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 締め切られた窓から、微かな日の光が差し込んだ。わたしはバッグからケータイを取り出すと時間を確かめた。やはり、もうそろそろで駅につく時間だ。

 わたしはまた体を起こすと、チケットを確かめた。大丈夫、ちゃんとある。

 不安でドクドク鳴る心臓を無駄だと思いながら、おさまれ、と命令して、駅に着くまで窓の外を眺めることにした。昨日までいたわたしの村とはまるで違う景色。外国に来たみたいだ。来る前まではあんなに憧れていたはずなのに、今では帰りたいという思いが強い。

 こんなことなら、家で畑仕事でもしてるんだった。

 そして、わたしは無意味なのに美祢さんの部屋のほうを見た。

 ついて行ってあげようか、とか、一緒に満喫しない?とか言って欲しい。そうしたら、不安はなくなるだろう。しかし、そのとき、わたしの頭の中にふと過ぎるものがあった。

 美祢さんはわたしを誘拐するつもりなのかもしれない。それに、全く知らない人とこんなに親しくするべきではなかった?油断させておいて、わたしの親に身代金なんかを要求するかもしれないのだ。

 そんな馬鹿げたことを考えている自分にはっとして、それを消すように頭を振った。

 変な被害妄想はやめておこう。いくら不安だからって、それは親切にしてくれた美祢さんに失礼だ。

『寝台列車』をバッグの中にしまうと、流れ行く景色を見つめた。まだ眠たかったが、うっかり寝てしまって乗り過ごしてしまうなんてことになりかねない。そして、どんなアトラクションに乗ろうかとか、誰にどんなお土産を買ってきてあげようかとかをとにかく考えた。とはいっても、ガイドブックなんて持ってないから、どんなものがあるのかなんてわかりっこない。雑誌の特集ページの切れ端を思い浮かべながら、自分に都合のいいように想像してるだけだ。

 しかし睡魔に負けてしまって、目が覚めたのは美祢さんがわたしの個室の扉をノックしてくれたからだった。

「凛ちゃん、凛ちゃん」

 狭い世界の中でドアを開けると、日の光に照らされたきれいな顔があった。自分がどこで何をしているのか思い出すまで、少し時間がかかった。全てを思い出すと、わたしは完全に目を開けた。その動作に、美祢さんは少しびっくりしたようだった。

 鈍い音がして、慌てていたわたしの足の指(不幸にも小指)が開けられた、ドアの角に激突した。

「いったあーい!」

 あまりの痛さに絶叫する。

「あ、ああっ、大丈夫?」

 美祢さんはしゃがみこんで、わたしの足に手を伸ばす。

「ごめんね、私がドアを開けたから……」

「い、いえ。わたしがドジすぎるのがいけないんです」 

わたしは痛みに耐えながら、笑って片手を顔の前で振った。

「それより、多分もうそろそろ着くと思うよ。次の駅だよね?」

 わたしはケータイを取り出して、時間を見た。あと数分で予定の時刻だ。起こしてもらったのに、謝らせたのが最低すぎて、美祢さんにすごく申し訳なかった。穴があったら入りたい。なんなら、自分で掘って入ってもいいくらいだ。

「あと少しでお別れだね」

 突然名残惜しそうに、美祢さんが呟いた。

「結構楽しかったよ。凛ちゃんのおかげで頑張れそう。詩人になれそうなきがしてきたよ。ただの思い込みかもしれないけどね」

「そんな!わたしは何も力になれてないですし、美祢さんは絶対なれますよ!」

 わたしが必死で否定すると、美祢さんは楽しそうな笑い声を上げた。周りの人たちはすでに目覚めているから、多少うるさくても許してくれるだろう。

「凛ちゃんって本当優しいし、おもしろいし。最高だね。別れるのがもったいないくらいだ」

 美祢さんがそういい終わったところで、列車は金属音と揺れを作って止まった。荷物を持って立ち上がる人が続々と出てくる。

「私たちも降りようか」

「はい」

 その人たちと同じようにして、わたしたちは駅に立った。

「じゃあ、私こっちだから」

 美祢さんはわたしが進む予定の方向と反対方向を向いていた。満面の笑みを浮かべて手を振る。そして、わたしの返事も待たずに歩き出してしまった。

 わたしは、美祢さんが振り返ってくれないか、と懸命に祈った。「凛ちゃんがひとりでいるっていうのがすごく心配だから、一緒にいたいな」美祢さんはそう言ってくれる。しかし、そんな願いをもちろん神様は聞くわけもなく。あっというまに、美祢さんの姿は見えなくなってしまった。

