそこ、走るな!」って怒鳴ってたけど、先生のほうこそむちゃ言わないでよ。

 こんなの走るに決まってるでしょ。

 走らなかったら、どうやってこの荒れ狂う感情を制御するのよ。


「きゃあぁぁぁぁぁぁっ」

 押し殺した悲鳴が口からもれた。

 しんじらんない、しんじらんなーい!

 キスされちゃった。セオにほっぺにちゅってされちゃった!


 あー、だめ。

 動悸息切れめまいに加えて、おかしな汗までかいてきた。

 こんな大事件、一人の胸にはしまっておけない。

 あたしは感動をわかちあうべく、食堂へと駆けていった。






「おねがい! 放課後つきあって」

 食堂で、あたしはエイダとケイトに泣きついた。

「やーよ。あたし、水泳にもセオにも興味ないもん」

 金のかつらにいっぱいのクリップをつけながら、エイダが言った。


「だいたいおかしいよ、セオがそんなに下級生に愛想良くふるまうなんて。いっつもあたしたちなんて眼中にありませんって態度とってんじゃん。あんた、あの男の前にどんなエサぶらさげたのよ?」

「なんにもしてないよ!」

 もうっ。エイダはドライなんだから。


「ね、おねがい。ケイトはいいでしょ?」

 腕組みをして、ケイトは渋面をつくった。

「正直、気乗りしないのよね」

「そんなこと言わないで。ケイトにしかたのめないんだよ、ね」


「行くことないよ、ケイト。どうせのこのこ顔出したって、夢見がちなバカが来たって笑われるだけなんだから」

「そんなことないってばぁ」

 エイダはスポーツ系の男子が嫌いだから、頑固な偏見にとらわれてるんだ。

 セオの笑顔を見ればエイダにだってきっとわかる。いじわるな顔なんてしてなかったもの。


「ねー、おねがい!」

 必死な顔して拝み倒すと、ケイトはしぶしぶうなずいた。

「わかった、いいわ。トレイシーを一人で行かせるわけにはいかないものね」

「やぁん、ありがとー!」


 ほらね、ケイトはいつだってお姉さんのように優しい。

 ……お姉ちゃん、いないけどさ。本当には。

 だからいつもそう言うと、実物の姉って生き物がどんなに恐ろしく傲慢なのか知らないんだって叱られる。

 エイダには、ふたつ年上のダンスやってるお姉ちゃんがいるから。

 思うに、エイダがスポーツマン嫌いなのって、お姉ちゃんの影響があるんじゃないかな。


「まったく」

 エイダがあきれた様子で天を仰いだ。

「忠告しとくよ、遊ばれるだけだって。ほんと、ばっかみたい」

「べつにそこまでは期待してないもん。あたしはただ応援したいだけ」


「はいはい。セオの裸が見たいだけね」

「もーっ!」

 怒ってみせたけど、エイダの言うことは正解。

 セオってすっごくきれいな身体をしている。特に背中は最高だもの。あれを見たくならない人なんているわけない。


「それはそうと、そろそろ時間よ」

 ケイトがテーブルの上を片づけ始める。

 ほんと、授業の時間だわ。次、なんだっけ。……げ、近代史。眠くなるやつだ。

 あたしたちは手早く荷物をまとめて、食堂を出ようとした。


「おっと、トレイシー。ちょっといいかな」

 すると出入り口で声をかけてきたのは、――うええ、微積の先生だ。

 思うんだけど、微分積分ってちょっと、存在そのものが意味わかんない。そんなものを嬉々として生徒に教えようとする先生も、等しく意味がわからない。


「あー、先生。ええと、どうも」

 やっばい。あたし、わざわざ呼び止められるくらい出来が悪かったのかな。微積のテストがあったのは、たしか先週だから、……あれ? ちょっと時期がおかしくない?

 腰が引けるあたしを前に、先生ったら無邪気な笑顔。もっとも、中年男性に無邪気って言葉が適切だったらのはなしだけど。


「おめでとう、トレイシー。すごいじゃないか。見たよ、結果。二位だったね」

「はい?」

 二位ってなにが?

「クロスワードのコンテストだよ。新聞部が主催しているやつに応募しただろう。僕の教え子が一位と二位をとったんだ。誇らしいよ」

「えっ」


 え、えー! そうなんだ。やったうれしい! でもそんなの出したの忘れてた。

「知らなかった。もう結果が出てたんですか」

「ああ。新聞部のホームページを見てごらん。きみの名前が載ってる。近々表彰状が届くんじゃないか」


「ちょっとトレイシー、すごいじゃない」

「ほんとう。やったわね」

 エイダとケイトが興奮顔で小突く。

 あれあれ、どうしたの? 今日っていいことばかりじゃない?


