三十八 元兇
「南さん… 南さん…」
由真…?
「南さん、大丈夫?」
「由真… あんた…」
「ごめんなさい… 南さん…」
「……由真…?」
「ごめんなさい…」
何で謝るのよ… 由真…?
「私… 南さんに迷惑… かけたから…」
「何言ってるの。そんなこと…」
「ううん。ほんとに、ごめんなさい」
嫌な気分…。
体が痛いし、頭が重い。それに、何だか騒がしい。
「南… おい、大丈夫か?」
男の声がした。
葵はゆっくりと目を開いた。
「俺の声が聞こえるか?」
「……おじさん…」
ぼやけた川瀬の顔が葵を見下ろしている。
……えーと…… あぁ…
自分はどうしたのか。一番最後の記憶までたどりついて、心の中で手を打った。
あの怪物に殺されかけたんだったわ。てっきり殺されたかと思ったけど…。
もう一度目を瞑って、視界の霧を追い払った。
「あいつは?」
葵は幸司のことを言った。川瀬はすぐに誰のことなのか理解したらしく、何も聞き返さずに答えた。
「死んだ」
「そう… よかった…」
川瀬に助けてもらって起き上がり、そこにいる見慣れた顔の連中を眺めた。
川瀬、祐史、卓郎… 優哉……
「由真… は…?」
葵は気になっていた。目覚める直前に、夢だったのかもしれないけど、由真と会話した記憶がある。由真はなぜか謝っていた。
もちろん生きているはずだ。しかし、謝る由真の声がまだ頭にエコーしている。
「・・・・・」
「……南…」
「……え…?」
何……? この雰囲気…… 何で皆、俯いてるの?
何かを決したように、川瀬が立ち上がって横に退いた。
そこには、捨てられた等身大の人形のように、少女が無造作に横たわっていた。
「ひぃっ……」
葵の頭は真っ白に染まった。
声も出ないまま、蒼白な顔の少女のもとへ這っていくと、涙と同時に、真っ白だった頭の中に、ごちゃごちゃとしたものが大量に流れ込んできた。
首を不自然に曲げ、口元から赤い筋を這わせた由真。目を閉じて、とても安らかとは言えない死に顔。
「嘘よ… 嘘よ… 嘘よ…」
混乱の中、葵は言葉を何度も繰り返した。
「南さん… 川見… は…」
優哉が何か呟いた。
「・・・・・」
「南さんを… 助けようとして… 飛び出してきて……」
葵は虚ろな目で優哉を見上げる。
「殺されたんだ……」
「・・・・・」
こいつ、何て言ったの? 由真が… 私をかばって殺された? 私の身代わりになって、この子は殺されたっていうの?
「なんで…」
葵の中で怒りが一気に爆発した。
「あんた、それを―― 由真が殺されるところを黙って見てたの?」
「いや… 僕――」
「助けもせずに、見殺しにしたのね?」
「違う。僕もあいつに殴られて、動けなかった…」
「見殺しにしたのね!?」
「違う! 本当に動けなかったんだ!」
言い訳など聞きたくない。こいつは、ただ怖かったのよ! 殴られて自分は動けない、ということを口実に、自分を動かさなかったのよ!
葵は手の平に力を入れ、優哉を殴ろうと決心した。だが、いざ立ち上がろうとすると、立ち上がる力がないことに気付き、脱力してそのままがっくりと頭を落とした。
由真… どうして謝ったのよ…? 謝るのは私のほうなのに…
葵はずっとわかっていた。由真という存在が、この状況でいかに心の支えになっていたか。気の強い葵は、自分を頼ってくる者を冷たく突き放そうとしていた。自分に素直になれず、自分に寄りかかろうとする者に冷たくしてしまう、悪い癖だった。
本当は、頼られるのが嬉しかったのに…。由真はずっと、自分が足手まといな存在なのだと責任を感じていたに違いない。だから、こんなこと…。
わかってる。私が悪かった…。他の誰も悪くない。
「ごめんね… 由真…!」
葵は人目も気にせず、そのまま泣き崩れた。
仕方のないことだった。川瀬は、そう自分に言い聞かせた。
菜津稀の死に、祐史が悲しみ、由真の死に葵が悲しむ。もちろん全員が悲しいに違いない。
優哉は葵の言葉にショックを受けているようだった。
“見殺しにしたのね?”その言葉は川瀬の心にも重く響いた。自分も菜津稀を見殺しにしたも同然なのだから。
仕方なかったなんて言葉ではすまされない。だが、そう思う他ないのだ。罪悪感は自分を破滅させる。
川瀬は優哉の肩を優しく叩いた。
葵もわかっているはずだ。優哉に責任がないことくらい。ただ、怒りをどこへ持って行こうか迷っているだけなんだ。
由真を殺した幸司は、ダイナマイトで頭を吹っ飛ばされ、絶命した。その後は、喰屍鬼と同じく、土塊と成り果てた。
果たしてこの計画は成功だったのだろうか?
