八‐‐‐‐ 覚醒
川瀬は重々しい足取りで3階から階段を下りた。
「はあぁ…」
溜め息しか出てこない。
3階の美術室にも視聴覚室にも誰もいない。会議室と小会議室には、生徒と教員合わせて9人ほどが死んでいた。しかし、このどこにも弥生はいなかった。
川瀬は見取り図を取り出した。
第二校舎に化け物は一体もいないようだが、第一校舎のほうはおそらく化け物のたまり場だろう。
あと第二校舎一階と、第二体育館を調べて見つからなければ第一校舎へ行くしかない。
理科室ではまだ卓郎が作業しているのだろう。小さな明かりが見える。
川瀬は一階に下り、階段に腰を下ろした。
一階にあるのは、図書室、相談室、倉庫、1年3,4組の教室、トイレ、調理室、第二体育館への通路…。
まずは図書室から調べるか… 調理室には武器になる物がありそうだな… 他は…
蝋燭の揺らめく炎を見つめながらこれからの行動を考える。
弥生を見つけ出したところで、この学校から脱出できなければ意味がない…。そういえば卓郎が言っていた学校から出れない理由というのは…? 自分の目で見ればわかると言っていたが…
<カチッ>
すぐ近くの扉― 川瀬たちが入ってきた扉の鍵が開く音がした。
やつらか…!?
川瀬は立ち上がってポケットから硫酸の小瓶を取り出した。
来るなら来てみろ。
すぐに扉が開き、一人の人物が入ってきた。
男子の制服… 短めの黒髪… 人間か? 化け物か?
右手に血のついた包丁を持ち、白い制服に無数に飛び散った血。その見た目からは化け物の仲間だと疑いたくなるが…
その男は、扉を閉め、再び鍵をかけた。
やつらがこんなご丁寧なことをするとは思えない…
「ふぅ…」
男が溜め息をつき、こちらへ懐中電灯を向けた。
「うわあぁ!!」
光が川瀬を照らした途端、男は叫び声を上げ、包丁を振りかざした。
「ち、ちょっと待て! 俺は人間だ!」
川瀬が叫ぶと、男の動きが止まった。
「人間?」
光がしばらくの間川瀬の顔を照らす。
「悪かった…」
納得したのか、男は包丁と懐中電灯を下げた。川瀬も硫酸の小瓶をポケットにしまった。
「誰だ? おじさん。校内では見たことないな」
「俺は川瀬春介という。弥生を見なかったか? 君も2年3組だろう?」
男はしばらく黙っていた。頭の整理をしているのだろう。
「弥生… 川瀬の父親!? いえ、お父様!?」
なぜ言い直したのか気になるところだが… どうやらかなり動揺いているようだ。
「は、初めまして! 森崎祐史といいます!」
姿勢を正し、川瀬に固くお辞儀する祐史。
なぜ緊張しているのだろうか…
「僕も川瀬さんを探してるんですよ」
「え…」
そうか… この子が卓郎が言っていた弥生を探している友人…
「どうして、弥生を探してるんだ?」
「えと… それは… 何ていうか…」
川瀬の問いに、祐史はどぎまぎし、川瀬から目を逸らした。
ああ、そういうことか… この子は弥生を…
「まあいい、無事で何よりだ」
祐史は照れくさそうに頭を掻いている。
「あの、お父様は―」
「その呼び方はやめろ」
理科室のドアが開いた。
卓郎は作業を中断し、ドアのほうを見た。
「よお、タク」
川瀬と祐史が理科室に入ってきた。
「……大丈夫か? 祐史」
卓郎がまじまじと祐史の姿を見て言った。
「あはは… 大丈夫、全部返り血だから。何回か殺されかけたけど」
それを聞いて、卓郎はまた作業にもどった。
「川瀬は見つからないか」
『ああ』
川瀬と祐史が同時に答えた。
「それとタク。体育館で柴崎を見つけたんだけど、途中ではぐれちゃって…」
「柴崎…? まだ生き残りがいたのか…」
「けど、あの状況ではもう…」
祐史の話を聞きながら、黙々とキッチンタイマーをいじる卓郎。
テーブルの上には銀色の小さな筒が3つ置いてある。
「祐史、おっさん」
卓郎は二人に、導火線がのびているその筒を一つずつ投げて渡した。
「ダイナマイトだ。試したことないから安全に保証はできないけど」
「・・・・・」
「・・・・・」
二人は沈黙した。
「それと… 気をつけてな… この学校にはおそらく、ほかに何か…」
そこまで言い、卓郎は口を噤んだ。
「とにかく、常に用心してくれよ」
川瀬は、祐史と卓郎がしばらく話をしている間、何も言わずにそれを見ていた。二人が話を終えた後、まだ作業が残っているという卓郎を残し、川瀬と祐史は再び捜索を続けることにした。
「おじさんは川瀬を探すんですよね?」
祐史がさっきとは違う、普通口調で話しかけた。
「これからこの校舎の一階を探してみようと思う」
「この校舎にはいませんでしたよ」
「ああ、だが一応な、もしかしたらこちらへ逃げ込んでるかもしれない」
いないとわかっていても探してみたい。限りなく低い確率でも信じてみたいのだ。
「わかりました。俺はもう一度体育館のほうへ行きます」
「怖くないのか?」
川瀬は一番疑問に思っていることを聞いた。
「もう… 腹をくくりました」
その言葉を聞き、川瀬はその場に立ち止まった。祐史はそれに気づかず、一人で歩いていく。
腹をくくったか…。普通なら怖くて身動きがとれないだろう。実際俺もそうだ… 少し力を抜けばその場に崩れてしまいそうな…。 本当はもう… 動きたくなんかない…
本当にこいつら、高校生なのか?
川瀬には祐史の背中が急に頼もしく見えた。
「・・・・・」
ここは、第二体育館横の部室棟。その中の野球部の部室で、幸司は呆然としていた。
音楽室を飛び出しここへ来てから、ずっと床を見つめ、何かを考えている。
その手には、途中で拾った金属製の杭が握られている。
外からは物音一つ、虫の声すらも聞こえない。
巧… どうして… 死んじまったんだ…?
同じ大学行こうって… 言ってたじゃねーか…!
将来、一緒にでかいことしようって…!!
なのにどうして死んじまうんだよ!!!
「ち… くしょう…」
コンクリートの床に次々と涙がぶつかり、弾ける。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああ!!!!!!」
<バガン!!!>
<バガン!!!>
<ドゴン!!!>
幸司の八つ当たりでロッカーのドアが無残に折れ曲がった。
「どうしたらいい…? 巧…」
どうすればこの悪夢から逃れられる?
どうすれば…?
どうすれば…?
どうすれば…?
どうすれば…?
幸司は頭を抱え、しばらくぶつぶつと独り言を言っていたが、数分後、何かに気づいたように突然顔を上げた。
そうか… わかったぜ、巧…
幸司は鉄杭をベルトに挿し、近くの木製バットを手に取った。