「ありがとー。実を言うとね、ちょっと自信があったんだ」

 難問ばかりと評判のコンテストだけど、ちょうど今回は映画に関する設問が多かったの。

 まあね、やっぱり、そうでもないと解けないわよね。

 うちはママが画像処理の仕事をしていて、しょっちゅう映画に関するうんちくを垂れ流しにしているから。パパも映画が大好きだしね。


「先生もありがとう。あとでチェックしてみます」

「ああ。じゃあ」

 ぽんと肩に手を置かれて、先生は立ち去った。

 しみじみしちゃう。あの先生に褒められたのって初めてじゃないかな。

 あたしは顔を赤くして、意気揚々と教室に向かった。






 放課後にケイトと連れだって、公営のプールにやってきた。

 うーん、この塩素の香り。たまんないわね。水泳やってる人って、肌まで漂白されたりしないのかしら。もっとも、セオの身体はセクシーな小麦色をしているけれど。


 むしろ、色が白いのはケイトのほう。アウトドアが得意じゃないから。

 でもケイトの場合は、黒髪に白い肌が神秘的で、なよなよした感じはうけない。

 今はケイトも金髪のかつらをかぶっているけど、日光にあたりたくないからって、つばの広い帽子で隠しちゃってる。もったいなーい。


 あたしたちが着いたころには、記録会は終盤だった。ギリギリ、セオの最後の泳ぎに間に合ったくらい。

「次。次、セオの番よ!」

 見学席のベンチに座って、ケイトの袖を引っぱる。

「わかってるわよ」


「見て、新聞部の人が来てる。あーっ、いいな、写真撮ってる。新聞にセオの写真載るかなあ?」

「さあ、どうかしら」

「モノクロじゃなくてカラーがいいな。それか、ホームページに大きくどーんと載らないかな。そしたらあたし、保存して壁紙にしちゃうのに」

「載らないと思うけれど」

「えー、でもリクエスト出してみよう。写真の掲載を増やしてくださいとかって言ったら、載るかもしれないよね」


 ケイトがふーっと息をつく。

「そうね。言って損はないと思うわ」

「だよね!」

 うーん。個別に写真をわけてくれたらそれが一番なんだけど、それはとっくに断られているの。あくまで取材のために撮ってるんだって。まったく、お堅いんだから。


「あ、泳ぐ。泳ぐよ。きゃあぁ、かっこいー!」

 笛の合図で、セオの身体が弧を描いて水面に飛び込んだ。

 しぶきのあがりかたも人それぞれ。でも、セオの飛び込みかたはクールのひとこと。

 動きのしなやかなことったらない。

 それに、水中にもぐってなかなか顔を出さないの。どうしてあんなに息が続くんだろう。エイダなんかは、「前世が魚だったのよ」ってからかうけど、あたしは努力のたまものだと思うな。


 水面で影がゆらゆらと揺れて、やがてセオが息継ぎをした。腕の振りも力強い。

 ……あのたくましい腕に抱きしめられたら、どんな感じがするのかしらね。

 十一年生はおよびじゃないってわかってるけど、想像するのは自由でしょ。

 あっという間に端までいって、ターンをする動きもなめらかなもの。

 隣のレーンの人もなかなかやるようだけど、とてもセオにはかなわない。


 ぎゅっと拳をにぎって見守るなか、見事に百メートル泳ぎ切ったセオは、堂々の一位を勝ち取った。

「すごい、やった!」

 順位より記録が大事だってわかってるけど、やっぱりすごいよ。一位ってかっこいい。


「セオー! おめでとーっ」

 おしみない拍手をおくると、やだびっくり。

 セオったらこちらを向いて、にっこり手まで振ってくれた。


「わ。見た? ねえ、ケイト見た?」

 あたしのこと、覚えていてくれたんだ。

 ケイトも少し目を丸くして、セオとあたしを見比べている。

「あら、まあ。ほんとね」

「あーん、やっぱり今日は来てよかった。ありがとね、ケイト」


 抱きつくと、ケイトはやさしく背中をとんとんしてくれた。

「よかった。それじゃあ、セオの出番も終わったことだし、帰りましょう」

「え」

「あたしレポートたまってるのよ。トレイシーもでしょう?」

「そりゃまあそうだけど……」


 でも、もう少しくらい残ってたっていいんじゃない?

 しゃべるチャンスがあるとまでは思わないけど、同じ空間にいたいじゃないの。

「ほら、行きましょう。満足したでしょう」

「えー。うー……」


 ケイトにうながされて、しぶしぶ立ち上がる。

 ちらっとセオに視線をやったら、チームメイトとふざけて笑い転げてる。そりゃまあね、彼もこっちをうっとり眺めてるなんて、あるわけないよね。


「もう、わかったよ」

 ここにはケイトの車に乗せてきてもらってる。おいていかれたら困るもの。

 でもやっぱり思っちゃう。

 あーあ、閉会式まで見ていたかったな。






 その後ケイトには、レポートに必要な資料あつめまでお世話になって、結局彼女の言うことにはまちがいがないってあらためて思った。

 堅実すぎてつまらないと感じることもあるけど、そういう友だちって大事よね。バランスをとるって意味でも、大切にしなくちゃ。


 夕飯をすませて、うだうだと課題をこなして、寝る前に思い出したのはクロスワードのことだった。そういえばあたし、いいとこいったって聞いたっけ。

「あった。これこれ」

 新聞部のホームページにアクセスすると、コンテストの結果を公表していた。


「わお」

 本当だ。あたしってば、並み居る十二年生をおしのけて、ちゃっかり二位の座についている。……もっとも、一位は十年生の男の子だけど。


 登録名は、『ホビット』。よく見るのよね、この名前。パズルや数学系のコンテストでいつも一位なの。きっと頭がいいんだわ、むかついちゃう。

 とはいえ、これって褒められたことではない。

 こんなインドアなコンテストの常連だなんて、きっともやしっ子に違いないもの。

 実際に会ったことはないけど、頭でっかちの冴えない子なんだわ。実名で応募してないのがなによりの証拠よ。


「んー、でも、いいなあ。一位とりたかったなあ」

 今回を逃したら、もうチャンスはないんだろうな。

「そうだ」

 あたしは気の向くままに、リンクの貼ってあったホビットの連絡先をクリックした。


【トレイシー(腹八分目)】:『互いの健闘をたたえて。さすがね、おめでとう!』


 これでよし。

 するとすぐに電子音がして、インスタントメッセージが届いた。

「え、わ、ホビットじゃない」

 びっくり。速すぎ。


【ホビット99】:『やあ、トレイシー。そちらこそおめでとう。ところでお腹すいてるの?』


 え? あ、きゃあ!