祐史が言っていた。車を動かしたのは、最終的に計画をやり遂げたのは校長なのだと。校長はそのまま車と共にホールへ消えたと。
結局3人も死んでしまった。これは多大な犠牲に違いないのだ。一人ひとりの“死”の上に、俺達の“生”は、今、成り立っている。
成功… とは言えないな。言ってはいけない。だが、俺達は生きている。
終わらせよう。悪夢を。
「ふふふふふ…」
闇から声が響いてきた。
「やってくれたわね」
反響していた笑い声のすぐ後に、女の声がはっきりと近くで聞こえた。
燃えて黒く焦げたワゴン車。もうほとんど火は消え、真っ黒な煙だけを大量に生み出している。
それを背にして、少女が立っていた。
皆の、黒く、赤く汚れた白い制服とは全く対照的に、今までずっと安全地帯にいたような、ほぼ白いままの制服を着ている弥生。
「川… 瀬…?」
「川瀬?」
卓郎と、祐史が弥生に近づこうと、歩き出した。
「待ってくれ」
川瀬は二人を止めた。
代わりに、川瀬が一歩、弥生に近づいた。
「弥生… なのか?」
「何を言ってるの? お父さん」
弥生の目は明らかに弥生ではなかった。まるで鬼のような、悪魔のような、鳥肌の立つ恐ろしい目をしていた。
「あんた達、ほんとに面白いわね。こんな行動、予想していなかったわ」
「誰だよ、お前…」
卓郎はナイフを抜いていた。
「あらあら、怖いわね。私を殺すの?」
弥生の眼が鋭く光った。
「川瀬… お前… 何を知っている…?」
卓郎が震えた声で言った。体が動かせないのか、ナイフを構えたまま体も震えている。
「何をって? もちろん全部よ」
「……教えてくれ。何者なんだ?」
今度は川瀬が聞いた。
「アハハ、あなたの娘よ? わすれたの?」
「違う… お前は弥生じゃない」
「ふふふ… 教えてあげるわ。この出来事について」
言いながら、皆の表情を見ているようだった。弥生は微笑んで続けた。
「まず、私は契約者よ。悪魔と契約したの。あなた達は何も知らないわよね? あなた達を襲っていた人間は、みーんな、その契約の生贄なの。この日が来るまで長かったわ、ほんとに」
こいつが… 操っていただと? それに悪魔と契約? 神話の話か?
「悪魔と契約すれば、悪魔の力を得られる。そして、私の望みが叶う」
「望み? 何を望んでいる?」
それに弥生は答えず、マイペースに話を続ける。
「私は手に入れた力で、ここを人界と隔離し、人間を操った。この力を手に入れるにはね、相当の生贄が必要だったの。この学校の皆にはそのために死んでもらったわ。やつらはやつらの世界から、直接人界に手を出すことができないの。だから私が人界から手を貸してやったの」
「・・・・・」
「どう? 少しはわかったかしら?」
「生贄に使うだけならなぜ… 人間を操った…? そして、わざわざ俺達だけを残し、そいつらに殺させようとした…!?」
卓郎がフーフー言いながら言葉を絞り出した。
「そのほうが面白いでしょ?」
限界だった。もう聞きたくなかった。
こいつは弥生ではない!
「許さない… 正体を見せろ…! お前は誰なんだ!? あ!? 答えろぉ!!!」
川瀬の凄まじい怒号にもうろたえず、不気味な笑みを消さない弥生。しかし、弥生もどこか怒りを隠しているようだった。
「誰って……」
涙を拭った葵が立ち上がって弥生を睨んだ。
「こいつはあなたの娘よ!! あなたの娘で…! 殺人狂よ!!! もうイヤ!!! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!!」
「黙ってなさい」
弥生のその言葉と同時に、葵は喉を絞められたように、うっ!と、声を出し、黙った。
「お前は弥生じゃない! 俺の娘なんかじゃない!」
「何を言ってるの。この子の言うとおり、私はあなたの娘で… 殺人狂よ? あはははは…!」
「お前は… 俺の娘なんかじゃない……」
涙でがらがらになりながら、川瀬は訴えた。
俺の娘がこんなことするはずがない!
「そうね…。隠れん坊しましょ。見事、私を見つけたら、人界に帰してあげる」
何を言うのかと思えば、隠れん坊だと!? ふざけるな!
川瀬の今の顔は、おそらくこの中の誰よりも恐ろしいものになっているだろう。それに気付いていても、この怒りを微塵たりとも抑えることは、とうていできないこと。
「でもあなた達、鬼だからといってのんびりしちゃ駄目よ? ふふふ…」
「待て…!」
弥生は校舎の中へ歩き出した。全員、体を動かせなかった。
許さない…! 俺が見つけてやる!!
金縛りから解放されたのは、弥生が校舎内に隠れて2分後だった。