二十‐‐ 冷酷
川瀬たちとは別行動の卓郎は、祐史と第二校舎内に入った。
懐中電灯を持つ卓郎の後から祐史が包丁を構え警戒しながらついて来る。
そして安全を確認し、ドアを閉めた。
「ひひヒ…」
数歩進んだとき、廊下の奥からあの笑い声が…。
卓郎はそちら側へ懐中電灯を向けた。
明かりの中でうごめく影。
3体はいるか… あまり相手をしたくないな。
「ひひひヒヒひぃ!!!」
奇声を発しながら3体の化け物が早足で二人に近づいてくる。
ちっ… 遠くからじゃ明かりを当てても怯まないか。
祐史はすでに戦闘態勢に入っている。
広い場所なら相手にしても勝てるが、狭い通路で3体を相手にするのはマズイな…。
放っておくは後々面倒だし…。
「そうだ、シャッター…」
丁度二人のすぐ前方― 左右の壁に、ガイドレールがあり、天井から防火シャッターが下ろせるようになっている。
これを下ろせば少なくとも一時的にでも敵の進行を止めることができる。
この学校の防火シャッターは自動式ではないので、金属のフック棒を使ってシャッターを下ろさなければいけない。
「祐史、明かり頼む!」
卓郎が懐中電灯を祐史に投げ渡した。祐史はかろうじて落とすことなくそれを受け取る。
フック棒はすぐ近くの壁に掛けてあったので、探さなくともすぐに見つかった。
急いでフック棒を引っ掴み、先端部分を天井に向けるが、そうしてる間にも3体の化け物たちは刻々と二人に迫ってきていた。
祐史が明かりで敵を照らすが、さすがに真っ直ぐな通路ではさほど効果がない。眩しそうに顔を歪めながらも、獲物の位置を把握した化け物たちは祐史に向かって直進する。
「くそっ…! 暗くて見えない! 祐史! 明かりを頼む!!」
フック棒はいまだにシャッターの穴に入っていない。明るい時でも、手馴れていないとなかなか成功しないものだ。しかも今は周りが暗く、更に敵が目前まで迫っている焦りのせいで、余計に手元が狂う。
「まだか!? タク!」
シャッターの穴の部分に明かりを当てるが、焦れば焦るほど失敗する。
「ひひヒヒひひヒひひひひひっ……!!!」
狂った笑い声を上げ、目の前まで来た化け物の一体がデッキブラシを振りかざした。
<ガンッ!>
卓郎がフック棒で敵の攻撃を防ぐ。
「ぅおらぁ!」
攻撃を防がれた化け物は、祐史の入魂の蹴りを胸元にくらい、後方に仰け反り、倒れた。しかもそれによって、後ろにいた2体も躓かせ、怯ませることができた。
「ナイス!」
卓郎は一言言って微笑み、再びフック棒を持ち上げた。
一瞬、敵の動きを止めたのはいいが、また体勢を戻し、前進してくる。
「よし! 掛かった!」
その言葉を聞いて、祐史に安堵の表情が戻った。
「引けぇ!」
二人は力を合わせてシャッターに掛けられたフック棒を引いた。
<ガララ、ガラガラガラガラ…>
と音を立てながらシャッターが下りる。途中まで下ろせば、後はシャッターの重さに任せればいいのだが…。
そうはいかなかった。
途中で何かにつっかえ、それ以上下りなくなったのだ。
見ると、シャッターの下に化け物の手が…。
そうだ… こいつらかなりの馬鹿力だった…。
片手一つで支えているにも関わらず、体重をかけてもビクともしない。
「ひっひひひひヒひひィ…」
片手でシャッターを持ち上げながら隙間から勝ち誇ったような表情で顔を覗かす化け物。
しかし、それが運の尽き。
祐史が滑り込ませた包丁の突きがその化け物の顎の下を通り、首に刺さった。
「ビぐッ…!」
瞬く間に支える力が衰え、シャッターがゆっくりと下がりはじめる。
祐史が首から包丁を抜くのと同時に、隙間から血しぶきが飛び散り、祐史の右腕を赤く染めた。
<ガシャン…>
支えが無くなったシャッターはそのまま完全に下りきり、廊下を遮断した。
その後も残った化け物が、その壁を破壊しようと殴り叩く。しかし、さすがに2体だけではそれを破壊することはできないらしい。