 名前のところ、昨日エイダとやりとりしたときのままになってた。うわぁ。


【トレイシー(いいえ、断じて)】:『ちちちちがうわよ! 食べ過ぎないようにっていう、ただの戒め』

【ホビット99】:『ふうん? 戒めが必要なようには見えないけれど』

【トレイシー(んん?)】:『なによそれ。あなたあたしのこと知ってるの?』

【ホビット99】:『知ってるよ。トレイシーだろう』


 そりゃそうだけど。


【トレイシー(まさか)】:『あなた誰? あたしの知ってる人?』

【ホビット99】:『きみが僕を知ってるかどうかなんて、知るわけないだろう』

【トレイシー(ちょっとぉ)】:『感じ悪いわよ。なにそれ、気になるじゃないの。誰なのよ』

【ホビット99】:『べつに。こころあたりがないんだったら、知らないんじゃないの』

【トレイシー(考え中)】:『んー、同じ授業とってる?』

【ホビット99】:『まあね。ひとつ』


 あ。ぴんときた。


【トレイシー(ピンポン)】:『わかった。それって微積でしょう』

【ホビット99】:『なんだ、わかってるんじゃないか』

【トレイシー(ブブー)】:『それがね、あなたが誰かまではわからないのよ』

【ホビット99】:『なんだよそれ。まあいいや』

【トレイシー(いいえ)】:『よくない。気になる!』


 そもそも、微分積分をとってる十年生ってそんなにいない。落ち着いて考えてみたらわかるかも。


【トレイシー(ヒント希望)】:『ねえ、もしかして背が低い?』

【ホビット99】:『前はね。ここ一年でだいぶ伸びたかな』


 むう? 当てにならないわね。


【トレイシー(考察中)】:『メガネはかけてる?』

【ホビット99】:『いや。視力はいいんだ』

【トレイシー(じゃあ)】:『髪の色は?』

【ホビット99】:『黒』

【トレイシー(ひどい)】:『黒髪なんていっぱいいるわよ!』


【ホビット99】:『なあ、こんな質問に意味があるとは思えないな。くだらなくない?』

【トレイシー(なんですって)】:『素直に教えてくれないのが悪いんじゃない』

【ホビット99】:『そうだ、髪といえば、どうしたのさ』

【トレイシー(あら)】:『なにが?』

【ホビット99】『あのおかしな金髪だよ』

【トレイシー(!)】:『おかしな!?』


 言うにことかいて、おかしなって!


【トレイシー(なんなの)】:『失礼ね。似合ってるでしょっ!』

【ホビット99】:『頭が悪そうに見える。地毛の方がいいな』

【トレイシー(あっそ)】:『もう頭にきた。あんたなんか、これでもくらいなさいよ!』


 あたしは、とっさに『数独』の上級者向けサイトのURLを添付して、接続を切った。

 生意気な下級生なんて、ご自慢の頭をこねくりまわして睡眠不足にでもなればいいのよ!






 翌日はしとしとと降りしきる雨で、気分も朝から沈みがち。

 そんな日にはセオの横顔でもおがんで活を入れよう。……と思っていたら、なんと廊下の向こうから当人がやってきた。


 あらあら、今日もツイてるんじゃない? 朝からセオとすれ違えるなんて。

 昨日の今日だもの、きっと挨拶くらいしたって不自然じゃないはず。

 話題はどうしよう。天気のこと? ううん、水泳のことのほうが無難かな。


「ハイ。ブロンドさん」

「ハイ、セオ。昨日はすばらしかったわね」

 わぁお、冷たい雨も吹き飛ぶくらい、笑顔がホット。

「ああ。きみにいいところを見せようと思って張り切ったからね。けど、すぐにいなくなってしまっただろう、ひどいな」


 これってどういう意味!? あたし、耳が悪くなっちゃった? それとも頭?

「ご、ごめんなさい。昨日は一緒だった友だちの都合もあって、ゆっくりしていられなかったの。あたしも最後までいたかったんだけど……」

 うー……、飛び上がりたい気分! セオったら、あたしのこと気にかけててくれたんだ。


「でも、最後のレースは見られてよかった。とても素敵だったもの。うっとりしちゃった」

「そう? うれしいな。お世辞じゃないといいけど」

「もちろんよ! 最高だった」

 セオってほんとに最高。こんなに愛想のいい人だって知ってたら、もっと早くに声をかけたのに。いい人だから、人気だってあるんだわ。


「ところでトレイシー、明日の夜は暇? 水泳部主催のパーティーがあるんだけどどうかな、一緒に」

「え――」

 うっそ、うそでしょ。あたし今、さそわれてるの?

 全身に緊張がはしる。顔もきっとまっかになってる。うそみたい!

