三十五 攻防
ヘッドライトを校門へ向けたまま、軽自動車のエンジンは、かかりっ放しになっている。
「やつら、やっぱり来たか」
卓郎がホールから近づいてくる影を見て言った。
ヘッドライトの光を警戒しているのか、非常にゆっくりとした足取りだ。どうやら“白い光”には特別弱いらしい。
「あのホールを閉じない限りやつらは無限に増えるぞ」
「おい、いい加減なにを企んでいるのか話してくれないか?」
卓郎の“悪あがき”という言葉だけでは何も理解できない。
「ホールを閉じさせるんだ。強制的にでも」
そう言うと、後部座席のドアを開けた。
そこには赤いポリタンクが2つと、ヘルメット、卓郎お手製のタイマー式爆弾が一緒に置かれていた。
「喰屍鬼共の目を掻い潜りながらこの量のガソリンを集めるのに少し時間を食った。おっさん、帰ってくるの遅かったから駄目かと思ったよ」
「ああ… 襲われたけど、なんとか…」
あのことを言うべきかどうか迷ったあげく、言わないことに決めた。余計な推量をしてほしくなかったのだ。
「しっかし、よく校長はこんな車を明け渡したよな」
祐史がその軽自動車をまじまじと見た。
つやのあるブラックの車体が、いかにも丁寧に手入れされていたことを、大切にされていたことを物語っている。
「命には換えられないからな。校長ももうすぐ来るだろう」
卓郎が言ったとおり、間もなくしてもう一台の車が奥の駐車場から校門前に到着した。今度はワゴン車だ。運転席に校長の姿が確認できる。
「俺達がこっちを準備している間、皆にも他の物を準備してもらってたんだ」
卓郎が言った。
後ろのドアをスライドさせて、中から優哉と葵が、瓶が入ったプラスチックの箱を片端ずつ持って出てきて、それを川瀬達の前へ慎重に置いた。
「作れるだけ作ってきたわ。ちょっと少ないかも知れないけど」
ふーっと葵が溜め息をついた。
箱に入っている瓶を確認する。瓶が20本入るプラスチックの箱に、18本の瓶が入っている。
川瀬はその一つを手に取った。
「火炎瓶か」
瓶の中には液体が入っており、口に灯油の臭いを放つ、湿った布が詰め込まれている。
「ま、こんなもんか。おっと、時間がない。おっさん、手早く説明するから聞いてくれ」
喰屍鬼の動きを確かめながら卓郎が説明を始めた。
「この車をホールへ突っ込ませる。うまくいけば―― もしかしたら、だが、ホールを強制的に閉じさせることができるかもしれない。やつらに俺達の脅威を思い知らせてやるんだ」
そこまで言って、卓郎は後ろを振り返って喰屍鬼がまだ襲ってこないことを確認して先を続けた。
「この車にはガソリンと爆弾が積まれている。ここからホールまでの距離は詳しくはわからないが、校門まで50メートルちょっと。爆弾のタイマーを余裕を持たせてセットして、クルーズコントロールの設定できる最低速度、45キロ出たところでシステムをオンにする。そしてすぐに飛び降りる」
「・・・・・」
クルーズコントロールとは、アクセルを踏まなくても一定速度を維持して走行できる機能だ。それを使えば確かに可能かもしれない。しかしそれだけのスピードで飛び降りるのは、あまりにも危険すぎる。
表情から川瀬の考えを読み取ったのか、卓郎が付け加えた。
「もちろん提案したのは俺だ。俺が車に乗る。皆は援護してほしいんだ。まっすぐにホールへ攻撃できるように」
「やめろ! 危険すぎる!」
しかし卓郎は、川瀬の警告も気にせずに準備を進める。
「どうしてもやるんなら、俺が代わりに!」
「おっさん! おっさん。時間がないんだ。俺は覚悟が出来ている」
「けど――」
「タク! 来るぞ!」
「グオオオオォォォォ…!!!!!」
いくつもの咆哮が空気を振動させた。
「わかった。俺が受け止めてやるから、安心して飛び降りてくれ」
「頼んだ!」
卓郎はそう言うと、運転席に乗り込んで自転車用のヘルメットを装着した。
「それとおっさん。川瀬、助けてやってくれよ」
卓郎が、まるで遺言のようにそう言った。
わかっている。川瀬は微笑んで頷いた。
「南さん! 早く!」
ワゴン車から由真が降りてきた。菜津稀も乗っているのだろう。
「いいからあんたは乗ってなさい! 私は大丈夫だから!」
今にも自分に駆け寄って来そうな由真に、葵が慌てて叫んだ。
しぶしぶ乗り込んだ由真がドアを閉めた。が、ワゴン車は川瀬達の後ろに止まったままだ。いざという時に、乗り込んで逃走できるようにだろうか?
運転席に座っている校長の表情は、かんばしくない。
不安になりながらも、川瀬は火炎瓶を一本掴んだ。祐史、優哉、葵も一本ずつ持って、すでに各々の発火用具で火を点けている。川瀬も急いでライターを取り出し、火を点けた。
「グオオオォォ!!!」
祐史が、自分目掛けて突進してくる喰屍鬼に、火炎瓶を投げつけた。
喰屍鬼は、たちまち大きな火の玉のようになり、奇声を上げながら速度を落として、全身を激しく揺さ振った。
校門前は早速、激しい戦場となり、悲鳴と火の粉が飛び交った。
川瀬も襲い来る目の前の敵に火炎瓶を投げつける。瓶が割れ、中に入っていた灯油に火が移り、たちどころに激しく燃え上がる。
火だるまになった喰屍鬼は、川瀬にたどり着く前に地面に倒れるが、灯油がすべて燃え、火が消えれば、またよろりと立ち上がってくる。あの石のように硬いボディには、さほど効果はないのだろうか?