祐史は無表情で包丁と腕に付いた血を振り払っている。
まるで冷酷人間のように……。
「祐史… お前……」
卓郎は言いかけた言葉を途中で呑み込んだ。
お前がお前じゃないみたいだ。
シャッターをしきりに叩く音を背後に聞きながら、二人はまっすぐ第二校舎を出た。
そこはさっきまで川瀬たちがいた第二体育館への渡り廊下。先には手洗い場が見える。
「なんだろうな? この音」
外に出て少し経ってから立ち止まった祐史が言った。
「音? 何の?」
卓郎は耳を澄ますが、風の音も虫の鳴き声も聞こえない。ただ、化け物の悲鳴や何かを破壊するような音が微かに聞こえるだけ。
「聞こえないの? この音だよ。ほら、ゴオォォ…って。中にいるときはそれほど聞こえなかったけど」
そう言われても卓郎にはそんな音は聞こえない。
「んー? 発電機の音じゃね? おっさんが動かしたみたいだし」
「お前、耳がいいんだろ? 聞こえないのか? 機械の音とかじゃないって」
たしかに俺は視力にも聴力にも自信がある。他の人間に聞こえて俺に聞こえないなんて考えられないが…。
「錯覚じゃないか? 気にするな」
首をひねる祐史を横目に、卓郎は歩き出す。
「お、おい、どこ行くんだ?」
「第二体育館だよ。ちょっと様子を見てくる」
「ええ…? マジで?」
「祐史は待ってろ、すぐもどる」
そう言い残し、卓郎は第二体育館へ歩いていった。
「どうなってんだよ? あいつは」
一人残された祐史は卓郎が歩いていった通路をしばらく見つめていた。
おじさんは忠告のつもりで第二体育館に一つ目の怪物が潜んでいると言ったはずだ。なのにあいつは自らその巣窟へ向かって行った。これは明らかな自殺行為だ。
でもあいつも馬鹿じゃない。どちらかと言うと頭はいい。危険なことくらい重々承知しているはずだ。様子を見てくるだけと言っていたし…。
それに稀に見る強運の持ち主だ。そのことはよくわかっている。
……ん? まてよ? こんな危機的状況下にいる時点で不幸なやつか。俺達皆…。
手洗い場の縁に腰を下ろすと、コンクリートの冷たさがお尻に伝わってくる。
「はあ…」
自然と溜め息が出た。
なんでこんなことになったんだろう? いつから俺の人生の歯車は狂い始めた?
今日この学校に来た時から? いや、違う。この学校に入学した時点からすでに地獄行きの改札口を通っていたんだ。
俺はタクがこの学校に進学すると言ったからついてきた。
何か引かれるものがあいつにはあったからだ。
何か引かれるものがあって俺はあいつと親しくなろうとしていた。
なぜ?
俺がタクにに引かれた理由…
俺は本能的にあいつを選んだのか?
たしかにタクはいいやつだ。俺が今までつくった友達の中で一番いいやつ…。
初めての親友と呼べる友達かもしれない。
心の読めないやつではあるが…。
本を辿ればあいつに出会ったところから地獄行きは決定していたのかもしれない。そんなことは思いたくないが。でもだとしたらハズレくじだったのかもな…。
祐史は何気なく水道の蛇口をひねった。
<ジャァーーー…>
思いも寄らなかった日常の効果音が手元で聞こえた。
あれ? 水出るじゃん…。水道は通ってるのか?
あっ、そうか。貯水槽に水が残ってるんだ。ラッキー
血まみれになった腕と顔を丹念に洗い、水を飲む。
血を見すぎたな…。綺麗な水のはずなのに血の味がする…。
でも冷たくてうまい。
<ゴオオオォォォォォ…>
まだ聞こえる。なんだろう? この音。
「あなた聞こえるの? この音が」
背後で女性の声がした。
祐史は口に含んだ水を勢いよく吐き出し、後ろを振り返る。
鼻に水が入ったのか、ツーンとした痛みが鼻の奥に走る。その痛みに耐えながら涙目で見据えた先には…
「……あんた…」
見覚えのある女性― 三つ編み、眼鏡、紺のセーター… 体育館監視室にいたあの女が、祐史のすぐ後ろに立っていた。