「せっかくだから、もっと親しくなれたらと思ったんだけど、……とっくに予定が入ってるかな」

 セオが眉を下げて、あぶったマシュマロみたいに溶けちゃいそうな甘い瞳で見つめていた。


「だっ、だいじょうぶ! 行くわ、もちろん、ありがとう」

「都合わるくはない?」

「ええ。明日でしょ、あいてる。うれしいわ」

 予定なんて、無理にでもあけちゃう。……いや、うん。ないけどなんにも。


「そうか、よかった。十時ごろからマーメイドハウスであるんだ。場所わかる?」

「ええ、わかる。もちろん」

 マーメイドハウスは、ちょっとお金持ちの人たちが住んでいる区画にある大きなおうち。たしか水泳部の十二年生の家だってきいたことがある。門のところにマーメイドの彫像が鎮座していて、マーメイドハウスって呼ばれてるのよね。


「あの、えっと、ともだちも一緒でもいい?」

 どきどきしながら訊いてみた。

 だってほら、チャンスだってわかっているけど、一人で押しかけるのは勇気がいるもの。


 セオはおどけた様子で肩をすくめた。

「きみのようにキュートな子ならね。女の子限定でたのむよ」

「やだもう」

 あたしが笑うと、セオは、「じゃあまた」と声をかけて歩いていった。

 立ち去り際に肩に置かれた手の感触が、頭から離れなかった。






「そんなわけで、明日のパーティーにつきあってほしいの」

 ふたたび昼に食堂で、あたしはエイダとケイトに両手をあわせてうったえていた。

「いいでしょ? おねがい!」


 昼食はアボカドサンド。それに、三人でフィッシュアンドチップスをつつきながら、ダイエットコーラを飲んでいる。

 ティーンエイジャーにふさわしい、健全なメニュー。

 金曜の夜にパーティーに出かけるのも、同じくらいすこぶる健全。夢のよう。


「パーティーだったら、別のに出ればいいでしょ。創作ダンスのおつかれさま会だって、きっとあるよ」

 エイダが気乗りしないだろうっていうのは想像通り。

 あたしは期待を込めて、ケイトを見つめた。


「あたしもエイダに賛成。無理に背伸びすることないと思うわ」

「そんなぁ」

 大人っぽい二人についてきてもらえれば、心強いんだけどなあ。

「どうしてもだめ? あたし、ひとりでも行くつもりだけど、でもやっぱり一緒にいてもらえたら助かるよ」


 エイダが気だるげに手を振った。

「どうせチャンスだと思って舞い上がってるんでしょ。誘われたのはトレイシーなんだし、勝手に行ってとっとと食われてきなよ」

「わかってると思うけど、トレイシー、安全面には気を配るのよ」

 ちょっとちょっと。

「なんの話をしてるのよ。あたしはただ、パーティーに行きたいって言ってるんでしょ」


「同じことでしょ。セオがその気で、あんたもその気。なら、悪いことなんてなにもないじゃない」

「エイダったら。煽るのはよくないと思うわ。トレイシー、うのみにしちゃうもの」

 そう言ってケイトは眉間を揉んだ。

「……心配になってきたわね。私、ついて行くことにする」

「ほんとー!?」

 やった!


「ケイトったら。またそうやってトレイシーを甘やかすんだから。放っておけばいいのよ。目のくらんでいるお子様は、痛い目みないとわからないんだから」

「……どうして二人とも、痛い目みるって決めつけてるの?」

 おかしいわよね?


「なぜなら」

 エイダが両手を打ち鳴らした。

「どうしたって、あんたがセオの好みだとは思えないから。おわかり?」

「それは……、んー」

「あの男がいままでつきあってきたのがどんなタイプか、知らないわけじゃないでしょ。露出を増やすことに執念を燃やしているような、薄ら笑いを浮かべた頭からっぽのブロンド女――、そんなのばかりじゃない」


「うぅぅ」

 言い返せない。たしかに彼って、いわゆるグラビアから抜け出てきたような、肉感的な美女がお好みみたい。よく日焼けをしていて、皮のパンツとかはいて、サーキットでパラソルを持っていそうな、そういうタイプが。

「そりゃあトレイシーだって今はブロンドだけど、あんたみたいなニセモノがパーティーに行って、本物のパーティーガールに混じって何をしようっていうの」


 あたしは喉をならした。

 あれあれ、ちょっとだけ、怖くなってきたかも。

「まってまって、でもあたし――」

 脳裏をセオの笑顔がよぎる。……そうよね、彼の笑顔が勇気をくれる。

「でもね、セオはあたしに来てほしくて誘ったんだよ」

 思い返しただけでどきどきしちゃう。あのとろける眼差し。最高だった。


「親しくなりたいって、たしかにそう言ったんだから。人って会話してみないとわからないでしょ。これってチャンスだと思うの。わかりあうチャンス。もしかしたら、これがきっかけで――」

「ガールフレンドになれるかも?」

「そう! そうだよ、セオだって、きっとあたしに何か通じるものがあったから声をかけたんだと思う。もちろんあたしだってそうだよ。セオにはなぜか視線が吸い寄せられるの。これって、縁があるってことなんじゃないのかなあ」


 それでもしうーんとうまくいけば、親しくなった果てにプロムにだって一緒に行けるかもしれないじゃないの。うわ、そんなことになったら、きっとしあわせすぎて心臓がもたないわ。

「だから明日はうんとおしゃれしていかなくちゃ。何を着ていけばいいかな。やっぱりセクシー系? 色は黒? アクセサリーはひかえめとゴツイのとどっちがいいと思う?」


 エイダが、はーっとため息をついた。

「だめね、おてあげ。あたしにわかるのはひとつだけよ。セオはきっと、脱がしやすい服が好き。それだけ」

「そうね、トレイシー。服に関してはあとで相談しましょう。それに明日は、パーティーよりも大事な用がひとつあるのよ」

「大事な用って?」

 エイダとあたしの注目をあびて、ケイトは重々しくこう告げた。

「創作ダンスの発表よ。……食べ終わったら、わかってるわね。練習しなくちゃ」






 なぜかはりきるケイトに押されて、放課後までダンスの練習にあけくれた。

 あたしたち、どうしてたったひとつの課題にこれほど力を尽くしているの?

