二十三 怪音
優哉は重い非常ドアを慎重に開けた。
2階には2年生の教室群がある。
おじさんも… 理枝もいるとしたらここだろう。
……でも、理枝… 本当は僕は…
階段を上がり、2階へ着いた時、防火シャッターが下りて廊下を塞いでいた。おそらく卓郎が調べに来た時に下ろしたのだろう。
優哉はシャッターの横の非常ドアから侵入を試みた。
<カタン…>
ノブを回したままの状態でゆっくりドアを閉めた。
おじさんはどこにいるんだ?
点々と明かりが灯ったまっすぐな廊下のどこにも川瀬は見当たらない。ちらほらと人の形をした赤い目の化け物が徘徊しているが、優哉の存在には気付いていない。
身を隠しながら行動するのはまず無理…。早くおじさんと合流したいのだが…。
優哉は、このままこの階の探索を始めるか、それとも探索はあきらめ、敵に気付かれないうちに背後の非常ドアから引き返すか迷っていた。
それじゃあ何のために僕は決心してここまで来たんだ? 死を覚悟してまで…。
右手に握り締めた木刀を左手に持ち替え、冷や汗でべっとりとなった手の平をズボンで拭い、再び木刀を構える。
この堅い木刀ならうまくやれば一撃で敵を殺せるはず。
「よっしゃっ…」
優哉は決心した。
木刀を両手で持ち、斜め下に力強く構える。
まずは前方の女子生徒…。
気付かれないように足音を消し、ゆっくりと近づく…。
くらえっ…!
<バキッ…!!>
木刀を、折れそうな勢いで敵の後頭部に叩き込んだ。
「きぃッ…!」
女子生徒はふらっと膝をつく。
すかさず木刀を頭上に振り上げ、2メートルほど前の男子生徒へ――
木刀が振り下ろされる寸前、男子生徒が振り向いた。
……!!!
「くっそっ…!」
<ドッ…!!>
「ぎ… ギェ… ぇ……」
男子生徒は叫びを上げることなく崩れ、同時に優哉を激しい吐き気が襲った。
「……昌洋…… ぅっ…」
たった今優哉が殴り倒したのは、優哉のよく見知った人物であった。
小学生の頃からの付き合いで、優哉にとって数少ない友人の一人…。
そう、ここは2年生教室の廊下。当然襲ってくる敵のほとんどが見知った同級生達なのだ。
「昌洋……」
優哉は痙攣しながら息絶えていく友人を見下ろした。
ごめんっ…! 昌洋っ…!
「ひひひひひっ…」
「ひひっ…」
優哉の前方から照っていた補助灯の光が突然遮られた。
ぐっ…! 泣いている場合じゃない!
涙を拭き、前を向いた優哉は息を詰まらせた。
「ひひひひ…!」
「ひヒャヒャひひひぃ…!」
「ひひひひィひひ…!!」
「ひヒひひひひ…!!」
おびただしい笑い声が耳を劈く。
いつの間にか優哉の前方は化け物に埋め尽くされていた。
必死に混乱しそうになる脳を落ち着かせ、しっかりと現状を把握する。
ヤバ……
教室の中から、廊下の奥から、優哉を狙う赤い目は次々と増えていく。
僕… 死…… ぬ……? のか…?
「ひひひひヒひひひひヒヒひひひっ……!!!!!」
いや、まだ死ねない!!!
優哉は硬直した体を無理矢理後ろへひねった。
逃げるが勝ち!!!
走り出すのと同時に、背後で聞こえるドタバタという足音。
一斉に追ってくる… 振り向いたら負けだ!
引き返す方向に敵はいない。
廊下の突き当たりで左へ曲がり、非常ドアのノブに手をかけた。
回し辛いノブを何とか回し、そのままドアに体重をかける。
しかし、体が前に動かなかった。寸前で化け物が優哉の左腕を掴まえたのだ。
「う… ―――…っ!!!」
気付いたときには、仰向けで床に叩きつけられていた。
<カ… タン…>
数センチ開いた非常ドアが虚しい音をたてて閉まった。
く… くそっ…! 誰かっ…!
そうだっ… ホイッスルを……
優哉は意識の中で首にかかったホイッスルを掴もうとするが、それとは裏腹に体が微塵も動かない。声も出せない。
「ヒヒッ…!」
優哉を押さえつける化け物が、嬉しそうなニヤケ顔を見せる。
そんなに嬉しいのか? 人を殺せることが…!?
優哉は横に顔を背け、目を瞑った。自分が死ぬところを見たくなかった…。
二宮さんみたいにバラバラにするか? 嬉しいんなら早く殺せよ…。
だが、しばらく経っても死が来る気配はない。
代わりに妙な声が耳に入った。
「キ… こ エる…」
なんだ…!?
化け物は優哉を押さえつけながら、首を後ろへひねっている。
「お ト…」
それは明らかに目の前の化け物の口から発せられていた。
化け物が優哉から手を離し、よろよろと立ち上がる。
キコエル…? オト…?
化け物達が優哉から遠ざかっていく。
助… かった…?
「・・・・・」
まだ体が動かない…。
その頃、川瀬はマスターキーでロッカースペースのロッカーを片っ端から開けていた。
鍵をあける小さな音も、ここでは命取りになりかねない。
<カチッ…>
・・・・・ハズレか…
これで10つほど開けただろうか。その中のほとんどはジャージや文房具などの雑貨で、アダルト雑誌やタバコ、化粧品といった宜しくない物もあったが、やはり不必要な物ばかりだ。
役立ちそうな物は今のところ「チョコバー」一本…
腹は減ったが食欲が出ない…。しかし、カロリーは摂っておくべきか…。
川瀬は包みを開け、チョコバーを口にくわえた。
「はぁ……」
甘いはずのチョコバーなのに、何も味を感じない…。
チョコバーをくわえたまま、また一つロッカーを開ける。
よく整理されたロッカーの中にあったのはウエストバッグ。それ以外に使えそうな物はない。
川瀬はくわえたチョコバーを胃に押し込み、ひっくり返してカラにしたウエストバッグを腰に装着した。そして、その中にポケットの必要品を放り込んだ。
まだいくつか入れることができる。とりあえず邪魔にならない程度に持っておくか。
ロッカースペースで手に入れたのは「ウエストバッグ」と「飴玉」を数個。それと「ペンライト」と「催涙スプレー」を一つ。
丁度明かりを探していたので、ペンライトは非常に助かる。催涙スプレーも効果的な武器だ。
さっそくペンライトを点灯させて引き返そうとすると、二階で何かが破壊される音が聞こえた。
急いで廊下の柱に身を隠し、見ていると、たくさんの化け物が階段を下りてきて、近くの生徒玄関から外へと歩いていく。
巻き込まれないうちに逃げるか…。
川瀬はそっともう一方の階段へ向かった。
化け物大行進か? シャレにならんな。
化け物がぞろぞろと階段を下りてくるのがわかる。
獲物を探しているのか…? 上の階にあんなにもいたとはな…。先にこっちへ来て正解だった。
「あれ?」
前に向き直った時、川瀬はあるものに気付いた。
今まで見向きもしなかったが、ある部屋のドア横にある小さなガラスからオレンジ色の明かりが視界に入った。
校長室だ。中に誰かいる。
ドアに駆け寄り、ノブを回すと、やはり鍵がかかっている。
無駄だとわかりつつもガチャガチャと何度か回す。
誰がいるんだ? 開けてくれ。
声に出そうと、口を開いた瞬間、ドアが勢いよく内側に開いた。
<ゴッ…!!!>
突然、頭に鈍い痛みが走り、同時に目の前が真っ白になった。