二十七 勝敗
2階から1階へ階段を下りた時、昇は体育館のほうへ歩いていくある人物を見つけた。
「先に行っといてください」
と、川瀬と優哉に言って、昇はその人物を追った。
おじさん達には忘れ物を取りに行くと嘘をついた。心配させたくなかったから。
皆がんばってるのに、今までの俺は自分でも情けなかったと思う。
皆の役に立ちたい。せめて、今俺にできそうなことくらいは…。
その人物は体育館の中央に立っていた。闇の中、首を傾けてまるで何かに聞き入るように…。
長身で丸刈りの男…。真っ黒なバットを手に持っている。
「相沢…」
昇の言葉に、幸司が我に返ったように振り向いた。
「藤… 原…」
幸司が微かにニヤケた。
そしてバットを引きずりながら力無く近づいてくる。その姿はあの化け物共と見間違えそうになるくらい不気味な雰囲気だ。
黒く細い影がバットが通った床に残っているのが見える。
それは一歩近づいてくる度にだんだんはっきりと…。
血だ……。
真っ黒に見えていたバットは、べったりと血に染まっていた。それだけではない。そのバット自体にも恐ろしい細工が施してある。それを見て昇は鳥肌が立った。
まるで鬼の金棒を思わせるように、ところどころに釘が打ち付けられているのだ。
見るだけで戦意を喪失しそうだ。
いかにも狂人が考えそうなことだな…。
昇は後ずさりした。
近づいてくるほどに、感じる恐怖が強くなる。
こいつ… 人間なのか……?
闇を全身にまとう魔物――
昇は自然と後ろへ下がる足を精神力で止めた。
今、俺にできることは、こいつを説得すること…。望み薄かもしれないが、やるしかない。
「相沢… もうやめろ。仲間を殺して何になるってんだよ?」
相変わらず歩み寄ってくる殺気の塊に、震える声で話しかける。
すでに3メートル前まで迫っていた。
昇はまた一歩後ろへ下がった。
「お前は何がしたいんだよ!? 戦う相手が違うだろ!!」
幸司が足を止め、釘バットを持ち上げた。
「俺が――」
バットが血を飛び散らせながら動く。
「勝者だぁっ!!!」
ドスッ! と音をたてて釘バットが床にぶち当たった。
昇は身を屈めて攻撃をかわすが、釘バットの脅威に足がすくみそうになる。
くそっ! 攻撃に容赦がない! 当たったら… 死ぬ…!!
「もうやめろ相沢ぁ!!!」
「ハハハ…! 俺が勝者だ…! 俺が勝者だ…!! 俺が勝者だぁ!!!」
<ガゴッ!>
振られる釘バットを金属バットで防ぐ。
片手だと衝撃がすごい。両手で握りたいところだが、それだと防ぎづらくなる。
昇は走って幸司と距離をとった。
何がこいつをここまで変えさせたのか…。
普段の学校生活では、いつも奥川達と連んでがやがやしてただけのやつが…。たしかに不良かもしれないが、校則を破る以外の問題を起こすようなやつではなかった。暴力を振るうこともなく、ただ不良ということで周りから少し迷惑がられていただけの存在だった。
この脅威が逆のほうへ向いていれば…。
なぜこんなやつが生き残ったのか…。
出来すぎている……。まるで一つのシナリオに沿ってすべてが動いているような…。
そしてそのシナリオは、確実に俺達を苦しめるためのもの…。
<ズリズリズリ…>
バットを引きずる音が目の前まで来た。
いや、今はこいつをどうするか…。それだけを考えなければ。
相手は釘バット… ベースは木製のバットだ。強度なら金属バットのほうが上だろう。でも殺傷能力は釘バットのほうが遥かに高い。一発でも当たったらかなりヤバイ。
<ブンッ…!>
幸司が無言でバットを振るう。
昇はそれをすばやく防ぐが、力に容赦のない攻撃に腕がしびれる。
釘バットにこびり付いた血が顔に飛び散ってくる。
<ブンッ…!>
「ぐぅっ…!」
攻撃を避ける昇の背中に釘がかすった。
<ガゥン…!>
体勢を崩しながらも一心不乱に攻撃を防ぐ。
このまま連続攻撃が続くと腕がもたない…。
昇はバットを払いのけ、再度、幸司から距離をとる。
「はぁ… はぁ…」
両者ともすでに息があがっている。
防御だけじゃ勝てない。力では俺が上だ。こっちから攻撃を仕掛ければ勝てるかも。向こうが殺す気なら俺も殺す気で戦わないと。
それにさっきまでの攻撃で何本か釘が抜け落ちている。意外と脆いようだ。
幸司が走って攻撃を仕掛けてくる。
昇は振り上げられたバットを渾身の力で叩き払った。
「うおっ…」
釘が数本抜け飛び、幸司がよろけた隙に、手加減しつつ金属バットを振った。
「ぐふっ…!」
横腹にバットを受けた幸司が痛みに顔を歪める。
よし! 一発入った!