 他のチームがここまで頑張っているとは思えない。みたところ、衣装や小道具にばかりかまけていそうだもの。

 先生の見る目が確かなんだったら、当然あたしたちがAをとるわね。ばかみたいにかつらまでかぶって、アピールもばっちり。

 今日は、最後までセリフを入れるか入れないかでもめた。結局話し合いでナシにしようってことになったけど、……うん、きっと間違ってないわ。ダンスの表現力で勝負をしなきゃ、意味ないわよね。


 そんなこんなで今日はくたくた。

 メールのチェックだけしたらすぐに寝ようと、パソコンのスイッチを入れたら、――あらら、メッセージだわ。しかもホビット。


【ホビット99】:『やあ、トレイシー。他にはない?』


 どうしよう。さっぱり意味がわからない。

 とりあえず、ぽちりと返信を書く。


【トレイシー()】:『ハイ、急になんなの? 他にってなにが?』

【ホビット99】:『昨日の『数独』だよ。いい暇つぶしにはなったけど、簡単すぎた』


 はああ? 簡単ですって!?

 ちょっとまってよ。あたし、初級ですらできないのよ! 厳選した数字を入れてるはずなのに、途中でどうしてもおかしくなっちゃうの。それを簡単だなんて。いやだこの人、フツーじゃない。


【トレイシー()】:『うっそ……。冗談よね、簡単なはずないじゃないの』

【ホビット99】:『いや、簡単だよ。難解なようだけど、どのみち解はひとつしかないんだ』

【トレイシー()】:『サイテー! ちょっとあなた、感じ悪いわよ。すんごく難しいってば!』

【ホビット99】:『どうして怒るのさ。きみが勧めてくれたんじゃないか』

【トレイシー()】:『いやがらせのつもりだったのよ!』


 あー、やだ。腕がぞわぞわしてきちゃった。


【ホビット99】:『あれが? きみって面白いね』

【トレイシー()】:『おもしろくなーい! むかつく!』

【ホビット99】:『まあ、それはそうと、他におすすめはないの』

【トレイシー()】:『しらないわよっ。……えっと、これとか?』


 あたしは難しくて早々に攻略サイトを見てしまった脱出ゲームのアドレスを添付した。


【トレイシー()】:『やれるものならやってみなさいってのよ』

【ホビット99】:『ありがとう。これ、面白い?』

【トレイシー()】:『数字は今回関係ないからね。今度こそ泣きをみるわよ』

【ホビット99】:『たのしみだ』

【トレイシー()】:『……へんたい?』

【ホビット99】:『うん?』


【トレイシー()】:『うわあ。ちょっとあなた、気をつけたほうがいいわよ』

【ホビット99】:『何にだい』

【トレイシー()】:『ゲームにのめりこみすぎないようにってこと。現実逃避もいいけど、目を背けすぎると現実に適応できなくなるわよ』

【ホビット99】:『急にどうしたのさ。やっぱりきみ、少し変わってるね』


【トレイシー()】:『いやいやいや、あたし本気で言ってるのよ。いい若いもんが、夜に同年代の女の子とやりとりしてて、ゲームの話しかしないってどうなのよ。問題あるでしょ!』

