十七‐‐ 少女
「もう少し。がんばって」
耳を怪我した昇を優哉が支えながら歩く。
川瀬は化け物の襲撃に備えて包丁と懐中電灯を構えながら先導する。
「すいません…」
心なしか昇の足はふらついている。
耳の傷口から流れる血はまだ止まらない。早々に手当てをする必要がある。
保健室まであと20メートル。第二体育館からここへ移動するまでに化け物の襲撃には遭わなかった。前方にも化け物の気配はない。
増殖したはずの化け物がなぜ姿を現さない? 全員で襲えば俺達なんて簡単にひねり潰される。
やつらに作戦を立てるほどの知能はないのか? ただ目の前に現れた人間を殺すことしか…?
「お、ここだ」
『保健室』と書かれてプレートがドアに貼り付けられている。
ん? 中から何か聞こえる。話し声か…?
川瀬は優哉と目を合わせる。
首をひねる優哉。
<ガチャ…>
そっと、ドアノブを回し、ドアを内側に開ける。
「なんだ… おっさんか」
中にいた人物がほっとした表情を浮かべ、ナイフをホルダーにもどした。
「い… 生きていたのか。卓郎…」
卓郎の背後では祐史が同様に安心した表情を浮べている。
「ああ… 卓郎… 無事だったのか」
昇が優哉の肩から離れ、卓郎に近寄った。
「怪我… したのか」
血が流れる昇の耳を見て卓郎が心配そうに言った。
「二宮たちはどうした?」
昇の耳の手当てをしながら卓郎が聞いた。
昇も優哉も川瀬も黙り込む。
「死んだのか?」
雰囲気を察した祐史がに聞き返す。
「……そうか…」
三人はここまであったことを卓郎と祐史に報告した。
祐史は驚いていたが、卓郎は昇と川瀬の手当てをしながら、表情を変えることなくその話を聞いている。
そして、“一つ目”の話になった時、ふと手を止めた。
「一つ目の化け物?」
「たぶん今も第二体育館に潜んでる」
「どんなやつだった?」
「でかい一つ目で、人の形はしていたが、恐ろしくすばしっこいやつだ」
「・・・・・」
途端に卓郎は黙り込んだ。
「どうかしたか? タク」
祐史が卓郎の顔を覗き込む。
「ん、ああ。とにかく何が潜んでるかわからない。できるだけ単独行動は避けたほうがいい」
東渡り廊下のロッカースペースに、葵は、由真と二人でいた。
襲ってくる化け物を棒切れで殴り倒しながら、やっとのことで逃げ込んだのだ。
ロッカーの陰に二人身を潜め、背後で足音がする度に息を止め、気配を消す。
「ふぅ……」
最初皆で第二校舎へ避難するときよりも明らかに化け物の数が増えている。
しかし、校舎内よりも屋外のほうに化け物は密集していた。
耳を澄ますと化け物の足音は外へ向かっている。
なぜ、外に集まるのかしら? 何があるっていうの?
とにかくここにいてもどうしようもないわ。皆と合流しないといけないわね。
もっとも、皆が生きているかどうか…。音楽室にいた皆はどうなったのかしら?
「南さん…?」
立ち上がった葵に由真が不安そうな声を漏らす。
「行くわよ。私も、自分の身を守るだけで精一杯だから… あんたを守るほどの余裕はないの。わかってるわね?」
葵に睨まれて由真が小さく頷いた。
大丈夫かしら、この子…。
どこか安全な場所は…?
第二校舎はあの様子だとどこも絶望的ね…
葵は頭の中に学校の見取り図を思い浮かべる。
ああ… この状況でどこに安全な場所があるっていうのよ…?
頭を抱える葵に由真が話しかけた。
「南さん… あれ見て」
由真はロッカースペースの窓から外を見ている。
そこは中庭。中庭は屋外だが、周りを建物で囲まれ、他と隔離されているおかげで化け物の侵入はないようだ。
そして由真が指差すほう― 中庭の向こうのカーテンがかかった窓にうっすらと明かりが見える。
あそこは保健室ね。誰かいるのかしら? もしかして皆あそこに…?
由真が葵を見る。
「行ってみましょ」
一旦、中庭に出て保健室へ行くほうがおそらく安全ね。
ロッカースペースの横にある扉から中庭に出ることができる。目の前の窓から出たいところだが、窓の下に植え込みがあるので諦める。植え込みに足を取られてる隙に襲われたらたまらないからだ。第一音で気付かれてしまう。扉はすぐそこだし、鍵もかかっていないはず。幸い化け物の足音も今は聞こえない。
二人は扉の前に立った。
周りに化け物の気配はない。行くなら今しかない。
ゆっくりと扉を開ける。
校舎の中は補助灯が点灯し、ある程度明るいが、中庭は真っ暗だ。
二人は明かりを持っていないので、足元に注意しながら進まなければいけない。
「気をつけなさいよ」
由真は葵の腕を掴んでいる。
ほんと、頼りないわね…。
「!」
葵が中庭に踏み入ろうとした時、後ろで人の気配がした。
「だれ?」
人間? 化け物?
その人物は、長い髪をなびかせ二人の後ろを通り抜ける。
その後ろ姿には見覚えがあった。
「川瀬さん…?」
葵がとっさにその人物の後を追う。
「えっ… なに…!?」
葵の腕を掴んでいた由真が引っ張られて転びそうになる。
「川瀬さん!? 待って…!」
「どうしたの!? 南さん!?」
由真はわけがわからないまま葵についていく。
あれはたしかに川瀬さんよね…? なんで…? 私達に気付かないの!?
「ちょっと、川瀬さん―! あっ…!」
事務室前の廊下で死体の腕につまづいて転んでしまった。
「ったぁ… 川瀬さ― ん…?」
前を見たときにはすでにその人物の姿はなく、まっすぐ伸びる廊下には補助灯だけが怪しい光を放っていた。
「み… なみさん…?」
後ろでは由真が首をかしげ、不思議そうな目で葵を見つめている。
「ねぇ… 今の川瀬さんよね?」
「・・・・・なに言ってるの…?」
え…? 何言ってるのって… それはこっちのセリフ…
「誰もいなかったよ…?」
「は!?」
・・・・・
どういうこと? 由真には見えてなかった… ってこと?
「・・・・・」
また不安そうな目で葵を見る由真。
「どうなってるの…?」
不思議な時間が流れたようだった。
「大丈夫…? 南さん…」
「ええ」
やはり気になる。あれは幻覚などではなかった。なぜ由真は見えなかったのか…。
廊下に化け物がいないのを確認し、どうせなら少しでも明るい屋内から保健室に向かおうと、中庭に出るのはあきらめた。
それに、さっきの人物がどこかに隠れているかもしれない。
なぜ私に見えて由真には見えなかったのか。ただ単に暗くて見えなかっただけかもしれないが、考えるのは後でいい。今は細心の注意を払いながら行動しなければ殺られてしまう。
死体から目を背けつつ来客用玄関の前を通り抜ける。
先には死体の山が見える…。できればあんな所通りたくはない。補助灯で照らされた廊下はまさに血の海であった。
「南さぁん…」
由真は今にも泣き出しそうだ。
まったく… 子守りをしてるわけじゃないっての…!
玄関、応接室、校長室の前を無事通り抜けた。普段は短く感じる廊下も、今は5倍以上長く感じられる。
ああ… 最悪……
<…チャ……>
背後で何か音が……
「うあっ…!」
「えっ…!?」
二人は腕を引っ張られ、わけがわからないまま後方に引きずられていった。
<パタン…>