「くそっ! 恐ろしい生命力だ!」
悪態を吐きながら次の瓶に火を点ける。
18本あった火炎瓶は、ものの2分で半分以上減った。
ホールへ真っ直ぐ爆弾を突っ込ませるために、道を開かなければならない。
ホールから、また2体の影が現れた。
「きゃああああ!!!」
人間の悲鳴が校長達が乗っているワゴンから響いた。
見ると、2体の喰屍鬼がワゴンを襲っていた。一体は屋根に乗っかり、一体は地面で跳ねて、後面ガラスを攻撃している。校舎の喰屍鬼が騒動を聞きつけてやってきたのだろう。それを振り払うようにワゴンが急発進した。
川瀬は持っている火炎瓶を、立ち上がった喰屍鬼に叩きつけ、プラスチック箱の、更に数の減った火炎瓶の中から一つ引っ掴み、ワゴンへと走った。
<ドシャンッ!>
ジグザク走行の後、ワゴンは、20メートル先のところで校舎の―― 来客用玄関横の壁に衝突し、止まった。
屋根に乗っていた喰屍鬼が、反動で前へ投げ出され、音鈍く壁にはねた。
取り残されたもう一体は、川瀬の前をワゴンの獲物へ向かっていた。
川瀬は持っていた火炎瓶の布に火を点け、前へ投げた。
「グアアウゥゥ!!!」
炎上する喰屍鬼の横を素通りし、ワゴンのスライドドアを横へ引いた。
由真と菜津稀は、シートベルトをしてなく、強い衝撃でガラスも割れていたにも関わらず軽傷で、意識もはっきりしていた。校長は運転席でエアバッグに顔をうずめている。
「校長?」
声をかけると、ゆっくり頭を起こし、川瀬に笑いかけた。
「早く出る――」
手を伸ばそうと、前屈みになった川瀬の尻に岩のような物がぶつかった。
「きゃっ!」
無理矢理車内に押し込まれた川瀬は、正面の座席に座っていた菜津稀に受け止められた。何に突き飛ばされたのかは、見なくても想像できた。
「ゴウオオオォォ!!!」
背中に火が点いたままの喰屍鬼が、怒り狂ったような形相で川瀬を睨みつけていた。駆けつける途中に撃退したはずだったやつが、しつこく追ってきていたようだ。
車内に菜津稀の悲鳴が響いた。
睨み合うように向きを変えた川瀬は、おそらく唯一の弱点であろう、“目”を、素早くベルトから抜いた出刃包丁で切り裂いた。
「今だ、早く!」
川瀬は右手で、腰のところにあった菜津稀の手首を掴み、左手で由真の腕を掴んだ。
校長は、手元のドアが潰れていたので、助手席側のドアまで逃れようとしていた。
川瀬は二人の手を引いた。
「早―― く……」
菜津稀に振り向いた川瀬は愕然とした。由真は言葉なく震えている。
「おじさん……」
菜津稀が恐怖と痛みで震えた声を出した。
屋根に乗っていたもう一体の喰屍鬼が、菜津稀の後ろのガラスの割れた窓から頭を突き入れ、大きな口で菜津稀の左肩にかぶりついていた。
白い制服に、じわじわと血がにじんでいる。
「逃げ… て…」
「駄目だ… そんなこと…。今助けてやるから」
川瀬は喰屍鬼に体を向け、体勢を整えた。
しかしそこまでだった。
外で悶える喰屍鬼と同じく、目を切り裂くはずだった包丁は、目標に到達する直前に払いのけられ、川瀬の手元から消えてしまった。
「ああああっ!!!」
菜津稀は押し倒され、前方座席側に倒れこんだ。肩の流血はますますひどくなっているようだった。
校長が慌てて助手席のドアから外へ出て川瀬の腕を引っ張る。
「逃げましょう! 早く!」
「何を言ってるんだ!! あんたそれでも校長か!? 生徒を見捨てるのか!?」
川瀬は校長の手を叩きつけるように振り解いた。耳に入るのは、外で騒ぐ喰屍鬼の悲鳴、由真の泣き叫ぶ声、菜津稀の呻き。
菜津稀は仰向けで前方座席のほうに腕を伸ばしている。
「早く!!」
川瀬と由真は、校長に引かれ、強制的にワゴンから離された。
何か助ける方法があるはずだ…! 何か……。
川瀬は無意識にウエストバッグに手をかけた。
「・・・・・!?」
そこで気がついた。ウエストバッグの口がパックリと開いていることに。そしてその中からある物が抜けていた。
川瀬は2メートル前のワゴンの車内を見た。
たしかにあの時… ライターを取り出す時にはたしかにあった。そしてその後ちゃんと、きっちり閉じたはずだ。
「・・・・・」
そういえば、さっき俺は、右腰のところにあった菜津稀の手首を掴んだ。まさかあの時――
それに気付いた川瀬は唖然とした。
小さく呻きながら右手を伸ばす菜津稀。左手には、ちらりと輝く銀色の筒が。そして前方座席のほうへ伸びていた手は何かを掴んでいた。黒い何かを取り出していた。よくわからないが、シガーライターのように見える。
「馬鹿っ…!」
シガーライターが銀色の筒―― ダイナマイトに近づけられ…。
「離れろ!!!」
川瀬はとっさに、校長と由真の腕を引いて、駐車場の乗用車の陰に逃げ込んだ。
<ドゴオォンッ!!!!>
空気が、鼓膜を切り裂くように激しく振動した。