【ホビット99】:『きみが話題を提供してくれてるのに、僕を批判するの?』

【トレイシー()】:『あたしはいいのよ。げんに明日だってデートの予定があるんだから』

【ホビット99】:『ふーん。で、誰と?』


 訊かれて、文字をタイプするだけでも胸が高鳴る。


【トレイシー()】:『セオと』

【ホビット99】:『……水泳部の十二年生?』

【トレイシー()】:『ええそう。パーティーの予定があるの』

【ホビット99】:『正気かい』

【トレイシー()】:『どういうことよー!』


 どうしてみんな批判しかしないの!? こんな知らない人にまでばかにされるいわれなんてない。


【ホビット99】:『やめておいたほうがいい。きみは彼の好みから外れてると思うんだ』

【トレイシー()】:『ちょっとかんべんしてよ。あなたまでそんなこと言うの?』


 あたしとセオのこと、知りもしないくせに。よりにもよって、エイダと同じこと言うなんて。ひどすぎ。


【ホビット99】:『正直な感想をのべているんだ。きみ、金髪にするときに頭の中身まで脱色したのかい』

【トレイシー()】:『これはかつらよ!』

【ホビット99】:『かつら? そうまでして気を引きたかったってこと?』

【トレイシー()】:『何の話? 髪はたんに、ダンスの課題のためにかぶってるのよ』

【ホビット99】:『普段から衣装を着用してるようなもの? それにどんな意味があるんだ』

【トレイシー()】:『んーとだからー、創作ダンスの課題のテーマが『ブロンド』でね、何日かブロンド娘になりきろうって試みの最中なの。わかる?』


 もう。説明めんどくさいなあ。髪の毛なんて、どうだっていいじゃないのよ。


【ホビット99】:『課題はいつまで』

【トレイシー()】:『明日よ。練習して疲れてるんだから。本当はこんなくだらない会話に時間をついやしてる場合じゃないの。寝なくちゃ』

【ホビット99】:『そう。だったら寝なよ。うまくいきっこないデートの予定もあるんだろう』

【トレイシー()】:『……っ! しんっじらんない!』

【ホビット99】:『僕は教えてもらったやつに挑戦するから。じゃあまた。おやすみ』


 えっ。うそ。接続が切れた。

 ――あたしは怒りに赤くなった。


【トレイシー()】:『この、ばかーっ! 暴言の謝罪くらいしていきなさいよね!』


 なんなのこの人。言い逃げするなんて最低。

「もーっ! こうなったら、ぜったいデートを成功させて、エイダもケイトもホビットも、みんな見返してやるんだから。みてなさいよ」

 うんと着飾って、ついでにセオも見返してやろう。

 そう思うと、胸のもやもやがわずかに落ち着きを取り戻す。セオ効果だわ、ばんざい。


 セオは素敵。嫌味しか言わないホビットとは大違い。

 あたしは、ディスプレイに向かって舌をだした。






 練習のかいあって、結論からいうと、ダンスの発表は大成功だった。

 ブロンドのきらびやかな面と、それに振り回される愚かしさの両面がよく表現できていたと、先生も太鼓判を押してくれた。これでAプラスはまちがいなし。

 あたしたち三人は、手を打ち鳴らしてよろこび叫んだ。


「やったわね、これでかつらともおさらばだわ」

 ブロンドの長髪を取り去って、ケイトが頭を振った。

「ケイトは髪が長いからたいへんだったね」

 あたしも一緒にかつらを脱いで、髪をわしゃわしゃかきまぜた。

 ケイトと違ってあたしはショートヘアだから、かつらも苦にならなかったし、たまの長髪気分が味わえてたのしかったな。


「あたしはもうちょっとかぶっていようかな」

 エイダはクリップいっぱいの髪をととのえて、手鏡をのぞく。地毛よりもアレンジしやすいと、どうやらずいぶんお気に入りの様子だ。


「あたしはもううんざりだわ」

 ケイトが脱いだかつらを手櫛でととのえた。

「演劇部に返してくるわね」

「あたしも返してこようかな」

 エイダのかつらはお姉ちゃんの私物だけれど、あたしとケイトの分は借り物だ。


「そ? だったらまた後で、食堂で会いましょ」

 エイダが右手をひらひらと振る。

「オッケー、あとでね」

 あたしとケイトは連れだって、演劇部の備品管理をしている友人の元へ向かう。


「ロッカーにバッグを置いていくから、ケイト先に行っててよ」

 ちょうど通り道だ。あたしはケイトの肩をたたいた。

「待っていようか?」

「ううん、いい。すぐだから」

 荷物を放り込むだけだもの、すぐに済む。

 かつらを指先に乗せてくるくる回しながら、ケイトに背を向けてロッカーに近づいた。


「あ」

 ロッカーの右端に、抱きつきたいほどパーフェクトな背中があった。

「セオ」

 よろこびがあふれて、思わず声をかけていた。

 彼がふり向く。――そうだ、今夜のパーティーの話をしよう。


「……トレイシー?」

 けれどなぜか、こちらを向いたセオの表情がはっきりとくもった。

「ハイ、セオ」

 いぶかしげに寄せられた眉間のしわが、ぎゅっとけわしく深くなる。


「えっと、……どうかした?」

 なんだか、機嫌の悪そうな、怒ったような顔。悪いタイミングで声をかけちゃったのかも。どうしたんだろう。

 セオがまじまじとあたしを見つめる。検分するような眼差し。居心地が悪い。


「きみ、トレイシーだよね」

 セオの視線をたどると、あたしが振り回していたかつらにとまった。

「それ……?」

「ああ、これ? ダンスの課題で使ったの。ちょうどさっき終わったところだから、ブロンドともお別れってわけ」

「つまり、きみはブロンドじゃなくて、本当は赤毛だっていうのか」

「え、……ええ」

 そう、赤毛。あたしは赤毛だ。そんなの当然じゃないの。


「嘘をついたの?」

「は?」

 いまやはっきりと顔をしかめて、重々しくセオが言った。

「オレをだましたのか。なぜそんなひどいことを?」


 え。えっ? なにが?

「ちょっとまってよ。何を言っているのかわからない。だましたって何が? あたしが?」

 わかるのは、セオが不機嫌だっていうことだけ。どうなってるの?


「そうとも。何食わぬ顔をして、ブロンドのふりをしたんだろう。そうやって、ひとをからかって笑っていたのか。……不愉快だ」

「言いがかりよ! あたしべつに、からかってもいないし、笑ってもいないわ。ねえ、どうしてそんなこと言うの? どうしちゃったのよ」


「どうしただって?」

 セオがじろりとあたしを睨んだ。

「どうかしてるのはトレイシー、きみのほうだろう。魅力的なブロンド娘のふりをして、実はみすぼらしい赤毛をしていただなんて、お笑いぐさだ。そういうあざむきかたは感心しないな。自分をいつわって、ひとをたぶらかして満足なのか。……ニセモノだなんて、最低だ」