 寂しいながらも、わたしはバス乗り場へと急いだ。三回も確かめたから、あっているはずだ。

 歩きながらわたしは、さっきまでの不安を無理矢理吹き飛ばして、プラス思考に切り替えた。

 せっかくここまで来たんだから、楽しまないと意味がないじゃない。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 なぜだか、わたしがカツ丼を食べ終わるタイミングとイーサン先生が箸を置いた瞬間が同じだった。

「綾子」

「先生」

 そして、ほぼ同時にわたしたちは互いの名を呼んだ。

 そのことに、佳奈たちもびっくりしたようだ。

「何か二人とも、今日は息ピッタリだね。いつもは合ってないってわけじゃないけど」

 真由美ちゃんが目を丸くして言った。わたしだって驚いてるけど、今はそんなことにいちいち反応してられない。

「話があるんですが」

「話があるんだけど」

 また、するつもりもないのにハモった。皆は珍しそうにわたしと先生を交互に眺めているが、わたしはうんざりしていた。これから、重大な話をするってのに、これじゃあ緊張感がないじゃない。先生も同じ気持ちなのか、引きつった笑い顔を浮かべている。でも、先生はわたしに何の用なんだろう。

「先生、とにかく先生の部屋に行かない?」

「そうですね」

 ざわつく食堂をあとにして、わたしと先生は園長室へと入り、わたしはソファに、先生は肘掛け椅子に腰かけ、向かい合う形になった。

「綾子も何か話したいことがあるようだから、先に言ってごらん」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 わたしは、座り心地の悪いソファに座りなおして、単刀直入に言った。

「絵梨にタバコ吸うのをやめさせてほしいんです」

 先生はしっかりと耳を立てていて、話をちゃんと聞いているのがわかる。

「このまま吸い続けさせると、絵梨は肺ガンにでもなりかねません。絵梨は、自分が『棄てられた』理由を知ってるんでしょ?」

 わたしの「棄てられた」という言い方に、先生は一瞬眉をひそめた。

「ええ、そうです。もちろん、絵梨に煙草をやめるようには言いましたが、吸っていないと落ち着かないようなので。煙草を吸うことで、絵梨の気が休まるのなら――」

「ふざけないでよ!」

 わたしは、机をバン!と片手で思いっ切り叩いて立ち上がった。

「先生のくせに、そんなこと言っていいと思ってるの?先生は絵梨を平手打ちまでしてでも、タバコをやめさせないといけないの!それが、大人の義務なの!」

 わたしが怒鳴っているのにも関わらず、先生は動揺すらしていなかった。いつものように落ち着いた表情だ。それがイライラを倍増させる。

「先生!」

「綾子は、本当に気配りがいい子ですね」

「話し逸らさないでください!」

「残念ながら、絵梨は私の言うことなんて聞きやしないでしょう。ですから、綾子やそら、真由美で説得してください。三人が言ったほうが、絵梨は聞き入れてくれるでしょう。少なくとも、私はそう思っています」

 その投げやりな言い方に、わたしはムッとなった。

「先生のくせに、諦めるんですね」

「申し訳ないです。ただ、絵梨の気持ちもわかってあげてください。なぜ心を開かないのかも」

 開かない、という言葉にわたしは少し引っかかった。普通なら「開けずにいる」というのが妥当なような気もするけど。

 わたしが部屋を出ようとすると、先生が呼び止めた。

「今日の綾子は様子がおかしいような気がするのです。何か心配なことでもあるのですか。それなら、遠慮せずに私に相談して欲しいのですが」

 自分が思っているより、わたしは思っていることが顔や態度に出やすいのかもしれない。

 相談したいのは山々だけど、何も今する必要はない。だって、言い争いしたばっかりなんだし。

「何でもない」

 素っ気なく答えて、わたしは部屋を出た。

 食堂に入ると、そらちゃんと目が合った。わたしは他の皆にばれないように小さく手招きした。そらちゃんは、不自然な動きにならないように、いつもの足取りでわたしのもとに来てくれた。

