四十‐‐ 対話
祐史が倉庫の扉を開くと、案の定、その人はいた。
倉庫内はなぜか明るいように見える。考えれば今までだってそうだ。月も無く、光は差し込まないはずなのに、本当なら完全に視界は真っ黒なはずなのに、少しの明るさは感じられていた。この世界はやはり特殊なのだろう。しかし、ここはそれよりも数段明るい。
「あら、いらっしゃい」
微笑む女―― 竹下佳世は、前に会ったときよりも穏やかな顔をしていた。何かをやり遂げてすっきりしたというような。憎しみと悲しみに染まっていた瞳も、優しい色に変わっていた。
祐史はゆっくりと倉庫の中に踏み入った。
竹下は、天井から垂れ下がった、輪になったロープの後ろ。足元に喰屍鬼のものと同じような土塊が人の形をつくっていて、ここにいた怪物のものだろうとすぐにわかった。
二人はゆっくり揺れるロープを挟んで向かい合った。
「何の用かしら?」
竹下の変わりように少し驚いて、間が生じていたことに気付かなかった。
「少し話をしたくて来ました。あの… 校長… 死にました」
「ええ、知っているわ。でも、まさかあの男が人のため―― かどうかはわからないけど、そういうことに命を張るなんて。ちょっと見直したわ」
「校長のおかげで皆助かりました」
そうか、校長が車から降りなかったのは、この人が…。
「あなたは何か知っていそうですね…。契約について」
「それが目的?」
「ええ」
祐史はできるだけ堂々と振舞った。この女を完全に信用したわけではない。祐史が真っ直ぐにここへ来たのは、ここが彼女の死んだ場所だからだ。そう、彼女はすでに死んでいるのだ。すべてを信用できるはずがない。
ロープが左右に3往復した頃、竹下はようやく答えた。
「悪魔との契約…。契約した者は邪悪な力を手に入れる。知ってるわよ」
やはりそうか。と、心が弾んだが、次の言葉は予想だにしていなかった。
「私も契約者だから…」
「……は…?」
何て言った? 私も契約者…?
「て… えぇ?」
「契約といっても、私はあまり力を得なかった。膨大な力を得ようとすれば、生贄が必要になるから。私が悪魔と交わした契約は、鮮明な、最低限の力のみ。難しい話になるわよ?」
「話してください」
祐史は迷わなかった。とにかく、今、弥生の身に起こっていることを何でもいいから知りたかった。
「人を激しく怨んで死んだ時、悪魔は現れ、そして契約を持ちかけてくるの。私は校長を怨んでいた。できることなら復讐したかった。だから私は契約したの。そして復讐できる最低限の力を私は望んだ」
「その契約の代償は…?」
「代償は私自身。悪魔と契約を交わした霊は成仏できないの。事が済んだらやつらの世界でやつらに食われる。それが最低限の代償ね。けっきょくのところ、悪魔との契約は契約者にとっては復讐のためのものね。怨んで死んだ人が、復讐するためのもの」
黙って聞く祐史だが、話の次元がよくわからず、混乱している。頭の中に次々と入ってくるワードを整理しつつ、考える。
「悪魔は契約した魂を食らうことを最低限の条件に、力を与える…。契約をした霊は悪魔に近い存在になるわけか…?」
「そういうことね… 悪霊ってところかしら…? それとあなた達を襲っていた“一つ目”は――」
竹下の目線が足元の土塊に移り、また祐史にもどった。
「悪魔の根っこのようなものね… “一つ目”を通じて、悪魔に人の魂が集まるの」
ますます混乱する頭を必死に働かせ、話に追いつこうと努力する。
「それじゃあ、川瀬は……」
川瀬は人間なのに、悪魔と契約した…? どうやって…?