「……どういうことよ、わからないわ」

「オレにはわかる。きみが嘘つきだってことがね」

 頭がかっと熱くなった。

「ちょっと! たかが髪の色じゃないの。そんなのどうだっていいじゃない!」


「たかがだって? 冗談じゃない。少なくともきみは、最初からオレをだます気だった」

「ちがうわ」

「そうでなければ、言うはずだ。それなのにきみは、話題にもしなかったじゃないか。それがかつらだということを」

「言うまでもないことだと思ったのよ」


 セオがゆっくりと首を左右に振った。

「オレはそうは思わない」

「そんな……」

 声がふるえた。冷たい目。そんな、うそでしょ。


「ひどいわ、セオ。……まるであなた、あたしがブロンドだったから目にとめてくれたって言ってるみたい」

「さあ。少なくとも、そのままのきみだったら声なんてかけなかっただろうね」

 ひややかな声だった。


「なによそれ。ばっかみたい!」

 あたしは笑った。それはもう、けらけらと、声をたてて指さした。

「あなたこそ、ひとを見た目で判断するなんて低俗なんじゃないの」


「嘘をつくよりましだろう」

「最低!」

「きみもね」

 あたしたちはにらみあった。――ああ、なんてことなの。ようやくお互いを真正面から見据えた気分になるなんて。あたし、どうかしちゃったみたい。

 ゆかいだわ。なんてばかばかしいのかしら。


「ともかく」

 音を立てて、セオがロッカーの扉を閉めた。

「二度と話しかけないでくれ」

 荒々しく人波をかきわけて、セオがこの場を立ち去った。


 遠ざかる背中を茫然と見送るあたしの肩を、だれかがつかんだ。

「トレイシー!」

「……ケイト」

 騒動をききつけて戻ってきたケイトが、眉をひそめて問いかける。


「いったいどうしたっていうのよ。派手にケンカなんかして」

「ほんと、どうしたんだろうね」

 腹がたつやら、なさけないやら。まともに説明なんてできやしない。


 あたしは頭をかきむしった。

「うー……、嫌われたみたい」

 頭も心もぐちゃぐちゃだった。






 かつらを返して、食堂でエイダと合流するなり、あたしは二人に泣きついた。

「しんっじらんない! 急に怒り出したんだよ、びっくりよもう」

「まあ、しょうがないんじゃないの。うまくいきっこないって最初からわかってたでしょ」

 エイダがダイエットコーラをすすって言った。


「わかってない。あたしはそんなの、わかってなかったもん」

 もう泣きそう。

「なにもかも、だいなしだよ」

 パーティーも、今後の夢も。ゆうべ厳選した服だって、着そびれちゃった。


「まあねー、セオもあんたに夢をみてたってことでしょうよ」

「夢ってなにが。ブロンドが?」

 そうよ、そもそもそこがおかしいんだってば。

「嘘ついてたっていうけど、どういうことよ。だってまさか、あたしがブロンドじゃないってセオが知らないなんて思わなかった」


 うーっ、腹立つ!

「だってもう、一年半も同じ並びのロッカー使ってるんだよ! どうして知らないのよ、おかしいじゃないの!」

 名前を知らなかったのはわかるよ。けど、顔ぐらい視界に入るでしょ、どうしたって。

 それなのに、あたしのことをまるでぽっと湧いて出た新入生みたいに扱って。


「そりゃあ、やっぱりねえ」

 エイダが薄ら笑いをうかべて肩をすくめた。

「そんだけあんたが眼中になかったってことでしょ」

 いやあぁぁぁ! ききたくないー!

「ええまあ、……そうよね、残念だけど」

「ケイトまで、ひっどい!」


「認めなさいよ、トレイシー。あんたセオの好みじゃないんだって」

「もうそれ何度もきいたわよ……っ」

 ひどい。ひどいー!

 あたしはテーブルに突っ伏した。

「セオのばかー! エイダとケイトのばか。あたしのばか……!」

 うう、ほんとに涙がにじんできた。あたしってそんなに地味? 視界に入らないほど色気ない?


「――なにを大声で、自分の不出来を公言してるんだ。トレイシー?」

 聞き覚えのない声が、真後ろでした。

 なによ、あたし今、落ち込んでいるの。わかるでしょう。

 声の主を確認しようと頭を上げるよりも先に、エイダが口をひらいた。


「あら、レニー。食堂で会うなんてめずらしいのね」

 レニー。知らない名前だ。

 ふり向くと、黒いくせっ毛の、細身の少年が立っていた。ええと……、誰だっけ。見たことのある顔だわ。


「ああ。トレイシーがふられたときいて、顔を見に来た」

「はあ?」

 知らない人にまでこんな暴言吐かれるなんて、どういうことよ。


「言っただろう、うまくいくはずがないって。よかったじゃないか、時間を無駄にしないですんだんだから」

 淡々と告げる彼を見上げて、あたしはぽかんと口をあけた。

 ふるふると、指をさす。

「……うそ、もしかして」


 見たところ、下級生。それに、そうだ、彼は黒髪だって言っていたっけ。

 迷いのない瞳があたしを見つめる。

「――ホビット」

 つぶやくと、彼の口元がうっすらと笑みをうかべた。


 いやぁぁ、やっぱり実物も生意気そう!

 あたしはレニーとは正反対に、口元をへの字に曲げた。

 言われてみれば、そうよ一緒ね、微積の授業で。


「なによ、あんたたち仲良かったっけ?」

「よくない!」

「まあね、最近よく話すんだ」

「さらっと嘘をつかないで!」

「嘘じゃないだろう」

「うっ……」

 そうだっけ? どうだっけ。

「たったの二度じゃないのよ。そうよ、今ここでようやく顔見知りになったのよ」


「うん。まあ、そんなことはどうでもいいんだ、顔見知りのトレイシー」

 まあ嫌味ったらしいこと。

「それより、昨日の脱出ゲームなんだけど、納得のいかない部分が一カ所あるんだ。きみ、クリアしたんだろう?」

 ええー。

「……かんべんしてよ。あたし今、ゲームのことなんて考えられないの。わかってよね」


「セオのことなら、かつらをはずしたらふられることぐらい予想済みだったろ」

「なんでよ。そんなわけないじゃない」

 あきれたとでもいうように、レニーは眉を上げてみせた。


「ヤツがどれだけブロンドが好きか、知らなかったとでもいうつもりか?」

「へ?」

「見ていればわかるだろう。付き合う女、だれもかれもが天然のブロンドじゃないか」

「うっそぉ」

「嘘じゃない」


「そうね、嘘じゃないわ」

 レニーにあわせて、エイダもこくこくと首を振る。

「あらほんと、たしかにそうだわ」

 ケイトも腑に落ちた様子でまばたきをした。

「うそ、うそ、うっそぉぉ」

 なによそれ。それじゃああたし、本当にかつらのせいで虚しい夢を見たっていうわけ?