「どした?イーサン先生と何話したの?」

「絵梨のことなんだけど」

「綾ちゃん」

 わたしの名前を呼んで、真由美ちゃんが小走りで寄ってくる。

「今、綾と大事な話してるんだけど」

 急な出現者をそらちゃんが少し睨む。

「いやあ、何か綾ちゃんあたしも必要としてるような気がしたから……」

 わたしは心の中で、真由美ちゃん大好き!と叫んだ。何で真由美ちゃんはこんなにすごいんだろう。確かに、そらちゃんを呼ぶときちらっと真由美ちゃんを見たけど、幸介兄ちゃんと話してたから、後から話すつもりだったのだ。

「そうなの?綾」

「うん」

「それで?」

 そらちゃんが急かすような口調で訊く。

「イーサン先生に絵梨がタバコをやめるように説得してってお願いしたんだけど、真由美ちゃんとそらちゃんとわたしの三人でしなさいって言われたの。だから、協力してください!」

 わたしは両手を顔の前で合わせた。

「それを話に行ってたんだね。でも、先生からの話は何だったの?」

「え?」

「あ、そういえば、先生も『綾子』って言ってたよね」

「あー!」

 大声を上げてしまって、食堂からみんなが慌てて飛び出してきた。絵梨も玄関を開けたところで固まっている。

「何やってんの?」

「頭がいかれたんじゃねーの」

 そう言うあきらをわたしは鋭く睨んだ。すると、あきらはひるんですぐに引っ込んだ。

「忘れてた……」

 わたしは、そらちゃんと真由美ちゃんにしか聞こえないような小声で呟いた。二人は苦笑いして顔を見合わせた。

「絵梨の一件は置いといて、一先ず、先生に訊いてきたら?」

 真由美ちゃんの提案にわたしは黙って頷いた。さっきの今で気まずいけど、気になって仕方ない。

 できるだけゆっくり歩いて先生の部屋の前まで来ると、今までのことはできるだけなかったことにして話そう、と心に決めた。

「先生」

 部屋に入ると、さっきと同じ格好で先生が座っていた。

「綾子……。さっきの声は綾子ですよね。どうかしたんですか?」

 どうやらここまで聞こえたらしい。そりゃあ、同じ屋根の小さな家なんだもんなあ。聞こえないほうがおかしい。

「うん、まあ」

 曖昧に答えると、また消えそうになっている目的を思い出してわたしは真顔になった。先生に勧められてないけど、ソファに座った。

「あの、先生」

「はい?」

「わたしに用があるはずですよね?」

「ああ、はい。言おうと思っていたのに、綾子が出て行ってしまうから」

 おどけたように先生が言う。いつもなら笑うところだけど、やはりさっきの今だから引きつった笑い声しか出せなかった。

「それで、何ですか?」

 わたしは先生の言葉を待って、唾を飲み込んだ。しかし、なかなか言ってくれない。

「先生?」

 今度は、間を空けずに言った。

「綾子、自分の生みの親に会いたくないですか?」

 いきなりのことに理解するのに時間がかかった。

 自分の、生みの親に会う?わたしが?

「どういうこと?」

「先日、あなたの母親から連絡がありました」

「会わないかって?」

「ええ。返事はいつでもいいです。決めたら言ってください」


 部屋から出てきたとき、わたしはほとんど放心状態だった。なんとかそらちゃんと真由美ちゃんのところまで歩いたけど、そこで崩れ落ちてしまった。反射神経のいいそらちゃんに支えられて、頭を床にぶつけずには済んだけど。

「綾、大丈夫か?」

「綾ちゃん?」

 そんな二人の呼びかけも、耳に入らず、わたしはただわたしの母親のことを考えていた。

 

わたしが、会う?自分の母親に?

今朝の幻が頭の中にくっきりと浮かんできた。

――お前なんて要らない。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

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