「でもあなたの復讐は終わったはずでは? あなたの目的は果たされたはずなのになぜここに存在しているんです?」
「……完全には… 達成されていないわね…」
「何を…?」
竹下は首を振った。これは話してくれそうにない。
「では、あなたは6年前に自殺し、その時に契約を交わしたのでしょ? なぜ今になって復讐を?」
これにも竹下は首を振った。
「じゃあ川瀬は…… 膨大な力との代償に、自分の魂だけでは足りず、この学校の皆の魂を代償にしたと…?」
「それは…… ちょっと違うみたいよ。悪魔は、魂を食らいたいがために契約を勧める。悪魔にとってはただ魂が集まればそれでいいの。あの子のような力を得るには、たしかに相応の条件を出してくるけど… この代償の大きさは異常すぎる…」
「・・・・・」
川瀬は自らすすんで大量の生贄を与えたのか? 皆、何のために死んでいったんだ? この女の話が本当だとして、一体何者なんだ? 川瀬弥生は…。
「どれほどの生贄が必要になるのかは、私もよく知らない。そもそも、力で人を操ることは難しいことだと思うわ。操り人形のようにはできないはずよ。納得できる方法としては… たぶん、魂を抜き取った後に、魂に細工してそれをまた体に戻した…」
魂に細工… 邪悪な魂に変えたってことか。話が突飛している。やはり次元がわからない。
もう直接聞いてみるしかないのか…。
「……彼女を止める方法はあるんですか?」
……またロープが3往復した。
この沈黙は苦ではない。相手の返事に期待を膨らまし、待つ。きっといい答えが返ってくるはずだ。
ロープが更に2回往復した。
竹下は残念そうに首を振った。
「私にはわからない…。彼女の真の目的が何なのか…」
「そう… ですか…」
胸の中で大いに膨らんでいた期待が、風船の空気が抜けるかのように一気にしぼんだ。
祐史は一礼してから踵を返した。
「ありがとうございました。それと、助けてくれたことにも感謝します。あなたは俺があの世界に引き込まれないように警告してくれました。あそこに行っていたら俺… 相沢みたいに仲間を襲っていたかもしれない…」
「危ないところだったわね。悪魔は邪悪な魂と化した人間を呼び寄せていたみたい。あなたたちを襲っていた人たちと同じような魂になりかけていたということね」
「ええ、そうみたいですね…。それでは」
けっきょく、肝心なことは何一つわからなかったということか。やはり、まずは彼女を見つけるしかないようだ。
倉庫から足を外に踏み出すと、竹下が言った。
「最後に一つ教えてあげる」
祐史はすぐに立ち止まって、その最後の一つが、今の暗い気持ちを打破してくれるものであることを願った。
竹下に背中を向けたまま、耳の神経を後ろに集中させる。
「人間は、契約者にはなれないの」
その言葉が頭の中に浸透するまで、わずかに間をおいてから、勢いよく振り返った。
「どういうことだ――」
「今のが最後の一つよ。じゃあね、気をつけてもどりなさい」
自動で扉が閉ざされる瞬間、竹下は微笑んでいた。今までとは違い、温かみを帯びた表情だった。
言われた通り、もどって自分なりに理解したことを皆に話して聞かせよう。
そうするしかなかった。
祐史が倉庫を出て行って、数分。
揺れるロープを見つめていた竹下は、何かを感じたように、ビクッと身震いをした。
倉庫の扉が開いた。
「あら… あなたは…」
入ってきたのは少女だった。
べったりと血のりで染まった制服と腕。顔にも、無数にあるホクロのように、血が飛び散っている。
「失礼しますよ、先生」
「めずらしい来訪者ね。あの男の子が、川瀬って言ってたから、私もそう呼ぼうかしら? 川瀬さん?」
弥生は、室内のあらゆる物品に目を向けていたが、竹下の足元の土塊でピタリと止まった。それに気付いた竹下も、足元に目をやって、眉を曇らせた。
「かわいそうなことをしたわ。この子はここを守っててくれたのに…」
「所詮、ただの傀儡にすぎないわ。ま、たしかに、痛みを感じて、考えることはするけどね。くだらないわ」
弥生は心の底からそう言っているようだった。
「あなた何を考えているの? 川瀬さん?」
「ふふふ… 先生こそ、何を考えいるの?」
二人は笑顔で睨みあった。
「あなたにとっては、どうでもいいことよ」
「私にとって面白くないこと… じゃないの? 先生?」
ぴりぴりとしたオーラが、形になったかのように鋭く周囲の物質を突き刺した。
弥生のほうが竹下よりも上位に立っているようだった。明らかに見下した口調で弥生が言った。
「ここで森崎君と、仲良くいろいろ話してたみたいじゃない?」
途端に竹下の顔から笑みが消えた。
「……あの子… さっき帰っていって……。 あなた…」
無表情になった竹下の顔が、恐怖の表情に変わるまで、何秒とかからなかった。
「あなた、あの子をどうしたの?」
竹下の声は唸るように低かった。威嚇しているようだが、弥生はそれに動じない。
無邪気な笑顔が、恐ろしい悪魔のような雰囲気に一変した。
これまでの話の中で、紛らわしい文章などが多々ありましたので、修正しました。わかり辛い中、ここまで読んでくれた皆様に感謝です。