 囲む三人の顔を見比べて、思わずぼやいた。

「――ばっかみたいね」

「まったくだな」

「そうね」

 エイダとレニーは容赦がない。この二人、本当は姉弟なんじゃないの? 発言がいちいちそっくりだわ。笑えない。


「まあトレイシー。あまり気を落とさないでね」

「ああ、ケイト。ありがとう」

 やさしさが身にしみる。


「で、さっきのゲームの話だけど」

 場の空気を読まずに話し出したレニーを、あたしはさっとさえぎった。

「まってまって、あたし訊かれても答えられないよ。家に帰ったら攻略サイトのアドレス送るから、それ見てやって」

「攻略サイト?」

 勢い込んでうなずいた。


「そうよ。あたしだって全然わからなくて、そこ見てやったんだから」

「まさか」

 あれれ、レニーの顔色が悪い。

「トレイシー、きみは遊ぶときに攻略サイトなんかに目を通すのか」

 こころなしか、声まで低い。

「え、……ええもちろん」

 だって、わからないんだもの。


「そんなんで、クリアした気になっているのか?」

「――レニー、怒ってるの? なんで? そりゃあ、なるべくさくっとエンディング見たいから」

 見つめる先で、レニーの眼光がだんだんと鋭くなっていくのがわかった。

「提示された問題に対して、考えて、工夫して、頭をひねったうえで答えを出すのが醍醐味だろう。ずるをして答えをのぞいて、それでなにを遊んだ気分になっているんだ」

「どんな遊びかたをしたって、自由じゃないの」


「そんなの、ゲームに対する冒涜だ。制作者に対しても不誠実だとは思わないのか」

 えええええ!

 ……ヒートアップしてくるレニーの主張に、あたしはしどろもどろになった。

「いや、だって、ねえ。……楽しむためのものだし、むずかしく考えなくても」

「そんなんで、真実楽しめているといえるのかと訊いているんだ!」

「怒らないでよ! 知らないってば、そんなの」


 レニーは苛立たしげにあたしを見て、舌打ちをした。

「話にならないな。トレイシー、きみはたぶん、パズルの楽しさを知らないんだ。それってずいぶんと損をしているよ」

「……はあ?」


「そうだな。段階をふんでいくという面で、実によく出来ているゲームを知っているんだ。どうせきみはデートの予定がなくなって暇なんだろう、今夜はそれに挑戦しよう」

「え、えっ?」

「週末で僕も時間にゆとりがあるし、ちょうどよかった。きみ、資質はあるんだからもったいないよ」


 資質? 資質って言った? なんの?

 とうとうと語るレニーにあっけにとられていると、エイダが瞳をかがやかせて割り込んだ。

「二人で盛り上がらないであたしも混ぜてよ。ゲームやるんでしょ? いいわね、だったら今夜はトレイシーの家にみんなで集まりましょう」

「素敵。あたしも行くわ。いいでしょう、トレイシー」

 エイダもケイトも乗り気のようだ。どうしちゃったの、今日ってみんな、とってもヘン。


「い、いいけど……」

「レニーはあたしが乗せていくわね」

「だったら、あたしはケーキを買っていくわ。パーティーしましょう」

「うん……」


 狐につままれたような気がしているあたしの頭を、レニーがゲンコツでこつんとたたいた。

「二日つづけてきみのお勧めは紹介してもらったからね、今日は僕の番だ。楽しみにしていて。……またあとで」

「うん」

 いいのかしら。悪くはないと思うけど。


 手を振るレニーに挨拶を返して、もやもやとしているうちに、あたしは気づいた。

「あらら?」

 突然の失恋に痛んでいたはずの胸が、落ち着きを取り戻していた。


 エイダもケイトも、行きつけのカフェのメニューの話をはじめて、いつも通りの雰囲気をかもしだしている。

 もしかしたら、今夜のゲームの集いだって、彼女たちなりの気遣いなのかもしれない。パーティーに行けなくなったあたしのための、失恋パーティーってわけ。

 うん、でもまあ、レニーに関しては、そんな気遣いの枠の外って感じもするけれど。

 でも、彼の存在がなぐさめになったっていう面があるのは確かだ。


「まあ、いっかあ」

 あたしは苦笑をもらして頭をきりかえた。

 ブロンドのあたしが引き起こしたあやまちは過去のこと。

 今は元通りの赤毛だもの。

 赤毛のあたしは、あたしらしく、友人と家でのんびり過ごそうと思う。

 もちろん、そうよね。新しくできた年下の友人も交えて過ごすの。


 あたしは笑顔を取り戻した。

 ジュースとおやつを用意しよう。音楽も必要ね。

 ほら、楽しみになってきた。

 金曜の夜の過ごしかたとしては、これって最高!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 軽快なリズムで話が進んでいき、面白かったです。 主人公は少し猪突猛進な所があるけど憎めない性格にくすっと笑ってしまいました。 [一言] 主人公が勧めた脱出ゲームと、レニーが主人公に勧めてた…
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