と思ったのも束の間、今度は昇の腕に痛みが走った。
しまったっ…! くらったか…! 釘が……!!
「くそっ…! ぐあぁっ!!」
刺さった釘が引き抜かれる痛みで身を縮める。
幸司が不気味ににやけ、次の攻撃に移ろうと、両手で釘バットを頭の上に大きく振り上げた。
死ねるか…!! クソッタレ!!
「あああぁ!!!」
昇は隙のできた幸司の腹に思い切り蹴りを入れた。
あうっ…!
釘で穴の開いた二の腕が激しく痛むが、昇は歯を食いしばり前を見た。
幸司は尻餅をついて床に倒れたが、すぐに腹を押さえながら立ち上がろうとする。
「相沢あぁ!!!」
バットを振りかぶる昇に幸司は座ったまま釘バットを前に構え、防御の姿勢をとる。
<ガゥーン…!!>
釘バットが弾け飛んだ。
ドンッ、と弾かれたバットが傍らの床に落下し、静止した。
幸司はポカンと口をあけて目を見開いている。
「ふー… お前の負けだ相沢」
昇の顔は安堵と喜びで満ちていた。
やった… 俺が勝ったんだ…。いまいち現実味がないけど。
「……んだと…?」
幸司が声を殺して言った。
「俺は負けてねぇっ…!」
「ふざけんな!!!」
昇が幸司の顔面に拳を叩きつけた。
「いいかげんにしろよ!! ゲームだか何だか知らねぇけどなぁ!! お前の勝手で坂野は…!!! それに俺達まで殺されてたまるかぁ!!!」
倒れた幸司に馬乗りになり、何度も殴る昇。
「目ぇ覚ませよ!! 相沢!!!」
「うるせぇ!!!」
昇を蹴り飛ばしながら幸司が叫んだ。
「相沢――」
「巧は!!」
体育館に幸司の声が反響する。
「巧は死んじまったんだぞ…!!!」
「相沢……」
「どうしろってんだよ……? 生き残った俺は……」
そう言い、涙を流しながら床を殴る。
「俺は生きたいんだよ…!! どんなことをしてでも…!! 死ぬわけにはいかねぇんだ…!」
悲しみ溢れるその顔からは、さっきまでの狂人の表情は完全に消えていた。
……相沢… 本当はこいつも……。
「死ねねぇんだ……」
「・・・・・」
「ちくしょうっ……」
そういうことか…。
「……相沢…」
泣きじゃくる幸司に昇が手を差し出した。
「お前は間違っていた。でも、もういい。俺達に協力してくれ」
「藤原……」
しかし、幸司は昇から目を背ける。
「無理だよ…… 俺……」
「無理じゃない。皆で生き残るんだ。それが一番いい」
「……藤原ぁぁ…」
もう、誰も死なせはしない…。
そう心に決め、泣きながら抱きつく幸司にそっと腕を回した。
「俺… 人を殺したんだぞ…?」
「それはもういいんだ」
「許してくれるのかよ…?」
なおも自分の肩に顎を置いて泣き続ける幸司に昇がやさしく言った。
「ああ… 許すよ…」
だからもう苦しむな相沢。お前には仲間がいるんだ。
俺等は皆、お前の仲間なんだ。
「お前… いいやつだな……」
幸司の手がベルトに動いた。
「いいやつって… 馬鹿だよな」
<ズッ…>
「・・・・・」
……え…?
「ハハハッ」
耳元での笑い声がぼやけて聞こえる。
「……相…… 沢……?」
昇にはその現実を理解できなかった。
いや、理解したくなかったのだ。
気付いたときには床にうつ伏せに倒れていた。
その時になって初めて自分の置かれている状況を理解できた。
なぜか背中が痛む。何か… 刺さってる…?
「うっ… ぐぐ……」
体を少しでも動かすと激痛が襲ってくる。
昇の背中―― 肩甲骨の下辺りには鉄杭が突き刺さっていた。
「馬鹿は生き残れねぇ」
幸司が金属バットを拾い上げた。
「相沢…… て… めぇぇ……」
震える声で喋る昇の首を幸司が足で踏みつける。
「俺の勝ちだ」
金属バットが背中の鉄杭に、無惨に振り下ろされた。
もう、何も元にはもどらない。
死者も狂者も……
「ハハハハハハ… ハハ……」
その場に響き渡るのは狂者の笑い声だけ。
「ああ… 今… 行くよ……」
視界が完全に暗くなる寸前、そんな声が聞こえてきた。
最期に…… 昇は一筋の涙を流した。
ただ悔しくて…… 悔しくて……。