十‐‐‐‐ 増殖
「はあぁ… もう…!」
これほどの絶望と恐怖を味わった人間が俺たちのほかにいるのだろうか?
今、昇の目の前には一人の男子と四人の女子がいる。
こいつらを守るのが俺に任せられた役目。
音楽室のドアの前の椅子に座り、金属バット片手にクラスメートのお守り。
ったく…、何やってんだか…。本当なら夕飯食って、風呂入って、テレビ見て、寝る。それが日常のパターンなのに…。
何やってんだよ…
昇は熱くなる目頭を押さえた。
今まで昇は、体格がよいのと面倒見がいいことから周りの人たちからは頼もしい人物だと思われてきただろう。昇も頼もしい人間を演じていた。
アクション映画に憧れて体を鍛え、いつでも誰もを守れるようにと、心の準備はしていたつもりだった。だけど実際は、そうではない。自分よりも軟弱だと思っていた卓郎と祐史が先頭に立って動いている。昇は怖くて動けないのだ。
悔しい…。一番戦うべき俺がなぜ安全地帯にいるんだ? 力では卓郎や祐史よりも勝る俺が…!
これが俺が卓郎に任せられた役目…。
あの時、卓郎にここの見張りをしてくれと言われた時だって、「役目を交代しよう」とも言えたはずなのに… どうしても言えなかった。逃げ腰の本能が俺を安全な方向へと導いてしまった。
なんて情けないんだ…。
誰かを守るっていうのは肉体の問題ではない。精神の問題なのだ。
誰かが椅子から立ち上がる音がした。
葵が昇のほうへ近づいてくる。
「南、どこ行くんだ?」
「トイレよ」
すました声で葵が答えた。
「危険だぞ」
昇が立ち上がり、止めようとするが、
「ここでしろっていうの?」
その言葉には反論できなかった。
「トイレはすぐそこよ。それに第二校舎は安全なんでしょ?」
「あ… わたしも…」
隅でうつむいていた由真も立ち上がり、葵の後に続いた。
「はぁ…」
暗い廊下を歩いていく二人の後ろ姿を見送りながら昇は溜め息をついた。
緊張感がないな…。ったく… 余計に情けないじゃないか…。
五分後―
あれからまだ音楽室のドアは開いていない。
遅いな… 女のトイレはこんなにも長くかかるものなのか?
なかなか開かないドアを見つめながら、昇のイライラは頂点に達しつつあった。
優哉は、さっきから一言も喋らない。もっとも、普段もそうだが… 有里と和海のひそひそ話だけが聞こえてくる。
本人達は、気を紛わそうと話をしているのだろうが、昇にとってそれはイライラを悪化させる原因に過ぎない。
遅い遅い遅い…! 何をしてるんだよ!? こんな時に!
我慢できなくなり、トイレまで様子を見に行こうと立ち上がった時、ドアをノックする音が聞こえてきた。
コン… コココン…
リズミカルにノックされるドア。
卓郎が考えた、自分は敵ではないと相手に教える時のノック音だ。
やっと帰ってきたか…
昇はドアを開けた。
「ふう… 完成―――」
理科室―
やっと作業を終えた卓郎は背伸びをし、完成したお手製爆弾を見た。
これでいいはず。少しでもミスがあれば命取りだが…。
派手に散らかったテーブルの上にはデジタル式のキッチンタイマーが取り付けられた、15センチほどの大きさの四角形の箱が置かれている。
この学校にはあの化け物以外にも何かがいる… もっと恐ろしい何かが…。
第一校舎で見たあれは… もしかしたら錯覚だったのかもしれない。そう思いたい。しかし、嫌な胸騒ぎがおさまらない…。祐史達は無事だろうか?
パタ… パタ… パタ…
廊下から足音が聞こえてきた。
祐史か? おっさんか? この足音はスリッパだな…。
パタ… パタ……
足音が卓郎がいる理科室のドアの前で止まった。
卓郎はゆっくりと部屋の隅へ移動する。
<ガラガラガラ…!>
ドアが勢いよく開かれた。
「ヒヒヒ…」
暗闇にあの赤い眼が浮かび上がる。
あいつだ!! 第二校舎にまで侵入してきたのか!?
卓郎は懐中電灯でそいつを照らした。
「教頭…」
<ピリリリリリリリリリリリリ…!!!!>
突然ホイッスルの音が第二校舎に響いた。
同じ階― 音楽室からだ。
しまった! あっちにも!!
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィヒヒヒ…!!!!」
ああ… ちくしょう…
教頭がものすごい勢いで卓郎に接近した。
「すいません教頭…!」
卓郎は腰のホルダーからナイフを抜き、
「ひぎ―――!!!」
一瞬で敵の喉元を切り裂いた。
<ドサッ…>
血が噴水のように噴き出し、教頭は倒れ、その眼から狂気が消えた。
<ピリリリリリリリリリリリリリ…!!!>
二度目のホイッスルが響いた。
卓郎は顔に浴びた返り血を腕で拭い、急いで残ったダイナマイトとタイマー爆弾をかばんに入れ、理科室を出た。
タタタタタタタタタタ…
黒い影が卓郎の前を横切り、階段を駆け下りる。
今のは…?
「和海ちゃん!!!」
音楽室から有里の叫び声が聞えた。
卓郎は音楽室へ急いだ。
「あああぁぁ…!! 和海ちゃんっ…!!」
泣き叫ぶ有里の膝元で女の子が顔を血まみれにして死んでいる。
真っ赤に染まった顔からは誰なのか特定できないが、その子の後頭部から伸びるポニーテールは、間違いなく坂野和海のものであった。
「何があったんだ?」
有里は友人の亡骸を前に泣き叫び、優哉は手で目を覆い、首を振っている。昇は…
「藤原…?」
卓郎は部屋の中を懐中電灯で照らす。
「……ここだ…」
卓郎の傍らで声がした。
「大丈夫か!? 何があった!?」
すぐ横で額を押さえ、倒れている昇を起こしながら卓郎が聞いた。
「くそっ… あいつだ… あいつが…」
「誰が坂野を殺した?」
「あいつ… 相沢だ…!」
昇の目から涙が零れた。
「相沢が…!? なぜ!?」
「わからねえよ… いきなりバットで殴りかかってきやがった…」
なぜ相沢がそんなことを? まさかあいつまで化け物に…? それとも気が狂ったのか?
「二宮の… ホイッスルで逃げていったが…」
さっきのか… 今追えば捕まえられるかもしれない…。
「大丈夫か? 藤原。俺は相沢を追う」
「ああ… 気をつけろ…」
昇がなんとか立ち上がった。大丈夫そうだ。
「それと、ここにもやつらが入り込んでいるみたいだから、用心しろ」
「わかった… 任せろ」
相沢… 逃げたってことはおそらく化け物にはなってないな…。やはり気が狂ったのか…!
おかしくなった人間は、もしかしたら化け物なんかよりも厄介かもしれない…。
となると祐史やおっさんも危険だな…。とにかくまずはあいつをとっ捕まえ
て―
「!!!」
階段の前で卓郎は立ち止まった。
ダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッ…
上の階から大勢の足音が聞える。
瞬く間に卓郎の背筋は凍りついた。
おいおい… うそだろ…?
だんだん足音が大きくなる。
「ああ… 神様…」
今回はクリスマスに浮かれて更新が遅れてしまいました。これからも大晦日や正月でしばらく更新できないと思います。ご了承ください。