十五‐‐ 昭光
床に転がった懐中電灯の明かりに照らされ、大きな赤い一つ目が瞳孔を伸縮させている。
形も図体も人間とさほど変わらないが、体勢は異様に低く、全体的に真っ黒な色。大きな一つ目の下には、鋭い牙のような歯が何本もむき出しになっている。腕と指も人間のものよりもずいぶんと長い。
指の先から伸びた赤黒い爪は攻撃のためのものだろう。
川瀬は声に出さず苦笑した。
こいつは、怪物… というより悪魔か…?
「藤原… 立てるか…?」
川瀬の呼びかけに昇がかすかに頷き、耳を押さえたままゆっくりと立ち上がった。
「シャァぅ―――――…」
喉が潰れたような声で“一つ目”がうなり、光から逃れるように横へ移動する。
川瀬はすばやく床に転がっている懐中電灯を拾う。
どこへ行った?
少し目を離した隙に、“一つ目”は姿を消していた。
<ヒタッ…>
<ヒタッ…>
<ヒタッ…>
“一つ目”が移動する音が周りから聞こえる。かなりすばやい動きのようだ。
天井の電球を落としたということは上下関係なく自由に移動できるということか。
「周りに注意しろよ」
川瀬は足音のしたほうに明かりを向けるが、敵の動きが速すぎて追いつけない。
武器は俺が持っている出刃包丁と、藤原の鉄バットか… それと硫酸…。
どれも役に立たないな…。
<ビチッ>
天井でワイヤーが切れる音がした。
「避けろ!」
<ドシャァン!!!>
三人が避けるのとほぼ同時に、電球が床に落ちた。
上か!
懐中電灯を上に向けるが、もう天井にはいない。
くそっ! 動きを捉えることすらできない!
一旦、第二体育館を出ないと殺される! しかし、やつから逃れることができるのか!?
「・・・・・」
何かいい方法は…
<ヒタッ…>
<ヒタッ…>
<ヒタッ…>
「・・・・・」
おかしい、攻撃してこないぞ…?
“一つ目”は、さっきから川瀬たちの周りの壁を飛び跳ねるばかりで、三人に近づいてこない。
どうなってるんだ? 戦意喪失か?
川瀬は明かりで“一つ目”を追い続ける。
そういえば… さっきやつは明かりに照らされて動きが鈍くなったな…。しかもわざわざ周りにある明かりを一つ一つ破壊した。
やつが攻撃してこないのはここに明かりがあるからか? こうやって俺が引っ切り無しに明かりでやつを追っているから攻撃してこない。とすると―
こいつの弱点は[光]か!
いや、こいつだけじゃない。今までの化け物だってあの暗闇でも平気で行動していた。こいつらは暗闇で自由に動ける反面、光に弱いんだ! しかも目玉が大きいこいつにはそれ以上に効くはず…!
なるほどな…。しかし、こいつはすばやすぎて光を当てることができない。
「おい、懐中電灯はこれ一つだけか?」
“一つ目”を明かりで追いながら、川瀬は二人に尋ねた。
「……ええ…、それ一つだけです… 俺が卓郎に渡された…」
右耳の痛みに耐えながら、昇が答えた。
「化け物どもの弱点はおそらく光だ。どうにかしてやつに光を当てることができないか?」
「・・・・・」
「・・・・・」
辻も藤原も考えているが、いい答えは期待できそうにないな。
補助灯を壊された今、ほかに明かりなんて…
「あ、そうだ…。おじさん、援護してください」
優哉が、昇の手から鉄バットを取り、走り出した。
「何を…!? ちょっ… 待て!!」
「シャゥァァ―――――…」
明かりから離れた優哉を、“一つ目”が狙う。
川瀬はとっさに優哉に明かりを向けた。
優哉が右壁のカーテンを開いた。
何をする気だ?
カーテンに覆われていた鏡が姿を現す。
“一つ目”は、様子をうかがっているのか、天井を這い回っている。
<ガン!!>
優哉が昇から借りたバットで、鏡をたたく。
川瀬は優哉が何をしたいのか見当もつかない。
昇も何を考えているのかわからないという様子で優哉を見ている。
<パリッ…>
何度かたたくうちに、鏡に円形状のヒビが入った。
同じように何箇所にもヒビを入れていく。
「あっ…!!」
川瀬の横腹に鋭い痛みがはしった。
優哉に明かりを向けていたせいで、自分は無防備になっていたのだ。
“一つ目”は再び壁を蹴り、天井に跳ね上がった。
「くっ…! あぁっ…!」
床を転がり、喘ぐ川瀬。その手から懐中電灯が転げ落ちた。
「シァァ―――――!」
今度は天井から川瀬に向かって落下してくる。
「うわぁ!!!」
「ビャァゥッ!!」
間一髪、昇が“一つ目”に蹴りをくらわせた。
「大丈夫ですか?」
「……ああ… ありがとう」
<ヒタッ…>
吹っ飛ばされた“一つ目”が再び動き始めた。
くそっ! またか!
「おじさん!」
優哉が荒い息づかいで叫んだ。
「こっちに光を…!」
「シャァァ―――――!」
“一つ目”が天井を移動しながら攻撃態勢に入った。
そうか…! 鏡を…!
川瀬は懐中電灯を拾い、ヒビの入った鏡に光を向けた。
「ビャァ!」
ヒビの入った鏡に当たった光がいろんな角度で反射する。すばやく動く敵も、この光の乱反射からは逃れられない。
光で目が眩んだ“一つ目”が背中から床に落下した。
そういうことか!
優哉が鏡の前でガッツポーズする。
川瀬はポケットから硫酸を取り出した。
「くたばれ!」
起き上がろうともがく怪物に硫酸の小瓶を思い切り投げつけた。
<パリン…! シュゥ―――…>
「ヒシャァァァァァァァァァ―――――!!」
顔に硫酸を浴びた“一つ目”が、低い叫びを上げながら体育館中を暴れまわる。
ちっ! 死なないか…。
「逃げるぞ!」
昇と優哉は川瀬の後に続いて第二体育館から脱出した。
扉を閉め、手洗い場まで走った三人はそこで足を止めた。
もう怪物の悲鳴は聞こえない。
「ふー… 脱出成功…」
「……追ってきませんね…」
「あきらめたんだろ」
三人はその場に座り込んだ。
「いてて…」
“一つ目”に攻撃された横腹が痛む。
血がにじんだシャツをめくって見てみると、皮膚に一本の切れ目ができていた。
深くはなさそうだな… でも手当てしないと…。
「君は大丈夫か? 耳」
川瀬は昇の耳を見た。
「うわ…」
耳が横に半分近くぱっくりと裂けている。
「痛むか?」
「じんじんする… 寒いです…」
「大丈夫だ、大丈夫。ちゃんと治るから心配するな」
痛みと恐怖で寒さを感じているのだろう。あまり心配させないほうがいい。
これは俺よりも重傷だ…。保健室は近くだったか? 早く手当てしないと壊死する可能性がある。
第二体育館は後回しにしよう。とにかく今は怪我の手当てだ。